漁あれこれ
縄文時代の漁具
海に囲まれた日本では、縄文時代にはすでに丸木舟で海へ出て魚をとっていたという。このころの漁具はイノシシなどの骨やシカの角でつくった釣り針や銛(もり)、植物で編んだ網などで、網を沈めるための石のおもりが各地で数多く出土している。
また、干潟ではアサリやハマグリ、河口近くの汽水域(淡水と海水が入り混じる水域)ではシジミなどをとった。これらの貝殻が積もってできた貝塚から出土した魚の骨により、縄文人は、海ではアジ、イワシ、サバ、マダイ、クロダイ、スズキ、カツオ、マグロ、サワラなど、川ではコイ、フナ、ウナギなどをとって食べていたことが知られている。

弥生時代からつづくタコ壺漁
大阪湾岸、瀬戸内海沿岸各所の弥生遺跡からは、いくつもまとまって穴のあいた小型の壺型土器が出土している。これは現在も行われているタコ壺漁と同じように、穴に紐を通し、複数の壺をつないで海底に沈め、狭い場所を隠れ家とするタコが壺に入ったころを見計らって引き揚げる「タコとりの仕掛け」に使ったものである。弥生遺跡出土の土器は、その大きさからイイダコ壺と推定されている。

古事記、万葉集に描かれた「川漁」
河川や湖沼では、古くから漁が行われていたことが『古事記』や『万葉集』に記されている。
安太人の梁(やな)うち渡す瀬を速み
心は思えど直に逢はぬかも
『万葉集』
梁は木や竹で組んだ簾(す)のことで、川に簗を仕掛け、そこに乗り上げる魚をとるのが簗漁である。安太(あだ)は現在の奈良県五條市の阿田、梁が渡された瀬はアユの名産地・吉野川を指す。
また『古事記』では、同じく吉野川で国つ神「贄持(にえもつ)の子」が筌(うけ)で魚をとる姿が描かれる。筌漁は、竹や小枝などをつるで束ね、先端を閉じた筒状の漁具を川に仕掛け、入ってきた魚をとる方法である。
川や湖沼では古代から中世にかけてさまざまな漁法が生まれ、発展した。梁漁、筌漁は現在も伝統漁法として各地で継承されている。


「特産品」の誕生 ―漁労から漁業へ
平安時代には人口が増加し、職業の分化が進んだ。それに伴い、水産物を他の生活物資と交換、または換金する生業としての漁業が現れ、魚介類が特産品となっていく。
律令制度のもとで地方に課せられた租税(租庸調)のうち「調」は、貨幣の代替物としての繊維製品か、郷土の特産物であった。『延喜式』(律令の施行細則)には、太平洋沿岸のカツオ、各地のアワビや昆布など、幅広い海産物とその加工品が貢納品として都に納められていたことが記されている。平安の貴族たちは、こうして全国から集めた選りすぐりの海産物を食材とし、さまざまな焼き魚や蒸しアワビなどを主菜に、海藻の汁物を添えて贅沢な食事をしていたのである。

安土桃山時代から受け継がれた沖島の専用漁場
琵琶湖の南東部、近江八幡沖約1.5kmに位置する沖島(滋賀県近江八幡市)は、国内の淡水湖で唯一の有人島である。平安時代、保元・平治の乱に敗れ、島に逃れた源氏の落武者が島民の祖先とされる。
安土桃山時代には、織田信長によって戦功のあった島民に特権的な専用漁場が与えられ、その後400年以上にわたって継承された。戦後の漁業法改正で特権が失われたいまも、沖島の漁獲量は琵琶湖漁業全体の約4割を誇る。
古くは地引網が盛んに行われ、ニゴロブナやモロコ(ともにコイ科の琵琶湖固有種)、ニゴロブナを用いてつくるふなずしが特産品となった。湖岸から沖合に向かって網を張り、アユやフナを先端部の「つぼ」に誘導する「魞(えり)漁」をはじめ、季節や魚種に合わせた多彩な伝統漁法が伝わることも沖島の特徴である。


No.63「漁」
海に囲まれたわが国。その周辺はさまざまな魚介類が生息する世界でも有数の好漁場であり、豊かな食文化も生み出してきました。しかし近年、気候変動などにより近海での漁獲量が減少傾向にあることに加え、食生活の多様化などにより、日本の水産業が危機的状況にあるとされています。
本号では、日本ならではの海の恵みを次世代に受け継ぐことを願い、漁業の今、そして未来を考察します。大林プロジェクトでは、大阪湾を舞台に、「おさかな牧場」と名付けた環境負荷の少ない持続可能な漁場を構想しました。
(2024年発行)
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描かれた漁・魚
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魚食文化の歴史―発酵魚食を中心に
佐藤洋一郎(ふじのくに地球環境史ミュージアム館長、総合地球環境学研究所名誉教授)
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海と魚と漁業の未来 ―生物多様性と環境保全
松田裕之(横浜国立大学名誉教授、同大特任教授)
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10年後の食卓―水産GXへの挑戦
和田雅昭(公立はこだて未来大学教授、同大マリンIT・ラボ所長)
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漁あれこれ
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OBAYASHI PROJECT
「大阪湾おさかな牧場」構想ーきれいな海から豊かな海へ
構想:大林プロジェクトチーム
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シリーズ 藤森照信の「建築の原点」⑭ 海草の家
藤森照信 (建築史家・建築家、東京都江戸東京博物館館長、東京大学名誉教授)
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魚文化あれこれ
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