魚食文化の歴史―発酵魚食を中心に
佐藤洋一郎(ふじのくに地球環境史ミュージアム館長、総合地球環境学研究所名誉教授)
柿の葉寿司
日持ちしない魚の保存性をさらに高めるために、寿司を木の葉で巻いた食品も作られた。塩蔵、発酵、包装の3つの合わせ技である。奈良県下で広く知られる「柿の葉寿司」もそれである。日本には葉で巻く食品が多いが、葉で巻くことにより、香りづけ、彩り、運搬性などを利用したものとされるが、植物種によってはその抗菌性(ないし殺菌性)が知られたものもある。

柿の葉寿司は、薄く削いだ塩サバを酢飯に載せ、それを渋柿の葉で包んだものである。最近では、サバ以外にもサーモン、タイ、アナゴなども使われている。柿はその実や葉に殺菌作用のあるタンニンを含むので、その作用を利用したものと思われる。奈良県下でも紀ノ川沿いの五條市一帯は柿の産地なので、その葉を使ったのだろう。サバがどこから運ばれたかは諸説ある。一説には、和歌山県北部で上がったサバが、紀ノ川を介して運ばれてきたという。あるいは紀伊半島の熊野灘に面する紀伊長島に上がったサバを、奈良県の宇陀地方に運んだもうひとつの鯖街道があるという説もある。これについては田村勇『サバの文化誌』(雄山閣、2002年)が詳しいが、この街道の一部が、西日本を東西に走る大断層である中央構造線沿いに走ることは興味深い。
葉で巻く、あるいは葉を使ったなれずしもある。三重県熊野地方には古くからアユのなれずしがあったが、漁獲の減少や1950年代からのサンマの豊漁から、次第にサンマのなれずしに切り替わったものと思われる。さらに、その後のサンマの不漁などから、魚種はサバやカマスへと移ろいつつある。熊野のなれずしでは、ハナミョウガの葉の上に柔らかめの飯を使った棒寿司状の寿司を3週間ほど発酵させて作る。また、漬ける桶にはウラジロの葉がたくさん使われる。和歌山にも葉を使うなれずしが知られるが、ここではハラン、ダンチクなどが使われるという(農林水産省「うちの郷土料理」による)。
サバのへしこ・かぶら寿司、丹後のばら寿司
サバについて書いたついでに、日本海側のサバの保存食についてみておこう。へしこは比較的よく知られているが、専門業者の宣伝が行き届いているせいか福井県の郷土料理として紹介されることが多いが、産地は京都の丹後半島一帯にも伸びているので、若狭湾岸の郷土料理ととらえるのがよいだろう。じっさい、「うちの郷土料理」では、福井県、京都府ともへしこを取り上げている。塩をしたサバをぬか漬けにしたもので貯蔵の期間も長く塩辛いが、うまみが凝縮されている。なお、石川県一帯のフグの卵巣を発酵熟成させた「河豚の子糠漬け」もぬか漬けとして名高い。
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サバのへしこ ©アフロ
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丹後のばら寿司 ©アフロ
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サバのかぶら寿司 ©アフロ
発酵食品ではないが、丹後地方には「ばら寿司」と呼ばれる料理がある。酢飯に具材を混ぜ込むところは他地域のそれと違うところはないが、丹後のばら寿司では「鯖のおぼろ」が使われるのが特徴である。おぼろはサバの身を甘辛に煮詰めて作られるものだ。おぼろはかつては自家生産されていたが、今ではもっぱら青森県八戸産のサバ缶が使われている。ばら寿司は、今でも行事の際に各家庭で作られ「家庭の味」が残る郷土料理であるとともに、これを出す専門店もある。
サバはかぶら寿司の素材にも使われてきた。かぶら寿司は、塩漬けしたかぶらにブリの切り身を挟んで発酵させた発酵食品で、金沢市付近を中心に石川県や富山県の砺波地方で食べられてきた。富山県の南砺地方では、ブリに代わってサバが使われるが、これもかぶら寿司と呼ばれている。ブリもサバも、どちらも身や骨の柔らかい魚であるが、なぜ、海から遠い南砺地方で、腐りやすいサバが使われるようになったか、興味あるところである。
他にもある魚の発酵食品
現在では「にぎりすし」や「刺身」など生食のイメージの強い魚食であるが、おそらくそれらは相当に新しい食文化である。冷蔵や冷凍技術のなかった時代、発酵や塩蔵以外に魚を安全に長時間保存する方法がなかったのである。それらの多くは高度経済成長以後姿を消したが、一部まだ地域に残っているものがある。ここまでに紹介したものはすべてそうしたものだが、近畿や北陸以外にも各地に発酵の魚食痕跡は残されている。
広範にみられるものの一つに塩辛がある。新鮮な魚の内臓や筋肉を塩蔵したもので、とくにイカの塩辛は全国各地にある。カツオの内臓を使ったものは高知県や静岡県西伊豆の「酒盗」や沖縄県の「ワタガラス」がよく知られる。なお、ワタガラスの「ガラス」とは沖縄の方言で塩辛を意味し、他にも「スクガラス」と呼ばれる、アイゴの子魚の塩蔵などがある。スクガラスは、硬い島豆腐の上に載せられた一品として居酒屋などでもよく見かけるので旅行者にもなじみだ。塩蔵の魚介としては他にも、ナマコの腸管を使った「このわた」、ホヤの塩辛、このわたとホヤの塩辛をあえた「ばくらい」などが珍味として知られている。
魚介の発酵食としてもうひとつ書いておきたいのがくさやである。これは、伊豆諸島に残る干物の一種で、江戸時代初期に新島で生まれたという考えが有力である。新鮮な魚を開いて内臓をとり、「くさや液」という独特の漬液に浸した後、干物にしたものをいう。強烈なにおいが語源であるという。ただし強いうまみを持つために今に残ったのであろう。

おそらく、もともとは現在の干物同様、獲れた魚を開いて塩水に漬けた後乾燥させていたものが、漬液を繰り返し使ううちに発酵が進み「くさや液」になった、ということのようである。くさや液には多様な微生物が棲み、それが独特の旨味を生み出していると考えられよう。
ところでくさやの素材には、ムロアジなどいわゆる「青魚」が使われてきた。理由は不明だが、身や骨が柔らかく漬かりやすいうえ、食物連鎖の下位に位置し個体数が多いことが関係しているのかもしれない。
まとめ
日本には多様な魚食文化が育ったが、紙幅の関係から紹介することができなかったものもたくさんある。「腸内細菌」が注目され発酵食がブームとなるなどちょっとした微生物ブームであるが、その割には発酵魚食には光が当たらない。そればかりが多くがひっそり姿を消しつつある。これこそがまさに「日本の知恵」なのに。背景にあるのは減塩など、ややもすると偏った感のある健康ブームだろうか。これからの地球環境の行方や世界的な食料事情を考えると、日本の食は、やはり米と魚に回帰すると思われる。人の健康と合わせて生態系の健康、地球の健康を総合的に考え、魚の保存食、発酵食の文化とうまく付き合いたい。
佐藤洋一郎(ふじのくに地球環境史ミュージアム館長、総合地球環境学研究所名誉教授)
1952年生。京都大学大学院農学研究科修了。農学博士。専門は植物遺伝学。「和食文化学」の創生に尽力し、和食文化学会初代会長を務めた。著書に『DNAが語る稲作文明』(NHK出版)、『食の人類史』(中央公論新社)、『和食の文化史』(平凡社)など。

No.63「漁」
海に囲まれたわが国。その周辺はさまざまな魚介類が生息する世界でも有数の好漁場であり、豊かな食文化も生み出してきました。しかし近年、気候変動などにより近海での漁獲量が減少傾向にあることに加え、食生活の多様化などにより、日本の水産業が危機的状況にあるとされています。
本号では、日本ならではの海の恵みを次世代に受け継ぐことを願い、漁業の今、そして未来を考察します。大林プロジェクトでは、大阪湾を舞台に、「おさかな牧場」と名付けた環境負荷の少ない持続可能な漁場を構想しました。
(2024年発行)
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