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2016.08.24

熊本地震に伴う熊本城飯田丸五階櫓倒壊防止緊急対策工事、熊本城南大手門倒壊防止緊急対策工事

復興への第一歩、熊本城の櫓を鉄の腕で支える
熊本地震に伴う熊本城飯田丸五階櫓倒壊防止緊急対策工事、熊本城南大手門倒壊防止緊急対策工事
飯田丸五階櫓(やぐら)を竹の丸から見上げる

飯田丸五階櫓(やぐら)を竹の丸から見上げる

熊本城全景

飯田丸五階櫓と本丸天守閣 ※クリックで拡大

戦国大名・加藤清正が築いた名城・熊本城。市中心部の小高い丘に建つ城は、熊本市民の心のよりどころとして愛されてきた。大林組は、1877(明治10)年の西南戦争で失われた天守閣や本丸御殿の再建・復元工事を施工するなど関わりが深い。その熊本城を2016年4月14日に発生した大地震とその後の本震、余震が襲った。石垣や塀、瓦の崩落や建屋に入ったひびが地震の大きさを物語っている。

熊本城配置図

熊本城配置図 ※クリックで拡大

L字型の飯田丸五階櫓平面図

L字型の飯田丸五階櫓平面図

「奇跡の一本石垣」が支える櫓の倒壊を防ぐ

城の再建を復興のシンボルにしたいという、発注者である熊本市の思いを託された工事。任されたのは「奇跡の一本石垣」と呼ばれる、崩壊を免れた角部分の石垣のみで辛うじて支えられている飯田丸五階櫓の倒壊を防ぐこと、そして、今後の再建工事の足がかりとなる城内道路の復旧だ。大林組は約2ヵ月という短期間での工事に挑んだ。

飯田丸五階櫓は五階建てと平屋の櫓がL型でつながっており、南面と西面は石垣の上にせり出すように建っている。今回の震災で崩れ落ちたのは南面の石垣。南東の角は一本の石垣のみが残り、櫓を支えている状況となっている。

史跡保護を考慮した工事計画
地震により石垣が崩れ落ちた南面

地震により石垣が崩れ落ちた南面

頑丈な木組みが天井や内部を支え櫓の崩壊を免れた

頑丈な木組みが天井や内部を支え櫓の崩壊を免れた

地盤上から鉄骨を斜めに差して櫓を支える当初案

地盤上から鉄骨を斜めに差して櫓を支える当初案

熊本市が推算した、一本石垣にかかる櫓の重量はおよそ17~18t。しかも石垣が支えている部分は、櫓を支える柱ではなく壁の部分だった。15本あった柱の基礎は半分以上崩壊してしまったが、壁部分のみを支えていても崩れなかったのは天井や内部の頑丈な木組みのおかげだった。

どのように櫓の倒壊を防止するのか。崩壊した石垣の下(竹の丸)から大きな仮設構台を組んだうえで倒壊防止工事を行うのが通常考えられる方法だが、施工中の櫓の倒壊や石垣の再崩壊による二次災害を防止するため、これは認められなかった。

また、今後の熊本城復元に向けた史跡保護のため、崩壊を免れた石垣や城内の地盤を変質することなく施工することが求められた。このような制約の中、当初は飯田丸の地盤上から斜めに鉄骨を差し込み支える方法を考えたが、この方法では櫓の中央部にある柱を支えることができないことが分かった。

櫓を「鉄の腕」で抱え込むようにして倒壊を防ぐ(イメージ図)

櫓を「鉄の腕」で抱え込むようにして倒壊を防ぐ(イメージ図)

「鉄の腕」にかかる荷重は本丸側の架台の自重で支える

「鉄の腕」にかかる荷重は本丸側の架台の自重で支える

架台後方にある樹齢800年のご神木に配慮

架台後方にある樹齢800年のご神木に配慮

組み立てた架台はレールの上をスライドさせて移動

組み立てた架台はレールの上をスライドさせて移動

そこで、現場に着任した工事長の入江が出したアイデアは櫓を上から覆うように仮設の架台を組み、櫓の下に荷重を受ける梁が付いた「鉄の腕」を入れて抱え込む方法だった。

さっそく施工計画と構造計算に取りかかったが、難題が続出する。まず、受梁にかかる荷重を支える方法だ。本来は、軸足となる本丸側の架台をアンカー工事や杭工事などにより地盤に固定したいところだが、史跡保護のためそれらの方法は採れず、本丸側の架台の自重で支えざるを得なかった。

本丸側の架台を後方に細長く設置することができれば、てこの原理により、地盤への影響を最小限に抑えた重量で、やじろべえのようにバランスをとることができる。だが、架台設置位置の後方には樹齢800年のご神木がありこの方法も不可能だった。

最終的に、限られたスペースに設置する本丸側の架台の自重を重くすることで支える方法を採らざるを得なかった。架台に必要な重り(カウンターウェイト)を載せるとともに、地盤への影響を最小限に抑えるため、地表に約70cmの基礎コンクリートを打設する計画とした。

一方で、架台を造るための材料確保にも問題があった。このような特殊な工法は、架台を特注の資材で組み立てるのが通常だ。しかし、復興工事の最盛期で資材不足なうえ、工期もなかった。「できるだけ既製の仮設部材を流用して作れるように設計した。交差部など一部の資材は特注せざるを得なかったが、製作工場が優先的に作ってくれた。熊本城の再建には県内外を問わず多くの人が協力的であることを感じた」と当時の苦労と感謝を工事長の入江は語る。

一番の難題となったのは、資材や工具の落下など、架台施工段階での事故による櫓の倒壊をいかに防ぐかということ。そこで、櫓から離れた敷地で架台を最大限まで組み立てた後、地面に敷いたレールで南側へ約20m、そこから西側の櫓まで同じく約20mスライドさせる施工計画を採用した。

かなり自重のある架台を石垣の先端部までスライドさせるこの工法。櫓の下部の状況が確認できず、「鉄の腕」を指し込む空間の寸法も実測できないという条件の中、地盤を崩壊させず、石垣や櫓にも影響を与えず、安全に設置するには、綿密な計画が求められた。

左右上下にスライドさせ、石垣をかわす
地盤より一段高くなっている南側の石垣を「鉄の腕」が越える

地盤より一段高くなっている南側の石垣を「鉄の腕」が越える

受梁移動のステップ

受梁移動のステップ ※クリックで拡大

「鉄の腕」を完成形のままスライドさせると支障が生じる箇所が2ヵ所あった。一つは飯田丸の地盤より高くなっている南側の石垣、もう一つは、櫓にかかる際の一本石垣。これらをスライドさせながらかわさなければならない。

協力会社も含め関係者全員で考え抜いた末にたどりついた手順は、「鉄の腕」の先端部となる荷重受梁の鉄骨を、いったんボルト接合せずに、架台本体と重なり合うように電動ホイスト(巻き上げ装置)で吊り上げ、架台のスライドに合わせて、荷重受梁を上下左右に動かしながら2つの石垣を越えるというものだった。

具体的には、(1)本丸側敷地で南側へ約20mスライドする際には、荷重受梁を架台本体と重なり合うように吊り上げ、南側の石垣を越える、(2)南側へのスライドが完了した段階で、荷重受梁を所定の位置まで吊り下げる、(3)吊り下げた荷重受梁の先端が一本石垣に触れないよう、受梁をワイヤーにより櫓とは逆の南側にせり出すようにして架台に固定したうえ、架台を西側へ約20mスライドさせる、(4)一本石垣をかわし、架台が所定の位置に移動したら、南側にせり出した荷重受梁を元の位置に戻し、ボルトで接合する、というものだ。

 

ミリ単位の緻密さで移動
ジャッキを調整しながら行う試験スライド

ジャッキを調整しながら行う試験スライド

南へ20m移動した架台

南へ20m移動した架台

スライド本番の前日には、本社建築本部特殊工法部の上級主席技師 原田も駆けつけ、試験スライド作業を行ったが、架台の基礎鉄骨の継ぎ目部などにねじれや回転変形が生じて、スムーズにスライドしなかった。このままでは本番スライド時に大きな問題となりかねないため、問題が生じる都度、可能な限りの対策を打った。試験スライドは深夜まで続いた。

「事前に各部位の性能確認試験ができればよかったが、櫓の倒壊との時間の勝負。事前調査や本工法に適した材料の制作時間すら十分に取れない中、本番を迎えた。鉄骨のねじれが生じるたびにその場で修正していった」と工事長の入江は話す。本番のスライド作業が始まってもレールの上に敷いていた鉄板などがずれるなど気を抜けなかった。平行に進まないとどこでバランスを崩すか分からないため、移動はmm単位の緻密さで進めた。

所長の土山と工事長の入江を最も狼狽(ろうばい)させたのは、南側へのスライド終了時。地盤上に設置した耐圧盤が、地盤の表層部分の圧密沈下によって傾いたのだ。このまま進ませると前方への転倒や、耐圧盤上に設置したレールの変形により所定の位置に据え付けられない恐れがあった。後戻りができない状況で、冷静かつ慎重な判断が求められた。

残すスライドは西側への約20m。架台を一旦ジャッキアップして西側へのレールの水平を調整できれば、頑丈な基礎コンクリートに架台を移動するまで耐圧盤は持つ。問題は一番沈下の大きい部分でのジャッキアップに耐圧盤が耐えられるのかであった。所長の土山と工事長の入江は、これまで同時並行で進めてきた地盤調査の結果や工事計画、施工記録を再確認のうえ、即座にジャッキアップすることを決断。工事は予定通りに完了した。「スライドを終え、『鉄の腕』が床下に差し込まれた時は、正直、加藤神社の神様に手を合わせて感謝しました」と所長の土山は当時の緊迫感を語った。

スライドを終え、櫓を支えるように床下に差し込まれた「鉄の腕」

スライドを終え、櫓を支えるように床下に差し込まれた「鉄の腕」

「鉄の腕」の隙間
受梁と床下の隙間にグラウト(薬液)を配置

受梁と床下の間にグラウト(薬液)を置き一定の隙間を確保

受梁と床下の隙間が一定になるように鉄骨で調整

受梁と床下の隙間が一定になるように鉄骨で調整

櫓を支えるように差し込まれた「鉄の腕」。最大で、45tの荷重を支えることができるが、実は床下には接していないのだ。荷重受梁と床下の隙間にはグラウト(薬液)袋を設置し、床下とは2cmの隙間を空けている。

当初は荷重受梁の上にジャッキを設置し、床を持ちあげる計画だった。架台の設置が無事に終わり、櫓の床下を初めて近くで確認したことが計画変更のきっかけだった。その理由について「現在の櫓は床下の木材が割れたり、ほぞがずれたりしながらも全体のバランスで倒壊を免れている状態。櫓の床下から押し上げようとする力を無理に加えると、建物全体のバランスを崩すことになり、かえって倒壊させてしまう危険性がある。逆に、隙間を設けることで櫓の状態を観察し、倒壊につながる沈下が発生した時点で支えようと判断した」と工事長の入江は説明した。

本格的な再建工事に向けた動線確保
南大手門東側は1m角のコンクリートブロックで壁を構築

南大手門東側は1m角のコンクリートブロックで壁を構築

構台に油圧ジャッキを据えて倒壊を防ぐ

構台に油圧ジャッキを据えて倒壊を防ぐ

もう一つの倒壊防止工事となる南大手門は、熊本城最大の正門。現在の南大手門は本丸へ向かう、車両や歩行者のメーン道路に面しているが、石垣が崩落して道路をふさいでいた。このままでは再建工事の車両動線としてこの道路の使用が不可避なため、早期に開通させなければならない。南大手門の倒壊防止緊急対策は、崩落した石垣の撤去と再流入を防止する壁の構築が喫緊の工事となった。

壁の構築については当初、土のう袋を積んで対応する計画だったが、耐久性の問題と工事車両の通行する幅が狭くなるために断念した。そこで、工事長の入江が発案したのが1m角のコンクリートブロックの構築だった。耐久性と通路幅の確保といった条件を満たすと同時に、石垣の撤去状況に応じてブロックを積み上げることで作業の安全性を確保することができた。現在は、油圧ジャッキを据えて建屋の倒壊を防止する鉄骨構台も組み終わり定期的にジャッキを増し締めしている。

熊本出身である所長の土山が、被災した熊本城の姿を目にしたのは4月末。「私を含め地元の皆さんにとって、熊本城がいかに大切な存在だったかということをあらためて認識した」と語り、「今回の仕事を成功させることが、熊本の皆さんを元気づける結果につながると信じて取り組む」と全身全霊を注いだ。何より現場に従事した職人が、「豪雨」「猛暑」「不休」をものともせず、かつ安全手順を守って作業してくれたことが、工事の成功に結びついた最大の要因だ。復興への第一歩を踏み出した熊本城。さらなる復興を進めることが建設会社の責務であると認識し、大林組は引き続き一丸となって工事にまい進していく。

(取材2016年7月)

 

●工事概要

名称:熊本地震に伴う熊本城飯田丸五階櫓倒壊防止緊急対策工事/熊本城南大手門倒壊防止緊急対策工事
場所:熊本県熊本市
発注:熊本市
施工:大林組

【熊本地震に伴う熊本城飯田丸五階櫓倒壊防止緊急対策工事】
概要:架台
重量:架台220t、カウンターウェイト200t
規模:全長33m、全高14m、全幅6m
工期:2016年6月~2017年3月(架台設置工事は2016年7月末日)

【熊本地震に伴う熊本城南大手門倒壊防止緊急対策工事】
概要:構台
重量:80t
工期:2016年6月~2016年8月