デジタルツインのフロントライン

さまざまな分野、業界でデジタルツインの実装や実証実験が行われている。
人々の生活に結びつく活用事例にはどのようなものがあるだろうか。
暮らし全体のデジタルツインが実現するのも遠い未来のことではないかもしれない。

ウェルビーイング分野のデジタルツイン

もう一人の自分をつくる

日本総合研究所が提唱するデジタルツイン「subME」は、高齢者がデジタル空間に自分の情報を日々蓄積し、ふだんの生活の中で"もう一人の白分"を再現するものだ。高齢者が生涯にわたり白分らしい生活を続けるために必要なコミュニケーションを支援する。VR技術をはじめ情報技術を活用して時間や場所、身体機能の制約を超え、自ら周囲とのつながりを構築・維持することが老後の人生を充実させる基盤になる、との考えからスタートしている。

使い方は非常にシンプルで、subMEがユーザーにその日や将来の予定、関心事などについての短い問いかけを行い、そこから始まる日々の対話を通じて、ユーザーの行動意欲を喚起する。何をすればいいか行動を指示するのではなく、ユーザーに気づきを与え、自ら動機を持って行動するように促すことが狙いだ。それとともにsubMEは対話で得た情報をデジタル空間に蓄積し、その情報をもとに新たな仲間や専門家とのコミュニケーション機会を生み出す。

ユーザーが虚弱化し意思疎通が困難になった際は、蓄積した情報を支援者と共有し、ユーザーの価値観や考え方を学習したsubMEが本人に代わって「意思」を伝える。それによって家族や周囲の人々がユーザーの思いを尊重した判断を行えるように手助けをすることが想定されている。家族がユーザーの考えや意思を十分に理解しているとは限らないことを前提にした、極めて現代的なコンセプ卜と言える。

同社は三井住友銀行やアインホールディングスなどの数社とsubME事業化のためのコンソーシアムを結成し、事業化に向けた実証実験を重ねている。

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エンターテインメント分野のデジタルツイン

タレントの分身がデビュー

エンターテインメントの分野では、デジタルツインという言葉を文字通り「デジタル空間上の分身」の意味で使ったサービスが2021年8月にスタートしている。サイバーエージェントの「デジタルツインレーベル」は、タレントやアーティストの精緻な分身を作成し、デジタル空間上などで生身の本人とは別の活動を行うべく、同社がキャスティングするというサービスだ。分身となるハイクオリティな3DCGモデルを制作するため、顔や体を高精細に表現するコンピュータグラフィックス技術、高品質な人物キャプチャ技術、本人らしい声を再現する音声信号処理技術、映像と音声を一致させて動作を表現するリップシンク技術など、高度なAI映像表現の技術を導入。既に一人目のデジタルツインとしてモデルの冨永愛さんが活動を開始している。2023年までに500人のデジタルツインを活動させる意欲的な計画だ。

エンターテインメント、アートなどの分野では、没入感とインタラクティブ性の高いデジタル体験を行うサイバー空間をメタヴァースと呼んでいるが、フィジカルな本人とは別個にデジタルの分身をメタヴァースで活動させるこのプロジェクトは、いわゆる「ヒューマンデジタルツイン」の事例として注目される。

DigitalTwinLabel -Ai Tominaga(サイバーエージェント公式YouTube)

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スポーツ分野のデジタルツイン

スポーツ体験で日本は先進国

スポーツ分野での応用は、競技者の立場からのデジタルツインと、観客の立場からのデジタルツインに大別できる。

競技者のデジタルツインは、センサー技術を駆使して体の動きをデジタル空間上に再現するものだ。2018年のサッカーワールドカップ・ロシア大会は、フィールド上のプレーデータをリアルタイムに活用できるシステムが各チームに提供され、エポックメイキングな国際競技会となった。以降、敵味方の選手のデジタルデータを取得、分析しながら試合に臨むという、デジタル時代の試合運営が確立した。こうしたデジタルツイン技術を用いた試合データの取得・活用は競技の発展を後押しするものだが、データの十分な活用に対応できるチームづくりが課題となっている。

一方、観客=観戦体験のデジタルツインとは、スタジアム外の観客に臨場感や興奮をいかに体験させるかという実験だ。東京2020オリンピックでは、選手の動きをAIで分析し、加速度やトップスピードといった肉眼では判別しにくい情報を可視化して競技映像に反映させる(インテル)、カメラで捉えた選手の動きをAIでリアルタイムに切り出し、遠隔地の会場でホログラフィック映像として表示する(NTT)、メガネ型端末に情報が表示され、競技映像と同時に見ることができる(ドコモ)、といったデジタルツイン技術による観戦体験がさまざまな企業によって用意された(無観客開催により一部は一般向け公開中止)。

ホログラフィック映像で再現されたバドミントンの試合 ©NTT

また、国内のプロスポーツにおいても観戦の楽しさを家庭でも再現するために、選手や監督のリアルなアバターを作成してデジタル空間上で各選手やプレーに対して応援ができたり、観客(=サポーター)自身もアバターを持つことでさまざまな体験が可能になる「バーチャル・スタジアム」の実現に向け、多くの試みがスタートしている。

このように日本は、デジタル空間上のスポーツ体験については先進国と言っていい。実在するプロ野球やサッカーの選手、レースカーなどと対戦できるビデオゲームを、早くから開発、商品化しており、その特別な体験は世界中にファンが多い。昨今のe-スポーツの隆盛も含め、デジタルツイン技術の進展によってデジタル越しのスポーツ観戦はもう一つの選択肢ではなく、主流となっていくのかもしれない。

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物流分野でのデジタルツイン

物流業務を仮想空間に再現

アスクルはデータプラットフォーム「アスクル・シミュレータ」を構築し、さまざまな業務への実用化を進めている。これまで同社には商品の市場需要や発売後の顧客離反を予測するモデルは個々にあったが、それをつなぐシステムがなく、サプライチェーン全体を見通した検証・検討ができなかった。そこで複数のモデルを連携できる「アスクル・シミュレータ」を開発。商品や倉庫、関係事業者が動くサプライチェーンの状況をほぼリアルタイムでデジタル空間に再現し、フィジカル空間のモニタリングやシミュレーションが行えるデジタルツインを実現した。既に、事業所向けサービスにおける非在庫品から在庫品への切り替えによる売上改善予測モデル等の運用を開始している。

出光興産はデジタルツインを利用して石油タンカーの運航計画業務を最適化するシステムを構築した。同社は80隻のタンカーで国内四一カ所の油槽所に石油を分配している。天候状況や油槽所の石油残量など考慮しなければならない要素が多岐にわたることから、運航計画の作成業務は自動化することが難しく、熟練社員が担ってきた。これを効率化するため、デジタル空間上にすべてのタンカー、油槽所、製油所を再現し、さまざまな状況をシミュレーションして最適な運航計画を導き出せるようにした。実証実験では、計画に要する時間が従来の60分の1に短縮、輸送効率が最大20%向上したとのことだ。

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この記事が掲載されている冊子

No.61「デジタルツイン」

「デジタルツイン(Digital Twin)」は、現実の世界にあるさまざまな情報をセンサーやカメラを使い、デジタル空間上に双子(ツイン)のようなコピーを再現する仕組みのことです。
製造分野においては早くからこの仕組みを活用し、デジタル空間で事前のシミュレーション・分析・最適化を行い、それを現実空間にフィードバックする試みが行われてきました。現在では、IoTやAI、画像解析等の技術の進化により、さまざまな分野にその活用が広がりつつあります。
本書では、デジタルツインの全体像をとらえるとともに、今後の可能性を紹介します。また、大林組技術陣による誌上構想OBAYASHI IDEAでは、デジタルツインを活用したあらたな街づくりの在り方を描いてみました。
(2021年発行)

都市のデジタルツインの今と将来への期待

葉村真樹(東京都市大学総合研究所未来都市研究機構 機構長・教授)

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デジタルツインのフロントライン

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デジタルツインが育む「未来の建築」

茂木健一郎(脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所上席研究員)

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クローン人格

田丸雅智(ショートショート作家)

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OBAYASHI IDEA

みんなでつくるまち『OWNTOWN(オウンタウン)』 構想

構想:大林組プロジェクトチーム

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もうひとつの世界

藪前知子(キュレーター、東京都現代美術館学芸員)

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シリーズ 藤森照信の『建築の原点』(12) シャボロフカのラジオ・タワー

藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)

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