1997(平成9)年11月10日、療養中の取締役相談役 岡田正が死去した。本葬は11月21日、護国寺(東京)において、向笠社長が葬儀委員長として社葬の礼をもって執り行われた。
岡田取締役相談役は、1914(大正3)年大阪府に生まれ、1935年当社に入社、1944年には応召の後スマトラ島に派遣され、終戦は戦地で迎えた。復員後、1948年に本店人事部人事課長、1952年に本店総務部庶務課長、1961年には本店人事部長とおおむね総務・人事部門において経歴を重ね、1963年には米国に派遣され、繁栄を誇る米国企業の経営思想や経営管理を視察した。当時、当社は高度成長の入口に立っており、経営の合理化・科学的経営を表明していた経営首脳の意欲を示したものであった。1964年11月には取締役に就任し、1965年4月には職能給制度を導入した。これが現行の給与体系の基盤となっている。
1977年副社長、1987年副会長、1995年取締役相談役に就き、大林芳郎社長・会長の補佐役として常に経営全般に目を配り、かつ、役職員からの報告に耳を傾け、療養中であっても役職員の訪問を拒むことはなかった。
この間、社業の傍ら日本建設業団体連合会、全国建設業協会などの役員を務め、その功績により1979年に建設大臣表彰を受け、1981年には藍綬褒章を受賞した。
最後に、社葬に際して奉じられた大林芳郎会長の弔辞から一部を引用して、故人の人となりを偲ぶ。
「人事を担任されたあなたの神髄は、徹底した公正さと合理性を追求すると同時に、常に人の心を大切にする人間愛と寛大さを備えていたことでありました。瞬時に部下の誤りを見抜く眼力を、そのまま面に出さず、まずは叱らず、従業員の人格自主性を最大限尊重しながら諄々と正道を説くあなたの姿勢そのものが、いつしか当社の人事の基本になったと言っても、わたくしは決して過言ではないと思います。」