東日本大震災

2011(平成23)年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した。東北地方から関東地方の沖合まで広範囲な震源域を持つマグニチュード9.0の巨大地震と地震により発生した津波により、東北地方から関東地方の太平洋沿岸を中心に壊滅的な被害をもたらした。

当社は地震直後より対策本部を設置するとともに、初動対応として従業員の安否確認、施工中物件の状況確認および二次災害の防止措置、調査隊の派遣、施工済み物件の被害調査を行った。

土木部門では、専門技術者を緊急招集し、上空からはヘリコプターで、地上からは車2台で現地に乗り込み、ダム、鉄道、道路の被害状況、津波被害の状況調査を行った。建築部門では、施工実績を基に調査を必要とする建物をピックアップするとともに、応急危険度判定士の資格保有者を中心に約30組の初動調査チームを編成、12日から営業担当者、現場担当者とともに診断・調査を開始した。従業員については、阪神・淡路大震災後に導入したパーソナルコンピュータ、携帯電話を介した安否確認システムにより従業員の無事を早期に確認することができた。

初動対応に続いて、建設業本来の役割である復旧工事と物資による支援を行った。当社施工物件については、地震による建物の全壊などはなかったものの、天井の落下、クラックの発生、外壁の剥離、生産設備の損壊が発生していた。建築部門ではこうした被害に対し、初動の診断・調査を基に顧客の要請に応じた応急復旧工事を実施し、3月末には東北地方と関東地方の約2,200件について初期対応を完了した。土木部門でも東北新幹線、常磐自動車道などの重要な交通インフラの復旧工事を担当した。また、福島第一原子力発電所では使用済燃料貯蔵プールの冷却作業を担当した。当時、国内には3台しかなかったブーム長52mを有するドイツのプツマイスター社製のポンプ車をいち早く準備し、東京機械工場(川越市)でノズル加工などを行った後現地に投入、散水による冷却作業にあたった。こうした復旧工事や現地対策本部には全国から支援要員が派遣され、4月末までの派遣者は192名に達した。当時は現地に乗り込む交通手段が非常に少なかったため、3月16日から4月16日まで本社と東北支店の間に延べ63便の大型バスの定期便を運行し、職員と物資の輸送に対応した。
また、日本土木工業協会(現、日本建設業連合会)会員会社として、国土交通省東北地方整備局の要請に基づいて、照明・暖房・発電機・燃料などの調達と被災地への輸送を担当した。

物資支援については、上記の要請以外に発電所の被災により停電、計画停電となった顧客からの依頼に対して発電機延べ599台(46,651kVA)を調達、支援した。そのほか、飲料水(35kℓ分)、仮設トイレ(580台)、ディーゼル車(40台、ガソリン不足に対応)、燃料(軽油74kℓ、灯油22kℓ、ガソリン37kℓ)、高所作業車(15台)、散水車(8台)、仮設ハウス(51棟)、ブルーシート(約6,000枚)のほか、食料、日用品(衣類、衛生・家庭用品、暖房・調理用品)などを調達し、物流の拠点とした東京機械工場から被災地への緊急輸送便は、トラック延べ130台に上った。

当社は、復旧工事に続く復興工事については、宮城県亘理地区がれき処理工事(JV)、警戒区域、計画的避難区域等における除染モデル実証事業(JV)、福島市渡利地区における放射線除染業務(JV)、伊達市保原町富成地区除染業務を受注している。