日本の森林の再生

酒井秀夫(東京大学名誉教授、日本木質バイオマスエネルギー協会会長)

はじめに

先の大戦で日本は恐ろしいほど山から木材を伐り出した。戦後しばらくは台風が来るたびに、大水害が起き、多くの人命、財産が奪われた。すぐに国民総出で一生懸命に木を植えた。緑の羽根募金などを通じて、子どもながらにも、植林の大事さを植え付けられた。植林されたこれらの山が、いまはいつでも主伐(目的樹種を収穫する伐採。次代の木を成長させる準備作業を伴う)可能となっている。国土に占める森林面積の割合65%が、16世紀以来変わらないというのも世界史の奇跡であるとミシェル・ドヴェーズは述べているが(※1)、日本は国土の4分の1が人工林という、これまた人類史上類を見ない植林国家である。スギ、ヒノキは日本特産で、冷温帯樹種の豊富なことも群を抜いて世界一である。

その日本で、現在、森林が荒廃し、再生が叫ばれている。これはどうしたことなのか。山間地の第1次産業は林業が中心であり、森林の再生は地方の生き残りにも関わる。

日本人の森林難れと木材難れ

戦後、木材を求めて「奥地林開発」という言葉が生まれ、天然林が伐られ、やがてそれも足りなくなると、業界は木材輸入の自由化を農林大臣に陳情して自ら外材の導入に踏み切った。1955(昭和30)年に94.5%であった木材自給率(用材)は、みるみる低下して、1980(昭和55)年には31.7%にまで落ちていった(林野庁「木材需給表」)。国産の木材の値段も、当時の物価水準に比べて高かった。大阪の小学校で木工をするからベニヤ板の半切れを買ってくるように先生が指示したところ、実際は数百円程度なのにお母さん方が1万円札を持って材木屋に行ったという話もある(※2)。木材の高価格が、庶民にまで浸透していたという例である。当時、建売り住宅の一部のずさんな工事がニュースに流れるなど、木造住宅に対する信頼が損なわれるような事件もあった。森林ばなれの前に、木材ばなれが生じていた。本来、日本人は木造住宅を愛でる文化があった。自分へのご褒美として、施主は床柱や素材に奮発してこだわった。落語でも新居をほめに行く「牛ほめ」という話がある。与太郎が備後畳の5分べりを貧乏でぼろぼろ、天井の薩摩の鶉杢(うずらもく)をサツマイモとうずら豆と覚えて客席を笑わせている。

酒井秀夫(東京大学名誉教授、日本木質バイオマスエネルギー協会会長)

1952年茨城県生まれ。東京大学農学部林学科卒。農学博士。東京大学農学部助手、宇都宮大学農学部助教授、東京大学農学部助教授を経て、2001年に東京大学大学院農学生命科学研究科教授に就任、現在に至る。研究テーマは、持続的森林経営における森林作業、林内路網計画、森林バイオマス資源の収穫利用など。

この記事が掲載されている冊子

No.58「森林」

現在では、わが国伝統の材料である木材を、高度な集成木材(エンジニアリングウッド)のみならず、鋼鉄より軽くて強い植物繊維由来の素材であるセルロースナノファイバーなど、最先端材料に変貌させることができるようになってきました。国土の約7割が森林に覆われ、木材という豊富な資源を持つ日本で、私たちは森林とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
本号では「森林」の現状を解明するとともに、この豊かな資源の活用をあらためて考察しました。
(2017年発行)

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