きれいな海から豊かな海へ
「大阪湾おさかな牧場」構想
構想:大林プロジェクトチーム
古来、日本人の暮らしは有形、無形の海の恵みとともにあった。しかし近年、日本人は魚をあまり食べなくなり、地域ごとにとれる魚は気候変動などの影響により変化し、漁獲量も減少傾向にある。現代の私たちは、その多様な恵みを未来に継承していけるだろうか。
そこで私たち大林プロジェクトチームは、豊かな海と日本らしい多様な魚食文化を守るため、"海の牧場"の創生に挑戦した。自然の中の広い牧場で動物たちをゆったり育てるように、自然の調整力を活かし、海を守り魚を育む、未来の養殖・漁場のあり方の提案だ。
Ⅰ 構想の背景
日本の漁業の現在地
海に囲まれている島国、日本。その周辺は海流の影響によりさまざまな魚が集まる世界でも有数の好漁場であり、魚介類を使った豊かな食文化も生み出してきた。しかし、気候変動の影響などによる近海での漁獲量の減少傾向や漁場・魚種の変化に伴い、いま日本では、水産物の安定供給や水産業の健全な発展が課題となっている。
日本の漁業は、戦後、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと漁場を拡大することで発展し、漁業(養殖業を含む)の生産量は1984年にピークに達した。しかしその後、各国の排他的経済水域(EEZ)設定を起因とする海外漁場からの撤退、日本の漁業を支えていたマイワシの漁獲量の減少、漁場環境の悪化などにより、1988年ごろから1995年ごろにかけて急速に生産量が減少することとなった。
一方、養殖業の生産量は、2020年には漁業生産量の約24%まで増加した。しかし世界では、近年、魚食が増えた中国やインドネシア、ベトナムといったアジアの新興国において養殖業の生産量が急速に伸び、漁業生産量のおよそ6割を占めるまでになっている。日本の養殖業は世界に比べて大きく出遅れている感は否めない。
水産庁『令和4年度 水産白書』によると、漁業就業者数は1961年の69.9万人から2021年には12.9万人に減少し、2033年には9.2万人にまで落ち込むと予測されている。長期にわたり50歳代以上が半数以上を占めるものの、2000年代半ばごろから一定数の若い新規就業者が加わる傾向が続いていることは明るい兆しといえる。
世界的に見ると漁業は成長産業であり、全世界の漁業生産はこの30年で2倍になった。国土の周辺に豊かな漁場を持つ日本は、もとより漁業のポテンシャルが高く、日本政府は現在、漁業の成長産業化に向けて、資源管理やIT化などの施策を推進している。適切に資源管理を行い、スマート技術などによって生産性向上を実現できれば、再び成長産業として注目されるようになるだろう。
【漁業・養殖業の生産量推移】
魚介類の消費動向
豊かな漁場に囲まれた日本の食文化には魚介類が密接に関わっており、日本人はそのおいしさを引き出す多くの料理を生み出し、親しんできた。日本が世界有数の長寿国である理由の一つは、魚を中心とした健康的な日本食にあるとも考えられている。近年は、世界的に日本食ブームが起き、日本流の魚食文化の輪が世界に広がっている。
ところが、日本人の"魚離れ"は止まらない傾向にある。農林水産省「食料需給表」によれば、食用魚介類の1人1年当たりの消費量(供給純食料)は、2001年度以降、急激な減少傾向にあり、2011年度には初めて肉類の消費量を下回った。
ちなみに世界では、1人1年当たりの消費量は1970年から2019年までの50年間で約2倍になり、特に中国では8.4倍、インドネシアでは約4倍に増加した。日本の消費量は依然として世界平均の2倍ではあるが、世界の主要国・地域の中で、唯一、消費量が減少した国となっている。
さらに、家庭でよく購入される生鮮魚介類の種類も変化してきた。『水産白書』によると、1989年にはイカやエビのほかに、アジやサンマの購入量も多かったが、近年は切り身で売られることの多いサケ、マグロ、ブリの人気が高い。かつては地域ごとの生鮮魚介類の消費の中心は、その地域でとれるものだったが、流通や冷蔵技術の発達、調理しやすい形態で購入できる魚種の需要が高まったことなどにより、全国的にさまざまな魚介類が消費されるようになった。
また、魚介類を肉類と比較すると、健康に良いという期待やおいしさが強みとなっている一方、価格に割高感があること、調理の手間がかかることなどが弱みとなっている。家庭での消費量は減少しているが、この"魚離れ"は、"魚嫌い"を意味するものではないことを忘れてはならない。
漁業の活性化のためには"魚離れ"をなくし、もっと魚を食べてもらうきっかけとなるような効果的な情報発信も重要になってくるだろう。
【魚介類の消費量の推移】
養殖業・栽培漁業への期待
国際連合食糧農業機関(FAO)の資源評価によると、世界では過剰漁獲(海で繁殖し再生する以上の魚の漁獲)の割合が拡大傾向にある。また、沿岸域の開発と利用、陸域からの排水、気候変動に伴う海洋環境の変化など、海の生物多様性を損なう、漁業以外の要因も多く挙げられるようになっている。
そのようななか、世界人口は80億人(2022年)から97億人(2050年)に増えると推定され、それを支える食料、特に動物性タンパク質などの高栄養食材の不足が懸念されている。世界的な食料供給の不安定化が予想されるため、日本では食料自給率の向上が課題となり、水産業の振興にも取り組んでいる。
2022年3月に閣議決定された新たな水産基本計画では、「持続性のある水産業の成長産業化と漁村の活性化の実現」に向けて、①海洋環境の変化も踏まえた水産資源管理の着実な実施、②増大するリスクも踏まえた水産業の成長産業化の実現、③地域を支える漁村の活性化の推進、の3つが柱となった。
このほか横断的に推進すべき施策として、ICTなどのスマート水産技術の活用やブルーカーボンに関する取り組みが挙げられ、2032年度に食用魚介類で94%、魚介類全体で76%、海藻類で72%という自給率目標も掲げられた。
日本近海の海水温は、この100年間で1.24℃上昇しており、漁場環境を取り巻く環境は大きく変化している。漁獲量が減少傾向にある現在、水産業における養殖業や栽培漁業(※1)への期待は大きい。
※1 栽培漁業:卵から稚魚・稚貝になるまでの自然界で育つのが難しい時期は人の手で育て、その後、自然の海に稚魚を放流し、海を「育む漁場」として機能させ、成長したものをとる漁法
海に期待される役割の多様化
前記のように、海は高栄養食材である動物性タンパク質の生産の場としての役割を持つ。加えて近年は、浅海域におけるブルーカーボン生態系が持つ二酸化炭素吸収源としての役割も期待されている。ブルーカーボンとは、沿岸・海洋の生態系に取り込まれ、バイオマスやその下の土壌に蓄積される炭素のことである。つまり、海草や海藻が茂る藻場などが吸収源となり、二酸化炭素をブルーカーボンとして隔離・貯留する。そして、藻場が増えるとさまざまな生物の生息の場が増え、さらにそこにすむ生物を捕食する魚などが集まってくる。このように、藻場は地球環境に寄与しつつ、生物多様性を減少から回復に転換する「ネイチャーポジティブ(自然再興)」の実現の場としても期待されている。
急速に進んでいる生物多様性の損失は、気候変動と並び、また関連して、人類の生存を脅かす深刻な危機として広く認識されている。
2021年、G7サミットでは、2030年までに生物多様性の損失を食い止め、陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようという国際目標30by30(サーティ・バイ・サーティ)を制定。翌2022年には、国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択されてネイチャーポジティブの方向性が明示され、2050年「自然と共生する世界」に向けた国際的な取り組みを加速させた。
環境負荷の少ない持続可能な養殖方法への期待
養殖に期待がかかる一方、養殖が増えることによる弊害もある。海が過栄養(過度な富栄養化)となり、悪臭や赤潮の発生など、人間の生活や生物の生息環境に悪影響が出る懸念だ。そのため日本では環境悪化に配慮してきたが、水質がきれいになり過ぎたことにより、栄養要求性の高いノリやワカメの生育や、アサリなどの二枚貝の成長のための栄養塩が不足しているという指摘もなされている。
このようななか、過度な栄養放出は避け海を汚さない、環境負荷の少ない持続可能な養殖方法が求められるようになっている。その一つの形として、魚の残餌や養殖から排出される栄養塩を有効に活用し、食物連鎖の異なる栄養レベルの生物を組み合わせ、バランスのとれたシステムを構築する「多栄養段階養殖(IMTA)」が期待されている。
No.63「漁」
海に囲まれたわが国。その周辺はさまざまな魚介類が生息する世界でも有数の好漁場であり、豊かな食文化も生み出してきました。しかし近年、気候変動などにより近海での漁獲量が減少傾向にあることに加え、食生活の多様化などにより、日本の水産業が危機的状況にあるとされています。
本号では、日本ならではの海の恵みを次世代に受け継ぐことを願い、漁業の今、そして未来を考察します。大林プロジェクトでは、大阪湾を舞台に、「おさかな牧場」と名付けた環境負荷の少ない持続可能な漁場を構想しました。
(2024年発行)
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