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URUP工法の開発

開発の経緯

どのようなきっかけで生まれた技術ですか?

当時の技術開発テーマの一つに、交差点のアンダーパスの急速施工が挙がっていました。工期が短縮できれば、コストも下がり、他社との差別化ができる、と。技術第二部副部長(当時)三木慶造は検討チームの一員だった設計第一部部長の横溝文行から1枚の手書きスケッチを見せられ、こう言われた。「立坑のいらないシールド工法を開発できないか」。そこからURUP工法の開発は始まりました。

開発の始まりは?

「立坑のいらないシールド工法を開発できないか」と問われ、即答できなかった三木は課題を持ち帰り、懸念される点を順々につぶしていきました。発進時の反力や土圧管理、土被りが小さくても地表面に影響を与えずに掘れるのか。そして出した結論は、「できない理由がない」というものでした。三木はそれらの検討結果を横溝に伝え、2003(平成15)年4月、正式にURUP工法の開発が始まりました。

構想段階から実現までスムーズにいったのですか?

2003年秋、開発テーマとしてURUP工法を社内発表しました。しかし、当時の社内の反応は冷ややかでした。URUP工法はまだ机上の構想段階でしかなかったからです。しかし、2004年1月4日に周囲の反応は変わりました。社長の年頭訓示の中で技術開発の大切さが説かれ、併せてURUP工法も紹介されたのです。三木は、「社内の雰囲気が一変した。実験することが既定のことかのように話が進んだ」と当時を振り返ります。そこから、実験工事に向けて一気に進んでいきました。

実証実験前の懸念事項は多くありましたか?

開発に携わった機械部技術課長(当時)阪本公明も当時の状況を振り返り、こう語っています。「土被りが小さいので、モグラが通った跡のように、地面がモコモコと盛り上がるのではないかと心配していた」。検討していくうちに、地表に沈下や隆起を起こさずに掘るには、綿密な土圧の管理が鍵だということがわかりました。当時、泥土圧管理のシステムを開発中で、阪本はそれが利用できれば実現可能だと感じていました。また、技術第二部主任(当時)井澤昌佳は、「実現しようと思うと、さまざまな困難があった。技術者として考えうる要素を盛り込んで、なんとか機械に収めた」と振り返ります。

実証実験については?

開発費を抑えた実証実験の計画案を出すと、「どうせやるなら、大きくやれ」と上司に後押しされました。2004年3月、実験用のシールド機を日立造船に発注。9月にシールド機の完成を発表し、11月から実験工事が始まりました。技術研究所内で高さ2.15m、幅4.8mのシールド機を用い、長さ約100mのトンネルを、約半年かけて、2005年3月に掘り終えました。この実験が成功に終わるとすぐに審査証明を取得、URUP工法が実用化に向けて動き出しました。

実証実験を通して得られた知見は?

掘削装置の姿勢制御技術や掘り始めに問題となる地面の崩壊防止など、実際の工事でしか得られないノウハウが得られました。また、実証実験機には通常のシールド機にはない、考えうる現象に対しての技術を組み込んでいましたが、それも必要なかったということもわかりました。

URUP工法の初採用現場である大井地区トンネルの坑口の前で。左から阪本公明、三木慶造、井澤昌佳
(写真提供 日経コンストラクション)
実証実験工事担当者。地上到達したシールド機の前で。