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  • 昭君之間

解説

伝統技法を駆使して400年前の姿を忠実に復元

戦国時代の名将・加藤清正は、江戸城や名古屋城の普請でも活躍した城づくりの名手。その清正公が築いたのが熊本城である。当社は、熊本城天守閣復元工事(1960年竣工)をはじめ、重要文化財である宇土櫓保存修理工事、南大手門、西大手門などの復元工事実績を有している。今回の本丸御殿の復元は、築城400年(2007年)の記念事業として1999年より始まった南大手門や飯田丸五階櫓を含む復元工事の集大成である。

工事は、天守閣と並ぶ城の中心で、城主の生活の場であった大広間や大御台所、数寄屋など25室580畳を、外観や間取り、地下通路に至るまで築城当時の姿に可能な限り近づけて現代によみがえらせるもので、設計は、江戸中期に描かれた絵図や明治初期に撮影された写真、発掘調査で出土した礎石などを手がかりに行われた。

仮設工事として、高価な木材や土壁、漆喰などを保護するため、鉄骨造の素屋根を最初に架設し、建物全体を覆って作業を行った。

工事には伝統技法を採用。木材の建て方では約4万本もの天然木材から各部材を切り出し、継手、仕口などの伝統技法を用いて組み合わせており、例えば梁には直径1mもある松を用いたが、反り具合や太さがそれぞれ異なるので、設計図通りにはいかず、現場の判断で一つひとつ解決していかなければならなかった。土台となる石垣の上に木材を据え付ける光りつけという作業は、石の凸凹面に合わせながら少しずつ木の底面をノミで削っていく地道で根気のいるものであった。さらに8回以上も漆を重ね塗りする左官工事、約14万枚の特注の屋根瓦など、随所に職人の技が求められた。最も格式が高い部屋である昭君之間には、きらびやかな障壁画や飾り金具が取り付けられ、畳は熊本産のい草を用いている。過去に当社が担当した宇土櫓、南大手門などの復元工事で活躍した地元の名工が集められた。彼らの豊富な経験と精巧な技術は、作業を間近で見ていた若い職人たちに、熟練した職人の技とこだわりとして受け継がれ、伝統の技を後世に伝えるというもう一つの大きな使命も果たすことができた。

竣工後の2007年12月から2008年5月にかけて、熊本城築城400年祭が開催され、本丸御殿も一般に公開されて、訪れた人は忠実に復元された豪華絢爛な歴史空間を体感した。

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