阪神・淡路大震災:【コラム】耐震設計

耐震設計基準の変遷

日本で最初に耐震設計に関する基準が制定されたのは、関東大震災を受けて1924(大正13)年に改正された「市街地建築物法」である。1950(昭和25)年に「建築基準法」が制定され(「市街地建築物法」は廃止)、その後地震による建物の被害が生じるたびに改正され、1981年の大改正(このとき改正された耐震設計基準は「新耐震設計法」と呼ばれる)により、現在とほぼ同じ耐震設計基準になった。

1995年の阪神・淡路大震災では多数の建物に大きな被害が生じたが、1981年の「新耐震設計法」に準拠して設計された建物の被害は比較的軽微なものが多く、それ以前に設計された建物の被害状況とは大きな差が認められた。このため、阪神・淡路大震災以降は新築建物を対象とした耐震基準に関しては大きな改定はされておらず、耐震性能の低い新耐震以前の建物の耐震化を促進すべく、「耐震改修促進法」が1995年に制定された。震災以降、学校などの公共建築物を中心として耐震診断・耐震改修の検討を行う事例は増えたが、「耐震改修促進法」には強制力がないこともあり、旧基準で設計された建物の耐震化は、あまり進んでいないのが実状である。

一方、道路や鉄道などのインフラ施設は、甚大な被害を受け、これらの構造物に対する耐震設計の大幅な見直しが行われた。その大きな特徴が、2段階設計といわれる構造物の供用期間中に発生しうる最大の地震動(レベル1)と、発生確率は極めて低い巨大地震動(レベル2)の設定で、特に、レベル2地震動に対しては、構造物の機能から損傷限界を設定する性能設計が導入された。

阪神・淡路大震災の特徴

淡路島北部、深さ16kmに震源をもつ直下型地震で、震源からの距離が小さいため、特に阪神地区に大きな地震動となった。上下動の加速度が水平動とほぼ同時刻に最大値を記録し、観測地点によっては上下動の方が大きく、これが建物の被害を大きくした一因とも考えられている。また、従来はあまりみられなかった、ビルの中間階の損傷が多くみられたのもこの地震被害の特徴の一つである。

道路施設や鉄道施設では、これまでになかった一本柱の高速道路の転倒や地下鉄の崩壊があり、その復旧には数ヵ月を要した。地震直後は上下動の影響とされていたが、その後の研究でせん断に対する強度不足が主原因であることがわかり、設計の見直しに反映された。

阪神・淡路大震災後の耐震設計

阪神・淡路大震災では、倒壊を免れたものの、大きな損傷を受けた建物の再建が大きな問題となり、大地震時の建物の損傷の程度にも注目されるようになった。これを受けて、震災後は従来の耐震構造に加えて、大地震時の建物の主架構の損傷を抑えることを目的として、制震構造や免震構造を採用する事例が増加した。また、当社独自の技術として「ブレーキダンパー」「摩擦皿ばねダンパー」など、多種の制震装置、免震装置の開発が進み、実用化されるようになった。

インフラ施設や工場施設の耐震設計基準は、一様に改定された。阪神・淡路大震災以前の設計地震動はおおむねレベル1といわれる地震動に設定されて、この地震動に対しては何らの損傷も出ないことが条件となった。これに対して、阪神・淡路大震災での観測記録を参考にレベル2地震動が設定され、経済設計の観点からこの地震動に対しては構造物の重要度に応じて損傷を許容するようになった。この設計法の見直しによって既存構造物の耐震補強が必要になったが、当社は、構造物を供用しながらの補強を効果的に行う「3Q-Wall」や「3Q-Column」などの経済性に優れた工法の開発を行った。