火星の大地創成—クレーターのパラテラフォーミング
構想:大林プロジェクトチーム
人類が宇宙へ進出する未来において、火星は最も有力な居住候補天体と考えられている。地球と同様に個体表面を持つ惑星であることから、古くから多くの科学者や技術者がその可能性について議論してきた。しかし実際の火星は、希薄な大気、強い放射線、極端な低温といった厳しい環境に支配された世界である。
こうした環境を、生きものの存在を可能とするものへ変える概念にテラフォーミング(惑星地球化)がある。火星全体の気候を改変し、地球に近い環境をつくり出す。しかも単につくり出すだけではない。火星には水の流れた跡も見つかっており、過去には気候が温暖で、液体の水がかなりの量存在していた可能性がある。微生物などの生命が誕生し、生育できた環境があったかもしれないのだ。つまり、火星のテラフォーミングは過去の失われた環境を取り戻す試みともいえる。しかし、その実現には膨大なエネルギーと時間が必要とされ、技術的にも多くの課題がある。
そこで大林プロジェクトチームは、火星全体ではなく大地の一部に地球のような自然環境を再現する「パラテラフォーミング」(※1)の手法によって構想を進めた。巨大な天蓋によってクレーターを覆い、その内部に気体や水を火星の大気や地下から集め、生物を段階的に導入して緑化を進め、生きものの存在する空間につくり変える。それは雨が降り、風が吹き、森が育ち、動物たちが命を育むという地球の自然環境が、いかに奇跡的な存在であるかを私たちに教えてくれる、壮大な実験の舞台でもある。
※1 「部分的な」または「疑似的な」テラフォーミング。パラ(para)は「~に準じた」という意味を持ち、惑星全体ではなく、惑星の一画に疑似的な地球環境をつくり出すことを指す。
プロローグ—人類が抱き続けた宇宙への夢
私たち大林組は、1980年代より最先端の科学と建設技術を融合させつつ、人類が宇宙で暮らす未来を具体的かつ技術的な視点で構想してきた。具体的には、「月面都市2050」「マース・ハビテーション1(火星居住計画)」「ラグランジュ・ポイント(※2)の宇宙都市『スペース・ナッツⅡ』建設構想」「地球と宇宙をつなぐ10万kmのタワー『宇宙エレベーター』建設構想」などである(※3)。
「マース・ハビテーション1」は、食糧を自給するためのファームを備えた居住地を建設する構想だ。この構想上、2057年の火星では、概ね自給自足の生活が可能で、火星生まれの子どもが誕生し、火星全体で500人が暮らすようになっている。ちなみに、この構想の中には、地球と火星を結ぶ大型シャトル宇宙船の定期航路も登場している。
古来、人類は赤く輝く火星という惑星を畏怖し、戦いの神Marsとして象徴的に語りつつ、憧憬の気持ちを抱いてきた。
人類が火星人の存在を夢想するようになったのは、19世紀末、天文学者スキアパレッリが発見した火星の「溝(カナリ)」が、「運河(カナル)」と誤って英訳されたことがきっかけだった。火星に知的生命体が建設した運河が縦横に走っているという説が生み出され、米国の天文学者ローウェルがこの説を熱心に広めたのだ。火星は「知的生命体の住む場所」として人々の想像力を刺激し、宇宙戦争のような侵略ものから冒険物語まで、火星を題材とした多くのSF作品が生まれた。火星は人類にとって畏怖と憧憬が共存する最も身近な異世界となったのである。
しかし1965年、NASAの探査機マリナー4号が火星に接近し、クレーターだらけの荒涼とした大地を撮影したとき、火星への夢は暗雲に包まれる。火星は、大気が地球の100分の1以下で、主成分は二酸化炭素、平均気温は-60℃という生命には過酷すぎる死の世界だった。天文学者たちが見た運河は、望遠鏡の解像度の限界がもたらした錯覚にすぎなかった。
だが人類は夢を捨てなかった。火星人がいないならば自分たちが住めるのではないか。火星の環境を改造して人間が居住できる惑星に変えるテラフォーミングという新たな夢が生まれたのである。大気の濃度を上げ、温暖化を試み、水を液体の状態で維持し、自然の作用によって大地を緑化させる。現在の技術では途方もない年月とエネルギーが必要とされるが、科学者たちは真剣に検討を重ねてきた。
この間、火星表面では水が流れた痕跡などが見つかり、かつて火星は地球と同じように温暖だったのではないかと考えられるようになった。かなりの量の水が存在し、海や湖を形づくり、水による作用で表層の物質構造が大きく変化した。生命が発現した可能性もある。しかし、火星の重力が小さいこともあり、その後、現在のような乾燥した惑星になったとされる。
本プロジェクトは、パラテラフォーミングによって温暖な火星を取り戻し、大地を創成することがテーマである。近年では米国のNASAや日本のJAXAをはじめ、欧州宇宙機関(ESA)、中国、UAEなどが、サンプルリターン(火星の土壌や岩石を地球に持ち帰る)や有人探査に向けた技術開発を進め、民間企業が火星到達を目指すなど、人類が隣の惑星に足を踏み入れることは、もはや夢物語ではなくなりつつある。
こうしたなか、私たちが留意したことは、人類の利益を追求するために地球の環境をそのまま持ち込むのではなく、火星そのものの特性を生かす構想をするということだ。火星に適した自然環境を構築すること、ひいては火星の大地を再生し、緑化するプロジェクトによって得た知見を地球環境の再生のためにフィードバックすることを目指したのである。また従来、テラフォーミング研究において「緑化プロセス」は、ほとんど取り扱われてこなかった。この視点が今回の構想の大きなポイントである。
なお、テラフォーミングには、地球以外の惑星の環境を変えることや存在可能性の否定できない地球外生命体への影響といった倫理的な議論が存在するが、本構想は、あくまでも科学的・工学的な見地における可能性の追求、検証である。
※2 天体と天体の重力で釣り合いが取れる「宇宙の中で安定するポイント」。宇宙構造物の建設に適した空間とされる。
※3 季刊大林No.25「月」1987年、No.33「火星」1990年、No.41「ラグランジュ・ポイント」1996年、No.53「タワー」2012年の各構想
「火星の大地創成」への挑戦—太陽系最大の土木事業の目的とは
1「火星の大地創成」構想の趣旨
なぜパラテラフォーミングか
テラフォーミングの「テラ」はラテン語で大地・地球を意味し、それを「フォーミング(形成)」する、すなわち惑星をまるごと地球化するという壮大な概念である。太陽系で地球に最も近い環境条件を持つ火星は、古くからこのテラフォーミングの最有力候補とされてきた。重力は地球の約3分の1、1日の長さは約24時間40分、自転軸の傾きも約25.1°(地球は約23.4°)であり、同様に季節変化もある。
しかし2018年、NASAの研究チームが発表した論文が、テラフォーミングの可能性を根底から揺るがした。火星に存在する二酸化炭素の総量を精査した結果、人間が呼吸できる濃度の酸素に変換するには、圧倒的に量が足りないことが明らかになったのである。必要量のわずか7%程度しか確認できず、火星全球のテラフォーミングは実現不可能—それがNASAの結論だった。
そこで本プロジェクトが着目したのが「パラテラフォーミング」である。これは1992年に物理学者リチャード・L・S・テイラーが提唱した概念で、惑星の一部だけを地球化するという考え方だ。
今回の構想では、火星表面に存在するクレーターをできる限り光を通す天蓋で覆い、内部に呼吸可能な大気をつくり出す。クレーター数個分の大気量であれば、火星の限られた二酸化炭素でも十分にまかなえる。全球テラフォーミングに比べて必要な資源とエネルギーを桁違いに削減でき、技術的にも格段に実現性が高い。
出典:Image based on NASA Viking Orbiter public data
プロジェクトチームには、社内から宇宙工学、地球物理学、環境工学、土壌学、生態学、材料工学、地盤工学、建築工学、土木工学など、各分野のエキスパートが参加した。メンバーは火星の過酷な環境条件を詳細に分析し、パラテラフォーミング実現のための具体的な技術要素を検討した。
本プロジェクトの趣旨は3つに集約される。第一に、火星に地球の自然環境を再現し、大地を緑化すること。第二に、その過程を通じて自然環境の成り立ちの奇跡や大切さを認識すること。そして第三に、地球の環境再生について新たな視点から考えるきっかけとすることである。
地球で46億年かけて形成された大気と生態系を、短期間で火星のクレーター内に再現する。それは太陽系最大の土木事業であると同時に、地球という惑星の奇跡を改めて見つめ直す試みでもある。
なぜクレーターか
パラテラフォーミングの最大の技術的課題は、火星の大地を覆う天蓋を、いかにして構造的に成立させるかという点にある。
プロジェクトチームは当初、平坦な地表にドーム型の天蓋を架ける案を検討したが、この方式には力学的に致命的な問題があることが判明した。
火星は、大気圧が約0.006気圧とほぼ真空に近い。つまり、天蓋で覆う空間内に人間が呼吸できる気圧をつくり出そうとすると(※4)、内外にきわめて大きな圧力差が生じるのである。
この圧力差は、構造物に2つの異なる方向の力として作用する。
一つは、天蓋を内側から上向きに押し上げる鉛直方向(縦方向)の力である。これについては、天蓋自体の重さを調整し、内圧による上向きの力を重力による下向きの力と釣り合わせることが可能だ。両者がほぼ等しくなれば、天蓋に生じる構造的な負担は大きく低減され、きわめて薄い膜構造でも成立し得る。
しかし、もう一つの水平方向(横方向)に生じる力は、構造上、大きな問題となる。
天蓋の内部と外部の間に生じる圧力差(約0.5気圧)は、構造物を外側へ押し広げようとする横方向の力として作用する。そして、本構想で想定しているパラテラフォーミングの規模は、直径約50km、高さ約2.5kmに及ぶ。平坦な地表にドーム型の天蓋を設置するケースでは、内部からの巨大な横力を受け止める天蓋または周囲の構造体がないと気密性を保てない。
火星の重力が小さいことは、この問題の解決にはほとんど寄与しない。横方向に作用する圧力差は、重力の大小に関係なく発生するため、平坦地において構造物で横力を支えようとする発想そのものに無理があるのだ。
この構造的課題を解決する鍵がクレーターである。クレーターは周縁部が高く、中央部が低い。周縁部を構造物の壁として活用すれば、端部の気密性を確保しやすく、内部からの横力を受け止めることもできる。まさに天然の容器なのである。
なお、パラテラフォーミングの全体工程には地球時間で300年かかるとした。パラテラフォーミングが進んだ後も、火星の外観はほとんど変わらない。赤い大地に、天蓋で覆われた緑のオアシスが点在する姿は、まるで砂漠の中の宝石のように見えることだろう。
【クレーターのパラテラフォーミング全体工程図】
※4 本プロジェクトの天蓋内部の空間では、地球の大気と同じ酸素分圧0.2気圧の空気をつくり出し、窒素と合わせて0.5気圧とする。
No.65「大地」
生命を育み、地球の豊かな自然環境を支える大地。私たちは日々、その恵みを受けて暮らしています。大地はどのように生まれたのでしょうか。また、地球以外の惑星に、大地は存在するのでしょうか。
本号では、人々の暮らしに根づいた世界各地の色彩豊かな大地の表情を紹介し、その成り立ちについてもひもときます。また、大林プロジェクトでは、火星のクレーターに大地をつくり、生命を育む環境を創出するという宇宙規模の誌上構想に挑戦しました。大地が育む自然の豊かさ、尊さを見つめ直し、未来の地球環境を考えます。
(2026年発行)
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