季刊大林 No.31

「難波宮」

古代、大阪は難波(なにわ)といわれていた。現在でも「なにわ」は大阪の別名でもあるが、一般にはそれほど知られてはいない。まして古代の難波がわが国で最も初期の国際都市であり、さらに首都でもあったことを知る人は、まだ少ないようだ。
では、古代の難波はどんな都市であったのか。本号では、わが国最古の都城ともいえる難波に焦点をあて、そのシンボルとしての「難波宮」の誌上復元を通して、大阪の源流を探ってみることとした。
なお、難波宮は686年に全焼するまでの前期と726年に再建された後期に大別される。前期難波宮はさまざまな点をめぐる論争が後を絶たないため、今回は後期難波宮を主眼に置き、前期は一部を列記するに留めた。
(1989年発行)

難波宮の繁栄とその歴史的意義

直木孝次郎(甲子園短期大学教授)

建築史からみた難波宮

澤村仁(九州芸術工科大学教授)

考古学からみた難波宮

中尾芳治(財団法人大阪市文化財協会企画課長)

OBAYASHI IDEA

よみがえる都市の源流 難波宮(後期)の復元

復元:大林組プロジェクトチーム
監修:澤村仁(九州芸術工科大学教授)
協力:財団法人大阪市文化財協会

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古代のなにわ

小松左京(作家)

古代国家の国際港

海を渡ってきた造形(正倉院宝物)

「難波宮」の文献63