1995(平成7)年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災は、マグニチュード7.3、神戸や淡路島北部では震度7の激震を記録し、死者6,434名、負傷者4万3,792名、家屋全半壊合計24万9,180棟の大災害となった。木造瓦屋根の建物が多く倒れたほか、一部のマンション、高速道路も倒壊、その映像は強烈な印象を残した。また、埋立地での液状化現象やライフラインの寸断なども生じ、耐震基準の見直しをはじめ、地震対策に多くの教訓をもたらした。
当社は、震災直後から神戸・大阪・東京にそれぞれ震災対策本部などを設置し、大阪―神戸間にヘリコプターや船をチャーターして、最大時400名以上の要員と資機材を現地に投入、全力で調査や救護、都市機能の回復にあたった。水道復旧工事101カ所、仮設トイレ1,070台などの応急対応を行い、2月に入ってからは、行政から要請された建物診断要員の派遣に対して、OBにも協力を依頼してこれに応えた。土木技術本部に急遽設けられた震災復興技術部は、得意先の要望に迅速に対応した。
緊急対応が済んだ後は、耐震防災テーマ企画委員会を設置し、建築物の耐震診断、設備・機器の耐震性向上といった項目ごとに研究開発グループを発足させた。10月には東京本社のリニューアルセンター内に耐震対策部が発足、既存建築物の耐震対応も含めたリニューアル需要に対応、現地神戸では、難航しがちなマンション再建に対するコンサルティングなども行った。
1995年8月には震災対策要綱を策定し、東京本社に震災対策本部を、当該店に現地震災対策本部を設置し、各対策本部を核として震災対策が円滑に進められるように本部の具体的組織および業務(平常時・非常時)、震災時の従業員の行動基準などを定めた。同時に、東京本社と技術研究所に建設業界としては初めて防災情報センターを設置した。平常時には、緊急時に備えて震災関連情報システムや工事実績データベースの開発・運用、非常用通信システムの整備・維持管理を行うほか、建物被害度予測や地域危険度の被害シミュレーションによる分析結果を営業、設計、リニューアルなどの業務支援として活用している。
多くの悲劇を生んだ同震災で、当社は建設業の責任と使命を改めて実感することとなった。