130年史概観
長期不況を超えて
1989
平成元
2010
平成22

バブル崩壊、長い不況とデフレの時代へ

建設業界では、不況に加え、公共工事において制限付一般競争入札が導入されるなど、発注方式の多様化も進み、1990年代半ばごろには「生き残り」という表現がふさわしいほど厳しい価格競争が展開されるようになった。生き残るためには建設事業のプロセス全体について「事業効率」すなわち「いかに利益を生み出すか」が求められた。

当社は、早い時期から建設工事の自動化、情報化を積極的に推進、1989(平成元)年には、他社に先駆けて全自動ビル建設システム(Automated Building Construction System)を開発、公表している。リバーサイド隅田(1994年竣工)に併設された当社独身寮棟は、このシステムを用いて建設。建設技術の進歩に新たな可能性を示した。

全自動ビル建設システム(ABCS)
全自動ビル建設システム(ABCS)

耐震・免震・制振技術の開発

1995(平成7)年1月に発生した阪神・淡路大震災では、公共インフラをはじめとする多くの建造物が倒壊するなどの被害が発生し、耐震補強、免震・制振技術の重要性が増した。

そこで1996年3月に新築・改修の耐震設計ガイドラインを策定するとともに、炭素繊維を用いた補修・補強工法(CRS工法)や、鋼製パネルを用いた制振工法(Y形ブレース)を多くの建物に採用した。その後、騒音・振動を抑えて施工できる補強技術に対するニーズが高まり、3Q-Wall(2000年)を皮切りに、新技術を開発・実用化していった。

当社は1980年代に免震技術を開発、地震観測による免震技術の実証に努め、1998年6月竣工の名古屋支店ビルに自社開発の免震技術「ディスクダンパー」を採用。2000年代には電算センターなどを対象に開発した3次元免震床などの施工実績を積み重ねた。1990年代後半には高性能な自社制振工法「ブレーキダンパー」の開発に着手、現在は建造物に広く適用されている。

1999年9月には、耐震・地震防災工学の研究開発施設として、国内最大級の3次元振動台と遠心模型実験装置および超大型地盤岩盤試験装置を備えた「ダイナミックス研究センター(現在のダイナミックス実験棟)」を技術研究所に建設した。同施設の完成で、建物や土木構築物について地震時の挙動を再現した実証実験が可能となり、破壊メカニズムから効果的な対策までの確認が行えるようになった。

(参照:スペシャルコンテンツ>技術研究所)

ダイナミックス研究センター(1999年、現ダイナミックス実験棟)
ダイナミックス研究センター(1999年、現ダイナミックス実験棟)

品川インターシティへの本社移転

国内総生産(GDP)が23年ぶりにマイナス成長に陥った1997(平成9)年6月、向笠愼二が五代社長に就任。「企業活動のスピードアップとローコスト化」に向けた変革を強調し、経営基盤の見直しを開始した。あらゆる分野において情報システムの構築・開発や組織の効率化、連携強化などを軸に、コスト削減や競争力強化の施策を迅速に実施、1999年には、東京本社を品川インターシティ(港区港南)に移転、拠点を集約した。

向笠愼二
向笠愼二
品川インターシティ(1998年、大林組本社は中央のB棟)
品川インターシティ(1998年、大林組本社は中央のB棟)

20世紀の終わりのこの時期には、大型公共プロジェクトの完成が相次いでいた。東京湾アクアライン(1997年12月開通)、明石海峡大橋(1998年4月開通)、瀬戸内のしまなみ海道(1999年5月開通)などである。一方、民間大規模プロジェクトについては、川上からの組織的営業で受注確保をめざす取り組みも強化した。

向笠社長は2003年3月に「優良企業構想」を発表し、当社がめざすべき企業像と、その実現に向けて何をやるべきかを全役職員に示した。次いで2005年6月には脇村典夫が六代社長に就任し、優良企業構想を継承した。

また2003年6月には、名誉会長職に退いた大林芳郎に代わり、大林剛郎が会長に就任した。

脇村典夫
脇村典夫

さらなる海外事業拡大への布石

国内建設投資は1997(平成9)年以降、減少が続き、当社は現地法人化あるいはM&Aなどによる海外事業拡大を推進。ASEANの旺盛な建設需要を追い風として、2006年7月には、ベトナム・ホーチミン市に大林ベトナムを設立した。ベトナムでは1992年にハノイ事務所を設け、日本の政府開発援助による土木工事や日系企業の工場建設などを手がけた実績があり、それを足がかりにインフラ整備や日系企業からの受注増をめざしたのである。なお、2003年にはタイ大林において初のタイ出身の社長が誕生した。

米国では、損益責任の明確化、直轄事務所と現地法人の二重構造の解消のため、米国西部・東部の両現地事務所を廃止し、2002年7月、ロサンゼルスに持株会社の大林USAを設立(現在はバーリンゲームに移転)、既存の不動産事業会社のOCリアルエステートや、建築事業会社J.E.ロバーツ大林(1978年合弁で設立、サンフランシスコ)、E.W.ハウエル(1989年に当社子会社化、ニューヨーク)を同社傘下とした。続いて2005年11月にノースカロライナ州のJSクラーク、2007年7月にサンフランシスコのウェブコーを買収して大林USA傘下とした。

さらに2008年4月、それぞれ別個の組織として事業を展開してきた東京本社の海外建築事業部と海外土木事業部を統合し、海外支店を設置した。海外建設事業全体の損益管理を徹底するためには、情報の一元化・共有化や蓄積した知識・ノウハウを共有・深化することが重要であり、原価管理およびリスク管理機能を強化し、収益力の拡大をめざしたものであった。

(参照:スペシャルコンテンツ>グローバルプレゼンス)

相次ぐ不祥事と世界金融危機

一連の経営施策で業績回復は軌道に乗ったものの、2006(平成18)年から2007年にかけて、公共工事にかかわる不祥事が連続して発生し、社会の信頼を大きく損ねることとなった。こうしたなかで2007年6月、白石達が七代社長に就任、健全な企業風土と真の競争力を持つ企業として生まれ変わる必要があるとし、コンプライアンスの徹底の重要性について述べた。

白石達
白石達

そして2007年11月、白石社長は2008年度を初年度し、2012年度を目標年度とする5カ年計画「中期経営計画 ’08 技術を核として利益成長企業へ」を発表した。同計画は副題が示すように、競争力の源泉は技術にあるとし、めざす企業像を定め、5年後の2012年度の連結経常利益800億円の数値目標を掲げた。また、目標実現の要点として、「営業基盤の拡充」「優位技術の開発」「設計施工比率の向上」「提案力の強化」などをあげた。しかし、このあと米国リーマン・ブラザーズ証券の破綻(2008年9月)により世界金融危機が起こり、苦境のなかで計画の見直しを余儀なくされる。

中期経営計画'08
中期経営計画'08