シリーズ 藤森照信の『建築の原点』(12)
シャボロフカのラジオ・タワー
藤森照信
現実の都市とは別に現実を映す架空の都市を情報空間上に作る、という今回の特集のテーマを念頭に置いて、情報化というイメージを建築上で最初に実現したのは誰で、何時、どこでのことだったのか、と記憶をたどると、まずパリの〈エッフェル塔〉が浮かんでくる。
歴史的な造形を誇るパリの屋根の海を突き破り、最新の鉄骨を駆使して電波のための塔が出現している。脱伝統、鉄骨、電波―三つ揃うが、しかし、美的には、平面における正方形といい、立面におけるアーチや装飾的細部といい、現在の情報化造形イメージとはズレる。
エッフェル塔の33年後の1922年、ちょうど今から100年前、さしてズレない塔がついに姿を現した。
情報という不可視の存在をどう建築化(物質化)するかは根本的矛盾を含むが、軽く細く薄く、の三つがもたらす透けるような印象をもって情報化とするなら、モスクワに現れたこの塔こそ最初の透ける建築にちがいない。
100年前、この塔の建設を発案し推し進めた人物は、レーニンだった。ロシアの革命を成し遂げ、世界に激震を起こしたこの人物がこの塔を欲したのは、情報の重要さを当時の世界の指導者の誰よりもよく、皮膚に刻むようにして知っていたからだ。
革命は、絶対的力を持つ者に対し、富も力も欠く側が、謀略と秘密組織と大衆動員の三つを組み合わせて挑む難事だが、三つを組み合わすには情報の流布とコントロールが不可欠であることをレーニンは、おをらく体験的に知っていた。そして、からくも革命が成功すると、自分の声が国内はむろん世界に直接届くよう熱望し、ラジオ用の電波発信塔を計画する。そして、この建設を、まだ存命だったエッフェルに託すわけにはいかないから、ロシアに求め、ウラジミール・シューホフ(1853~1939)に行きあたる。
シューホフは、モスクワ工科大学を出てアメリカに渡り、機械工学を学び、帰国後は構造技術者として石油タンカー、送油パイプ、送電塔、橋などの建設を指導し、ロシアのエジソンとも言われたそうだが、最新の鉄骨技術をあらゆる分野に応用して成果を収めたという点では、モスクワのエッフェルと呼ぶのがふさわしい。
シューホフはレーニンの期待に応えるべく、最初、エッフェル塔の320メートルを抜いて350メートルで立案したが、革命ロシアは当然のようにそれだけの鉄材はなく、およそ半分の150メートルで実現する。
実現した構造を見ると、シューホフはエッフェルより優れていた、と評したくなる。
少ない鉄骨を使って高い塔を作るには、平面は四角より円形が優れているし、円筒状構造体を作るには細い材を籠状に組むのが合理的。
合理性に従って素直に導かれた構造だったが、意外な表現上の美しさをもたらす。円筒の上辺と下辺を斜めの線で結ぶと、中央が鼓状に絞られ、そうした鼓が下から上へと径を小さくしながら積み重なると、ストッキングのような、筍のような、例のない美しさとなった。
と、今のわれわれは評価できるが、当初、この美しさは理解されなかったにちがいない。発注者のレーニンは、保守的芸術観の持ち主であったというし、設計者本人も意識的に美を求めたわけではないし、革命ロシアを席捲したロシア構成主義の造形運動も、革命の力動感を表現するには熱心だったが"透ける建築"の存在感のなさは理解の外だった。
そして、レーニンの没後、スターリンが権力を握ると、ロシア構成主義はロシア民族主義にとって代わられ、透ける建築からは、スターリンの重苦しいプロパガンダが流されてゆく。
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藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)
藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)
1946年長野県生まれ。東京大学大学院建築学専攻博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授を経て現職。主な建築作品に「タンポポハウス」「熊本県立農業大学校学生寮」「ラ コリーナ近江八幡」など。著書に『明治の東京計画』『建築探偵の冒険東京篇』『藤森照信の茶室学』など多数。
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