青山士(1878-1963)

万象ニ天意ヲ覚ル者:その高邁な実践倫理

高崎哲郎(著述家)

内務技監~苦悩の時代

青山にとって内務技師最高の栄えあるポストは居心地のよいものではなかった。青山は本省勤務の経験がなく、土木現場一筋の「技術屋」である。内務省土木局長は事務官僚の最高ポストのひとつであり、内務技監はそれに次ぐ技術官僚の最重要ポストであるが、歴代工学博士号をもつ技師のみが就任してきた。青山は帝大卒の学士であって博士ではない。内務技師としては異色の経歴であり、当時、青山の技監就任は意外な人事と受け止められた。

内務技監となった青山は、就任の挨拶から一貫して官僚として自らを厳しく律するよう、同僚や部下の若手官僚に求めた。省内の派閥的動きにクギを刺したのである。

青山は内務省技術官僚の最高ポストにありながら軍部当局からマークされていた。当時技監青山を支えた技術官僚鈴木雅次は述懐する。

「内村鑑三の流れをくむその高邁なヒューマニズムが2・26事件前夜にあたる軍部順応の世相に、入れられなかったのは当然である。そして内務省首脳部の一員として、反戦的と思われる言行に対し、激しい批判の起こる気配がした」

1936(昭和11)年5月、土木学会に「土木技術者相互規約調査委員会」が設置され、技監青山は推されて委員長となる。8回の会合を重ねた後、37年12月新土木学会長大河内宗治に対して「土木技術者の信条及実践要綱」(下掲)を提出した。

要綱は、アメリカ土木学会の倫理綱領に倣ったものと指摘することも出来ようが、技術者青山の人生観そのものといってよく、簡潔にして名文である。会合での討議内容を当時の「土木学会誌」で読むと、軍国主義や国家主義的な表現が抑えられていく過程がうかがえる。

倫理綱領作成の目的について青山は、
1、土木技術者の使命感の確認、
2、土木技術者の品位の向上、
3、土木技術者の権威の保持、
を挙げている。

日本の工学会初の倫理綱領は戦時中から戦後にかけて忘れ去られる運命となり、その重要性が土木学会で再認識されるのは昭和40年代以降である。戦争や敗戦は土木技術者の倫理観も押しつぶした。

土木技術者の信条及実践要綱

土木技術者の信条

1、土木技術者は国運の進展ならびに人類の福祉増進に貢献しなければならない。

2、土木技術者は技術の進歩向上に努め、あまねくその真価を発揮しなければならない。

3、土木技術者は常に真摯な態度を持ち徳義と名誉とを重んじなければならない。

土木技術者の実践要綱

1、土木技術者は自己の専門的知識および経験をもって国家的ならびに公共的諸問題に対して積極的に社会に奉仕しなければならない。

2、土木技術者は学理、工法の研究に励み、進んでその結果を公表して技術界に貢献しなければならない。

3、土木技術者は国家の発展、国民の福利に背戻するような事業を企図してはならない。

4、土木技術者はその関係する事業の性質上、特に公正で清廉をとうとび、かりそめにも社会の疑惑を招くような行為をしてはならない。

5、土木技術者は工事の設計および施工について経費節約あるいはその他の事情にとらわれて、従業者ならびに公衆に危険を及ぼすようなことをしてはならない。

6、土木技術者は個人的利害のために、その信念を曲げたりあるいは技術者全般の名誉を失墜するような行為をしてはならない。

7、土木技術者は自己の権威と正当な価値を毀損しないように注意しなければならない。

8、土木技術者は自己の人格と知識経験とによって、確信ある技術の指導に努めなければならない。

9、土木技術者はその関係する事業に万一違法であるものを認めたときはその匡正(きょうせい)に努めなければならない。

10、土木技術者はその内容が疑わしい事業に関係しまたは自己の名義を使用させるようなことがあってはならない。

11、土木技術者は施工に忠実で事業者の期待に背かないようにしなければならない。

備考:本信条および実践要綱をもって土木技術者の相互規約とする。

技監退職と晩年

青山は1936(昭和11)年11月17日、内務技監を退任する。昭和10年度末、土木局長岡田文秀は、技術官僚首脳部の「人事刷新」を名目に大異動の断行を発表した。これに対して、岡田が技術官僚の意向を無視して人事権をタテに人事異動を強行したとして、技術官僚が激怒し内務省まれに見る一大内部対立に発展した。

内務省は帝大法学部卒の事務官僚の砦のひとつであり、1873(明治6)年の発足以来約70年の歴史の中で、土木局長となった官僚は43人を数えるが、この内技術官僚はわずかに2人(6代古市公威と最後の43代岩沢忠恭)だけである。

青山ら技術官僚首脳は憤然として撤回を強く求め、容れられないと見るや青山以下5人の技術官僚幹部(勅任官)の辞職願を岡田に突きつけるという異例の事態に発展した。「事件」は内務大臣潮恵之輔までも動き出す事態となった。青山は同僚や部下を説得し辞職願を撤回させ、自らは「事件」の責任を半ば取る形で内務省を去った。

戦後は郷里の磐田に帰り余生を送る。1947(昭和22)年秋、カスリーン台風の直撃により、利根川と北上川の流域では未曽有の大洪水が発生し、死者行方不明者1,930人に上った。この大水害のため、青山は昭和24年から建設省(当時)の要請により荒川計画高水量検討委員会の座長となって都市河川・荒川の洪水防止策を練り直す。

土木学会の「土木ニュース」昭和24年1月15日号のアンケートに71歳の青山は答えている。

1、今年やりたいと思うこと、やって欲しいと思うこと。
土木技術に対する認識と尊重と協力とをより広く社会に呼懸け求めて、人類福祉の増進に尽されん様に、又自らも尽したいと存じます。

2、最近読まれた図書の感想。
東京「理想社出版部」、The Epic of America by J.T.Adamsの木村松代、原田のぶ子さん達によって訳されたる米国史。北米合衆国の現在世界に重きをなして居る所以。民主主義政治の起源。米人の闘志を感激す。

3、今まで最も思い出となった仕事について。
中央アメリカパナマ運河工事。其工事に1904年から1911年迄、従事し、帰朝後今に至る迄(戦争中は中絶)2人の米国人同労者(Co-worker)と音信を交して居ること。(元内務技監)。

敗戦国日本の打ちひしがれた土木技術者にその原点(人類福祉の増進)に立ち返れと訴えている。青山は1950(昭和25)年土木学会名誉会員に推挙された。

1963(昭和38)年3月21日未明、「富士山が見えるところがいい」と磐田市河原町の自然の残る高台に建設した自宅で老衰のため息を引きとった。享年86。

逝去から1カ月後の4月21日、東京・学士会館で内村鑑三門下生と青山家の遺族らが集まり「青山士追悼会」が開かれた。元東大総長南原繁が信仰の友(内村門下)を代表して追悼文を読んだ。

「われわれの生れたこの地―洪水が襲い、疫病がはびこるこの大地―を、少しでも良くして、後代に残したいというのが、神から示された青山さんの生涯の使命であったのである。宗教的信仰さえもが大きなマス・コミの波に流されている時代に、彼はその一生、おそらく信仰について、1片の文章も書かず、1度の説教も試みたことはなかった。ただ黙々と、己が命ぜられた『地の仕事』に、すべてを打ち込んだと言っていい。

だが、彼は一介の技師ではなかったと同時に、また、いわゆる世のクリスチャンとは異なって、その信仰は地に着いていた。人間的な教養と日本的=東洋的な趣味に豊かで、漢詩や俳句も愛誦した。それは青山家父祖伝来の精神かと思われるが、彼はよくその土台にキリスト教信仰を接木した人と称してよいであろう」

青山は「神から示された生涯の使命」を確実に実践し神のもと(御国)に帰っていった。

参考文献

  • 高崎哲郎『評伝 技師青山士 その精神の軌跡』鹿島出版会 2008
  • 土木学会図書館文献
  • 筑波大学附属図書館資料
  • 『日本の理想』南原繁
  •    

    高崎哲郎(著述家)

    1948年栃木県生まれ。東京教育大学(現筑波大学)文学部卒。NHK政治記者などを経て、帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)。この間、自然災害(特に水害)のノンフィクション、土木史論、人物評伝など30冊余りを上梓(うち3冊が英訳)。東京工業大学、東北大学などで非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技術者(主に技術官僚)を講義し、各地で講演を行なう。現在は著述に専念。主な著作に『評伝 技師青山士』『評伝 工学博士広井勇』『評伝 国際人・嘉納久明』『評伝大鳥圭介』など。

    この記事が掲載されている冊子

    No.60「技術者」

    日本の近代化はごく短期間で行われたとしばしば指摘されます。国土づくり(土木)では、それが極めて広域かつ多分野で同時に展開されました。明治政府はこの世界的な大事業を成し遂げるために技術者を養成。その技術者や門下生らが日本の発展に大きな役目を担いました。
    今号は、60号の節目を記念し、国土近代化に重要な役割を果たした「技術者」に注目しました。海外で西洋技術を学んだ黎明期から日本の技術を輸出するようになるまで、さまざまな時期における技術者が登場します。
    時代を築いたリーダーたちの軌跡を見つめ直すことが、建設、ひいては日本の未来を考える手がかりとなることでしょう。
    (2020年発行)

    座談会:近代土木の開拓者

    樺山紘一(東京大学名誉教授、印刷博物館館長)
    月尾嘉男(東京大学名誉教授)
    藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)

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    総論:近代土木の技術者群像

    北河大次郎(文化庁文化財調査官)

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    【古市公威と沖野忠雄】 「明治の国土づくり」の指導者

    松浦茂樹(工学博士・建設産業史研究会代表)

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    【ヘンリー・ダイアー】 エンジニア教育の創出

    加藤詔士(名古屋大学名誉教授)

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    【渡邊嘉一】 海外で活躍し最新技術を持ちかえる

    三浦基弘(産業教育研究連盟副委員長)

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    【田邊朔郎】 卒業設計で京都を救済した技師

    月尾嘉男(東京大学名誉教授)

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    高橋裕(東京大学名誉教授、土木史家)

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    小野田滋(工学博士・鉄道総合技術研究所担当部長)

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    近代土木の開拓者年表