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  • 明石海峡大橋
  • 本州四国連絡道路舞子トンネル南

解説

20世紀最後の国家プロジェクト-明石海峡大橋
明石海峡大橋〈1A躯体工事〉

本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋は世界最長の吊り橋である。明石海峡に橋を架けるという夢は明治以降、何度か計画されたが、1988年、20世紀最後の国家プロジェクトとして着工に至った。日本の土木技術の総力を挙げて工事が行われたが、当社JVは「1Aアンカレイジ(神戸側橋台)」を担当した。アンカレイジは吊り橋の生命とも言える2本のケーブルの張力を受け止め、その巨大な力をしっかりとした地盤につなぎとめる重要な役割を担う土台となる施設。その基礎は、直径85m、深さ63.5m、容積37万㎥の巨大空間をコンクリートで満たしたものである。

工事は、埋立によって作業基地をつくることからスタートした。次にスーパーハイドロフレーズ掘削機を用いて、地中連続壁を構築。連壁の完成後、側壁を構築しつつ支持地盤まで掘削し、約326,600㎥の土砂を搬出した。出来上がった巨大な地中空間に、国内最大級の製造能力(毎時480㎥)を誇るコンクリートプラント「オクトパス」がフル稼働して、底詰、底版工、中詰工、頂版工とコンクリートを打設し、巨大な円筒形の人工岩盤が完成した。

次いで、この基礎にケーブルアンカーフレームを取り付け、地上50mの高さになる巨大な橋台を構築した。外壁には橋台の美観と耐久性を考慮してPCパネルを採用。これを型枠として、内部に高流動コンクリートを打設した。

当社の持つ高度な土木技術を結集し、1Aアンカレイジは無事完成した。

本州四国連絡道路舞子トンネル

南明石海峡大橋関連工事で、本州四国連絡道路神戸鳴門ルートのうち、神戸側の舞子台地区を貫く舞子トンネル(延長3,300m、片側3車線)の南端工区の施工を当社JVが担当した。施工個所は神戸市街の住宅密集地であり、マンションや住宅の直下に土被りの浅いトンネルを大断面で掘るという計画であった。

地表面沈下を含む変位が懸念されたが、工事区間にまったく異なる地質があったため、それぞれに適した補助工法を採用した。大阪層群の未固結土砂部では、国内初の長尺先受け工法であるトレビチューブによるアンブレラ工法を導入。長さ12mの鋼管を40cm間隔で傘状に打設し、早強セメントミルクを鋼管内と削孔空隙に注入充填して地山の先受け効果を図るものである。硬質の六甲花崗岩の掘削においては、掘削外周に連続溝を穿ち、それに向かって切羽面に順次楔を打ち込んで割岩するスリットドリリング工法を採用。想定以上の硬岩に対しては、ワイヤーソーによる大ブロック塊での切り出しも併用した。

明石海峡大橋へのアプローチである南端部の地上にトンネルを構築する工事では、上下線の間隔が狭くヤードが取れず、また工期短縮のために、底版と壁のみ現場打ちコンクリートで施工した後、アーチ部は工場で製作したプレキャストコンクリート部材を現地で組み立てた。掘削土は坑口に設けた防音建屋内に昼夜受け入れ、昼間のみ盛土個所にベルトコンベアで搬土した。換気所の構築に伴い、盛立ヤードが刻々と変更されるのに合わせて移動式ベルトコンベアとスプレッダーを駆使して、ブルドーザでの押土を極力減らし、近隣への騒音低減と粉塵・塵埃対策を図った。

1995年1月17日早朝、阪神・淡路大震災が発生。現場は活断層群からわずかにずれていたため被害も少なかったが、近隣地区には多大な被害が発生。すぐにすべての工事を中断し、JV職員・作業員が総出で災害復旧に取り組んだ。

1998年4月、待望の明石鳴門ルートが開通し、四国東部・淡路島と阪神地区との交通の便が向上するとともに、地域間の交流や産業の活性化が進んでいる。

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(明石海峡大橋〈1A躯体工事〉)
(本州四国連絡道路舞子トンネル南)