向笠社長の就任

1996(平成8)年度に好転した日本の景況に再び暗雲が漂い始めた1997年6月、津室隆夫社長は副会長となり、新たに向笠愼二社長が就任した。その直後からアジア通貨危機、日本の金融システム不安が立て続けに発生し、厳しい船出となった。

向笠社長は1998年の年頭訓示で、「『企業経営そのもの』が問われている。」として「企業活動のスピードアップとローコスト化」に向けた変革を強調し、1997年から始まっていた経営基盤の再評価と迅速性の追求を進めた。経営基盤を6分野(営業、生産、人材・組織・制度、技術、財務、情報)に分けて見直し、いずれの分野でも情報システムの構築・開発や組織の効率化および連携強化などを軸に、コスト削減や競争力強化の施策が迅速に立案・実施されていった。1998年度の当社業績は、「このような状況が続けば、さらに厳しい経営改善方策に踏み込まざるを得なくなる」(1999年度中期経営計画)ほど厳しさを増した。この危機に際し、建設業の原点である「身軽な経営体質への回帰」「工事の獲得・採算性の向上・経費の削減」を徹底させる方針が打ち出された。2000年の年頭、向笠社長は『後漢書』の「疾風に勁草を知る。」(困難の中でこそ真の強さがわかる)を引き、当社を“勁草”としていくことを呼びかけた。