日本最大級の門

平安京「羅城門」の想定復元

復元:大林組プロジェクトチーム

一国の首都には、古来ごく具体的で視覚的な、象徴的なランドマークとしての建物が必要とされた。その特性をよく体現したのが、創建当初から"千年の都"と期待された平安京の正門「羅城門」である――実在した門のなかでもっとも知名度が高く、最大級の規模であったはずだが、その正確な姿はまだ分かっていない。それを明らかにしようと、わたしたちは復元プロジェクトチームを立ち上げた。

平安遷都

天応元年(781)に即位した桓武天皇は、政治の刷新をはかるため、それまでの平城京を離れ、長岡京を経て慌ただしく延暦13年(794)に次なる新都建設に着手する。新都は翌年には「平安京」と名づけられ、以後千年をこえてほとんど日本の中心であり続けることになる。このとき、唐の都"長安"の例に習い、新都の南面中央に建造されたのが「羅城門」である。門は、昼間だけ出入りをゆるされ、朝と夕に太鼓の音とともに開かれ、また閉じられた。つまり、都の内と外がつよく意識され、都大路とその外世界を区切る"結界"として聳え立っていたのだ。

羅城門のかたち

羅城門のかつての正確な位置については、いまもよく分かっていない。東寺の西へ500mほどの唐橋花園児童公園に『羅城門遺址』の石碑がある。一帯は民家で、発掘調査ができず、遺構は未発見のままである。幾つか残る文献は記述が別れており、位置も姿も確証に至らなかった。

そこで、朱雀門と羅城門が同じ規模であったことに着目。『延喜式』に朱雀門は「二階七間戸五間」と記されており、これを規模の根拠とした。さらに、『伴大納言絵詞』にある朱雀門を見ると、二重閣の入母屋造りに、間口七間、奥行き二間と、その姿が知れる。

これに従って羅城門も、同様に二重閣7間とし、一間の長さは、時代の近い平城京の朱雀門にならって17尺(5.1m)とした。高さについては、当時は側柱の高さを柱間に等しくするのが通例で、したがって二層の門の下層階の柱高は、柱間と同じ17尺(5.1m)と定めた。また、上層階の柱の長さは、法隆寺中門の比例にならい、6.5尺(2m)とした。これで、基壇を含めた全高は70尺(21m)をこえ、現代の六階建てのビルほどになる。

施工のこと

律令体制下の正規の建築工事は、「木工寮」があたっていた。羅城門の場合のような大事業には専任の役職と役所を設けるが、技術面の施工などは木工寮が協力した。木工寮の技術職は、統括者を大工と少工とし、その下に木工、土工、瓦工などからなる12名の責任者・長上工がいて、さらにその下に番上工が現場を所管した。実際の作業は、さらに下部集団の駈使丁(くしちょう)と呼ばれる人びとがあたる。労役は民衆に課せられた税の一つであったようだ。

●建築材=ヒノキ材で造営されていたはずである。当時は近くの天然桧を伐採したと考えられるが、現在は乱伐により、大径の古木は国内にはほとんど存在しない。
●瓦・シ尾=東・西両寺を緑釉の瓦で葺いたという記述があり、実際にも出土しているので、羅城門についても同じとする。シ尾は、全高はおよそ1.9mにもなる。

これをいま造るとしたら、工期は、ヒノキは台湾産を輸入すると仮定して、その木材到着後およそ3年かかる。その期間の多くは、木材の加工と組み立てに費やす。また、工費は柱材に台桧をつかい、他の部材に内地材をつかうとすれば、約25億円である。このうち、木材の調達費用だけで60%を占めることになり、これほど巨大な建築物を実現しようとすれば、材料の調達が最大の課題となる。

――のちに都は縮小荒廃していく。『日本紀略』は816年8月夜の大風で羅城門が倒れたと記している。この門は都合三度風により倒れており、さらに、『宇治大納言物語』によれば、979年に3度目の倒壊をし、これをもって以降は再建されなかった。当時の平安京の衰勢を反映したのであろう、この門も都の"結界"としての役割を終えていたのである。

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No.2「門」

専門家、登竜門、一門の誉れ、門外漢、門前払い、笑う門には・・・など、「門」は日本語の中で非常に多く使われている。それは「門」が建築学的のみならず、日本語として十分にその意味が理解されていることに他ならない。
「門」をテーマにした本号のOBAYASHI IDEAでは、日本最大級の大きさを誇り、平安京という華麗な都全体を代表し、日本に実在した門の中で最も知名度の高い羅城門に注目した。羅城門について語り継がれてきたことは多く、豪壮な姿は史料や伝説の中で脈打っているものの、その全容は今日まだ明らかにされていない。私たちは、限られた資料をもとに、この羅城門の復元に挑戦を試みた。
(1978年発行)

OBAYASHI PROJECT

羅城門復元の試み

復元:大林組プロジェクトチーム

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