総論:近代土木の技術者群像

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

明治日本の近代化がごく短期間で行われたことはしばしば指摘されるところだが、土木について言えば、それが極めて広域かつ多分野で同時展開した点も、特徴として挙げることができる。東京の首都改造はもちろん、北海道の開拓、東北開発、開港五港の整備、木曽川・淀川などの河川砂防工事、琵琶湖疏水、児島湾干拓、九州の鉱山開発、鉄道・灯台の全国ネットワーク整備など、都市部だけでなく、原野や山間部、沿岸部を含む列島各地で、多岐にわたる工事が一気に展開した。

この世界的な大事業を成し遂げるために、明治政府が講じた重要施策の一つが、技術者の養成だった。当初それは、文部省の旧東京大学、工部省の工部大学校、開拓使の札幌農学校など、所管を異にする学校施設で多面的に展開した。これは、各省庁が官僚や業界のリーダーを養成するフランスのグランゼコール式に近い。ただ、明治中期以降は、この複数の学校が文部省所管の帝国大学に集約され、その一方で高等工業学校の新設や、私立学校の充実が図られることで、事業のニーズに応じた技術者教育が拡充していく。

本号は、こうして養成された技術者の紹介を通じて、近代土木の歴史を振り返っている。ただ、橋、ダム、鉄道、港湾、都市など関連分野が多岐にわたり、扱う時代の幅も広いため、個々の論考の関係が見えにくい。そこで、まずは本号に関係する日本人技術者を、世代に分けて概観し、その全体像に迫りたいと思う。その上で、世代を超えた近代土木の特徴を抽出して、建設の将来を考える手掛かりとしたい。

技術者の4つの世代

扱う技術者の範囲によって、世代分けの方法は異なるのだろうが、今回紹介する日本人技術者に限って言えば、彼らが受けた教育や国土近代化に果たした役割から、以下の4つの世代に分けられるかと思う。

まずは、日本に高等教育制度が確立される前に、海外で直接西洋技術を学んだ古市公威、沖野忠雄(いずれも1854年生)の世代である。彼らは、国の行く末の見えない切迫感の中で、新たな国家建設のリーダーとしての期待を背負って、文部省貸費留学生として西洋に派遣された。同じメンバーには、小村寿太郎、鳩山和夫、穂積陳重らがいた。帰国後は、まずお雇い外国人と協働し、その後は彼らに代わる存在として、国土整備または技術者教育の揺籃期を支えた。そして、インフラに関わる基本法の整備にも携わりながら、明治の土木界で主導的役割を果たし、後進が歩むべき道を切り開いていった。また古市については、産業、科学、国際交流の世界でもリーダーシップを発揮したことが知られている。

次に登場するのが、渡邊嘉一(1858年生)、田邊朔郎(1861年生)、廣井勇(1862年生)である。冒頭で紹介した、日本版グランゼコール時代に工学を学んだ技術者である。いずれも、プロジェクト(渡邊のフォース橋)、受賞(田邊のテルフォード賞)、出版(廣井の『Plate-Girder Construction』)という形で、日本での学習成果が海外でも通じることを実証し、国内においても、第一世代が切り開いたフロンティアをさらに拡張する役割を果たした。それぞれ独自の道を歩んだ3人ではあるが、関門海峡横断という近代日本を代表する世界的プロジェクトで、その歩みが交差しているのが興味深い。きっかけは1910(明治43)年の実業家速水太郎による『関門架橋論』であった。その翌年、渡邊が澁澤榮一、福澤桃介、大林芳五郎らと共に関門海峡に「英国有名なフオース橋を東洋に現出せしめる」(『岩下清周伝』より)構想を発表すると、鉄道院も廣井に橋梁案、田邊にトンネル案の作成を依頼し、廣井が同じくフォース橋を想起させる大トラス橋を設計することになる。結局、鉄道当局がトンネル案を採用し、その後実現した世界初の海底トンネル・関門隧道が脚光を浴びる結果となるが、その背景には、世界を股にかけた3人に相応しい、大プロジェクトの競演があったわけである。

第三の世代は、島安次郎(1870年生)、直木倫太郎(1876年生)、青山士(1878年生)である。旧東京大学と工部大学校を統合した帝国大学で学んだ初期の技術者にあたる。彼らが活躍する明治後期から昭和初期には、日本の行政機構が整えられ、それまで単発的に行われてきた公共事業が、国の長期計画に基づき実施され始めていた。この3人は、その中枢にあって鉄道、港湾、都市整備、河川の各分野を牽引している。また、彼らが指導的役割を果たした関東大震災後の帝都復興事業や満州の総合開発は、20世紀の科学と技術の発展を背景に、大きく変貌しつつあった国土・都市整備の世界的潮流に対応する大事業でもあった。さらに世界との関係でいえば、直木の技術者論も、技術力を背景に英仏に代わって台頭し始めた米独の動きに呼応するものだったといえる。

本号で紹介する最後の世代が、八田與一(1886年生)と宮本武之輔(1892年生)である。本来この2人は第二世代の廣井勇から強い影響を受け、国の体制が整えられた時代に活躍したという意味で、第三世代の技術者と区別を付けにくい。しかし、第三世代の背中を追いかけながら、地域経営、国家経営への意識をより具体的な形に表したという点で際立っており、あえて分けて考えたい。八田は、巨大な灌漑用ダムを中心として、建設や農業を営む人々のための住居、病院、学校、スポーツ施設などを含む総合開発を台湾で実現した。これは鉱山町建設の発想に近い地域経営基盤の好例といえよう。片や宮本は、外地には赴かずに政府の中枢に残り、直木の技術者論に感化されながら、テクノクラートによる国家経営の実現に奔走した。それぞれ土木との関わり方は対照的だが、先人の成果や思いを総合して、単なるものづくりではない、社会的・国家的課題を解決する近代技術者の姿を体現したという点で共通している。

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

1969年静岡県生まれ。東京大学土木工学科卒、エコール・ナショナル・デ・ポンゼショッセ博士課程修了。フランス国博士(国土整備・都市計画)。帰国後文化庁に入庁し、パリ大学客員講師、東京大学客員教授、文化財保存修復研究国際センター(イタリア)プロジェクトマネージャーなどを経て現職。著書に『近代都市パリの誕生』(サントリー学芸賞)、『図説近代日本土木史』(共著)など。

この記事が掲載されている冊子

No.60「技術者」

日本の近代化はごく短期間で行われたとしばしば指摘されます。国土づくり(土木)では、それが極めて広域かつ多分野で同時に展開されました。明治政府はこの世界的な大事業を成し遂げるために技術者を養成。その技術者や門下生らが日本の発展に大きな役目を担いました。
今号は、60号の節目を記念し、国土近代化に重要な役割を果たした「技術者」に注目しました。海外で西洋技術を学んだ黎明期から日本の技術を輸出するようになるまで、さまざまな時期における技術者が登場します。
時代を築いたリーダーたちの軌跡を見つめ直すことが、建設、ひいては日本の未来を考える手がかりとなることでしょう。
(2020年発行)

座談会:近代土木の開拓者

樺山紘一(東京大学名誉教授、印刷博物館館長)
月尾嘉男(東京大学名誉教授)
藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家・建築家)

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総論:近代土木の技術者群像

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

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【古市公威と沖野忠雄】 「明治の国土づくり」の指導者

松浦茂樹(工学博士・建設産業史研究会代表)

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【ヘンリー・ダイアー】 エンジニア教育の創出

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【田邊朔郎】 卒業設計で京都を救済した技師

月尾嘉男(東京大学名誉教授)

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近代土木の開拓者年表