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つくるを拓く「継承」篇 (30秒)

つくるを拓く「継承」篇 (30秒)

GOLDEN GATE BRIDGE SEISMIC RETROFIT PROJECT
ゴールデンゲートブリッジ耐震補強工事

歴史的建造物と先人の想いを次世代へとつなげ

エスコンフィールド HOKKAIDO

アメリカ西海岸を代表する観光名所で、年間約4,000万台の通行量を誇る交通の要所でもあるゴールデンゲートブリッジ。大林組は、人々の安全・安心を守ることを使命にその大規模な耐震補強工事に携わった。それは、この橋の建設に関わった人々の想いを次世代へつなぐプロジェクトとも言えるものだった。

色鮮やかな橋には人々のハートが込められている

この橋は、サンフランシスコを含む周辺の6郡によって設立された「ディストリクト」と呼ばれる組織が中心となり、1933年から4年の歳月をかけて建設されたが、道のりは平坦ではなかった。6郡の住民への課税と債券の発行による資金調達を目指していたものの、世界恐慌の影響で債券発行は困難に。反対運動も巻き起こる中、関係者が必死に資金調達に奔走した結果、最終的にはサンフランシスコに本社を置く(当時)バンク・オブ・アメリカを主幹事としたグループが債券を引き受けて建設にこぎつけたのだった。

大地震にも屈しない強靭な橋となることを目指して

ゴールデンゲートブリッジがあるカリフォルニア州は周期的に大地震が起きる地域だ。大きな被害をもたらした1989年10月のサンフランシスコ大地震(通称:ロマ・プリータ地震)を契機に、サンフランシスコ湾一帯の耐震補強が計画された。

シミュレーションにより同橋梁はマグニチュード7.0以上の地震に対して脆弱であることが判明。その一方で、米国地質調査局は、2031年までにマグニチュード6.7以上の地震がサンフランシスコ湾周辺で少なくとも1回以上発生し、広範囲に被害をもたらす可能性が62%あると予測した。

そこで1997年、同橋梁を管理・運営するゴールデンゲートブリッジ交通局は、この地域に近いサンアンドレス断層で発生が予測されているマグニチュード8.3の地震にも耐えうる橋梁に刷新するべく、開通以来最大規模の補強工事に踏み切った。

歴史的な遺産もある最大工区の難工事に挑む

プロジェクトは4フェーズに分けて発注され、第1フェーズは「北側アプローチ部」で2001年に竣工。大林組は地元の建設会社・シミック社(本社:カリフォルニア州ヘイワード市)との共同企業体で、最大工区の第2フェーズ「南側アプローチ部およびアンカレッジハウス部」と第3Aフェーズ「北側アンカレッジハウス部」を受注した。

大林組は、サンフランシスコを拠点として1979年から公共工事を中心に同国で数多くの工事を手掛けてきた。その実績と高い信用力が評価されての受注だった。

南側アプローチ部およびアンカレッジハウス部は、第1フェーズの北側アプローチ部に比べ工事量が2倍以上。1861年に完成して南北戦争では要塞として使われたフォートポイント(Fort Point)という砦(とりで)跡と、それを跨ぐ形で付随した橋長96mのアーチ橋を保存する必要があり、複雑な形状の構造物それぞれに耐震補強を施さなくてならないため工事量が大きくなったのだ。

そのような中でも交通を一切止めることなく、鋼部材の追加交換、コンクリート部の補強や杭の増設、免震ゴムおよび地震エネルギー消散装置の設置などを実施。2001年から施工を開始し2014年3月に無事竣工を迎えた。2025年から着手される「主橋およびタワー部」を補強する第3Bフェーズが完成する2029年には、ゴールデンゲートブリッジは、過去に同地域で観測された最大規模の地震にも耐えられる橋梁に生まれ変わる。

南側アプローチ部およびアンカレッジハウス部は、全4工区のうち工事量が最大の工区
交通の要所でもあるために、クルマの流れを止めることなく工事を遂行する必要があった

手入れさえすれば、橋は永久に生き続ける

1930年代の建設時にキーマンとなった人物にも触れておきたい。ジョゼフ・シュトラウスというディストリクトのチーフ・エンジニアで、資金集めから設計、入札、施工 管理、安全に関わることまで全てにおいて奮闘した、まさにプロジェクトの総指揮者である。そんな彼が、債券の引き受けを交渉しているとき、バンク・オブ・アメリカのジアニーニ会長から「橋はどのくらいもつのですか」と質問された。

シュトラウスは「永久に。手入れさえすれば寿命は無限です」と答えた。それを聞いたジアニーニ会長が「カリフォルニアにはその橋が必要だ」と債券引き受けを決めたという。

シュトラウスは、土木技術者としてゴールデンゲートブリッジが永遠の架け橋になることを望んでやまなかった。そんな想いが伝わってくるエピソードである。

大林組のCMでも、このアメリカが誇る偉大な橋を見つめる少女が「ずっと残っていくかな?」とつぶやくと、佐藤健さんが「残っていくよ」と答える。大林組が行った大規模な「手入れ」は、先人たちの熱い想いがこもった橋を永久に持たせるための一助となったと私たちは信じてやみません。

公園の石碑には、シュトラウスとジアニーニ会長が握手した姿とともに、熱く交わした言葉が刻まれている

大林組の主な耐震改修の実績はこちら

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