座談会:近代土木の開拓者

樺山紘一(東京大学名誉教授、印刷博物館館長)
月尾嘉男(東京大学名誉教授)
藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)

今号の「季刊大林」は、60号の節目となるのを記念して、土木建設の分野を担い、支える存在である『技術者』をテーマとし、その近代化に大きな功績を残した先人たちを紹介している。

本編に入る前に、明治期の技術者から学ぶべきこと、今の時代の技術者が向かうべきところなどについて、樺山紘一、月尾嘉男、藤森照信の3名の「季刊大林」編集顧問に、テーマを俯瞰しながら語り合っていただいた。

月尾 現在の日本は、明治維新の時期と同じような危機感を持つべきです。それを伝えるのが、明治期の先人たちの遺したものを見直す今号の重要な役割だと考えています。
なぜなら、情報社会への転換に出遅れているからです。通信技術に関する基本特許の多くは米中が握り、「GAFA」や「BAT」と呼ばれる米中の大手IT企業が猛威を振るっています。かつて世界の首位であった半導体、自動車、工作機械などの産業は、勢いを失っています。
企業の時価総額順位を見ても明らかです。1990年前後は、世界の上位20社の7割が日本企業でしたが、2019年の順位を見ると、上位50社の中にさえトヨタ自動車1社しか登場しません。
明治維新の直前、20歳前後の若者が海外を訪れると、そこには国内とは全く異なる世界が広がっていた。日本はこれからどうなるのかという危機感を抱き、死に物狂いで勉強したのです。このような危機感を取り戻さないといけません。

藤森 同感です。欧州諸国が時間をかけて近代化してきたのに対し、日本はわずか20年で近代化を成し遂げました。明治期同様、時代が大きく変わろうとする中で、建設業が近代化にどう貢献してきたか、再評価する必要があります。

樺山 当時、欧州諸国は産業革命の成熟期を迎えていました。ほかの国に伝達可能な技術が生まれ、伝達しようという使命感も育っていました。これが、19世紀後半という時代が持つ世界史的な意義です。それから150年、日本は再び大きな転換点を迎えています。鎖国の時代と違って海外の情報はふんだんに得られますが、国際社会の変質ぶりはあまりに早い。明治期に倣って、将来への課題を見付けなければなりません。

月尾 危機感と同時に欠けているのが、屈辱感だと思います。工部大学校で実質的な校長を務めたヘンリー・ダイアーは新渡戸稲造の『武士道』を読み、「日本の若者が勉強に励む理由は世界から劣等国と見下されている状況をはね返したいからである」という見方に大いに共感します。背景には、不平等条約といわれる安政五カ国条約の締結があります。
現在の日米・日ロ関係に目を向ければ、いまでも屈辱的な状況にあります。そうした中で国際的な地位を高められる唯一の手段が技術です。技術をよりどころに地位向上に努める必要があるという点でも、同様の状況だった明治期を見直す意義があります。

樺山 今号には、その新渡戸稲造の父と祖父が登場します。この2人は将来をにらんだ民の発想で現・青森県十和田市の三本木原開拓に取り組みました。幕藩体制の下で進められてきた新田開発とは違う考え方です。そうした時代の変化を、海外に学んだわけではない地方の人も感じ取っていたのです。そこにも、明治期の面白さがあります。

藤森 近代化に向かう時、投資をどこに振り向けるかという視点も重要です。それを、産業革命期のパリを例に調べた研究があります。驚いたことに、産業への投資とパリという都市への投資額が並んでいる。

樺山 フランスはそれで産業革命が遅れたとも指摘されています。産業開発を優先すれば、技術力から考えて英国やドイツに引けを取らなかった、と。

月尾 しかしパリに投資したおかげで、フランスはいま観光で稼げるようになっているという逆の見方もできます。

藤森 明治政府が偉かったのは、都市改造に向けて優先度の高いものから順に投資した点です。まず手を付けたのは、銀座煉瓦街の建設です。国費の4割を投じました。
耐火は明治期の重要なテーマでした。江戸幕府は大火をあまり防ごうとせず、燃えた町の再建を繰り返してきました。大火とは100軒以上が被災する火災です。ところが幕末には、拡大再生産に向けた資本蓄積の観点から、経済学者が大火の防止を主張するようになります。その後、東京府知事を務めた松田道之は1881(明治14)年に東京防火令を発し、町の耐火を進めました。
次に手を付けたのは、市区改正と呼ばれた都市改造です。松田の後を継いだ東京府知事・芳川顕正は「道路橋梁及河川ハ本ナリ水道家屋下水ハ末ナリ」との考えの下、道路、河川、鉄道、橋梁の計画を優先させました。インフラの整備を急いだわけです。

月尾 明治期に急速な近代化を成し遂げられた下地には、藩校や郷校(ごうこう)という江戸期の教育機関があったと思います。明治期に人材を輩出した工部大学校や札幌農学校で学んだ若者の多くは、それらの出身です。郷校から札幌農学校を経て土木技術者になった廣井勇のノートは、素晴らしいものです。学んだことが克明に記録されています。

樺山 工学分野に限りません、人文科学や社会科学の分野で名を残した人たちも同じように藩校・郷校で学んでいます。例えば島根県津和野町出身の哲学者・西周(あまね)がそうですね。留学とともに瞬く間に英語を習得し、哲学用語の翻訳を手掛けました。藩校・郷校が、学問への取り組み方を徹底して身に付けさせていたのです。
最初は意味が分からないものの、繰り返し読むうちに分かるようになっていく。それにはかなりの努力が必要です。つまらないことの繰り返しは教育にならないという風潮もあるけれども、そんなことはありませんね。

藤森 明治期の人たちが努力できたのは、海外から学ぶべきことがはっきりしていた時代だからという事情もあると思います。ところがいまは、どうでしょうか。少なくとも建築は、海外から学ぶことはなくなった。戦後の建築界をリードしてきた建築家は、丹下健三にしても磯崎新にしても留学していません。そこは、明治期とは大きく異なります。

月尾 急速な近代化を成し遂げられた下地には、国家という概念をしっかり持っていたという時代背景もあると思います。当時は、欧米の列強が日本を狙っていた。国家を維持するために国力を上げなければという思いは、誰もが抱いていたのではないでしょうか。

樺山 明治維新まで日本は260以上の藩に分かれていました。それが、維新を境に1つの国家としてまとまろうとします。列強の圧力に抗するには、それしかなかった。以降40年をかけて、国家をどう守っていくか、体制を整えていきました。

月尾 青山士(あきら)や八田與一も国家のためを思って尽力しました。青山はいずれパナマ運河の開削技術が日本に必要になると、単身渡米しその開削工事に携わりました。八田は当時、植民地だった台湾を豊かにすることが日本のためになると、現地でダム建設などの土木工事に取り組みました。
当時の土木技術者はなぜ、非常に高い能力を発揮できたのか不思議に思います。例えば田邊朔郎が琵琶湖疏水の建設工事を現場監督として担当したのは、工部大学校を卒業したばかりの20代。廣井勇にしても30代で小樽築港に携わり、築造した防波堤はいまでも役立っています。私も20代で両親の家を設計していますが、雨漏りがしばらく止まりませんでした(笑)。

樺山 当時は平均余命が約40年という時代ですから、成熟が早かった。人生100年時代に入って、成熟が遅くなっているのでしょう。

藤森 面白いのは、海外に留学したほとんどの若者は、日本に帰国し、日本のために学んだことを生かしていることです。使命感が強い。

樺山 確かに、オーバーシー・チャイニーズはたくさんいますが、オーバーシー・ジャパニーズはそういません。外国にコミュニティはつくるものの、日本文化に基づく社会体制を打ち立てた例はありません。

月尾 冒頭申し上げたように、いまの日本は明治期と違って危機感や屈辱感を欠き、国家の意識が薄れ、教育にも期待できません。それでも、建設分野に発展の可能性はまだ残されています。今後、頼りにできるのは、伝統の力ではないかと思います。
具体的には、木造技術です。これなら、2000年の伝統を携えて世界に打って出られるのではないかと期待しています。

樺山 アフリカや中近東などの建築では、石を利用しているように見えますが、実際には土を固めて利用しているだけです。ただそれでは、自然災害に弱い。そこに、木造の技術を持ち込めば、世界に貢献できます。これらの国々は日本の建築技術の世界的プレゼンスを発揮できる重要な場所ではないでしょうか。

月尾 ただ、ツーバイフォーやCLT(直交集成板)など海外で生まれ育った木造技術が広まっていますから、安閑とはしていられません。

藤森 薄く、軽く、繊細という、木造技術が生んだ日本独自の美学も、競争力になります。さまざまな材料で、この美学を生かせばいい。

月尾 木は燃やせばCO2を排出する一方で、空気中のCO2を取り込み、炭素を固定するカーボンニュートラルな存在です。木材として建築物に用いれば、その炭素はいつまでも固定されたままですから、環境問題に貢献できます。

藤森 しかし土木構造物は、木造でつくるわけにはいきません。

月尾 土木では、納期や予算を守る責任感の強さで勝負するほかありません。

樺山 そうですね。私たちには当たり前のように思えますが、欧州の現場を見ていると、決してそんなことはありません。

藤森 欧州では最も責任感の強いドイツでさえ、怪しい。

月尾 木造建築という技術的な伝統、工期を守るという社会的な伝統、これらを携えれば、世界で勝負できます。
ただ、新しい価値を生み出そうというイノベーション志向は残念ながら弱い。ユニコーン企業は数えるほど。多くは米中の企業です。飢餓感が足りません。そこは、社会全体で醸成していかなければなりません。

藤森 今後のテーマは情報化ですね。

月尾 建設業では、設計、施工、メンテナンス、それぞれの段階でICT(情報通信技術)を活用していく必要があります。

樺山 メンテナンス技術は、とても重要です。構造物をつくる技術は確立されていますが、それを維持する技術はまだこれからです。

藤森 日本の土木構造物がここまで早く寿命を迎えるとは、思ってもいませんでした。その象徴は砂防ダムです。欧州と違って大量の土砂が流れ込みます。メンテナンスは必須です。そうした環境が、メンテナンス技術を育てていくと思います。

月尾 メンテナンス技術を支えるものとして注目したいのは、センサーです。いまは安価になりましたから、さまざまな場所に利用できます。建物に取り付ければ、地震の後、どこが危ないか、センサー情報を基に判断することが可能です。

樺山 出来上がった構造物をいかに安全な状態に保てるかが重要です。何をつくるか以上に、いかに安全を保つかが、重要な課題になっています。そうした課題の解決に、センサーは非常に有用ではないかと思います。

月尾 次世代通信規格「5G」のさらに先の「6G」もすでに研究が進んでいます。センサーの電源をどう確保するかという課題に応える技術も登場しています。今後は、建築・土木におけるセンサー利用の分野でイノベーションを期待したいと思います。

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樺山紘一(東京大学名誉教授、印刷博物館館長)
月尾嘉男(東京大学名誉教授)
藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)

この記事が掲載されている冊子

No.60「技術者」

日本の近代化はごく短期間で行われたとしばしば指摘されます。国土づくり(土木)では、それが極めて広域かつ多分野で同時に展開されました。明治政府はこの世界的な大事業を成し遂げるために技術者を養成。その技術者や門下生らが日本の発展に大きな役目を担いました。
今号は、60号の節目を記念し、国土近代化に重要な役割を果たした「技術者」に注目しました。海外で西洋技術を学んだ黎明期から日本の技術を輸出するようになるまで、さまざまな時期における技術者が登場します。
時代を築いたリーダーたちの軌跡を見つめ直すことが、建設、ひいては日本の未来を考える手がかりとなることでしょう。
(2020年発行)

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