総論:近代土木の技術者群像

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

シヴィル・エンジニアの本義とのずれ

2つ目は、近代日本の土木技術者に、本来のシヴィル・エンジニアとは異なる性格づけがなされたという点である。

18世紀イギリスに誕生したシヴィル・エンジニアの中心は民間技術者であった。事業主と直接契約して、石橋などを建設する職人や建築家に代わって、産業革命の最新の成果を取り入れながら、運河のような大規模で複合的な施設を建設する民間技術者である。彼らは、事業主に代わって行政から許認可を取得し、複数の職種に及ぶ請負を指揮して事業全体、つまり計画・設計から施工管理のすべてを統括する建設コンサルタントの役割を果たした。

こうした人材がシヴィル・エンジニアの主流をなしたことは、歴代の英国土木学会会長の顔ぶれを見ても明らかである。彼らの多くは政府機関に属さず、自らの才覚で状況を切り開く個人経営者であった。それは、ハーバート・スペンサーが『社会静学』の中で指摘し、サミュエル・スマイルズが『自助論』(邦題『西国立志編』)で描いた、自助の精神で成功をつかみ取る近代英国人のまさに典型的な存在であった。

これとは対照的に、村松貞次郎が「官僚工学」と表現したように、日本の土木の主流は官僚であった。世界的に見れば、これはフランスの伝統に近い。ただフランスは、イギリスからシヴィル・エンジニアの概念を導入する際に、旧来存在した土木官僚Ingénieur des Ponts et Chaussées(直訳すれば橋と道の技術者)の概念を温存しながら、Ingénieur civilという別の職業概念を生み出している。これに対して、日本では十分な概念整理がないまま、官民の技術者をひっくるめて全て土木技術者と言い表してきた。

そもそも、Architectという1つの概念が、西洋の複数の言語で通用する建築分野と異なり、インフラに関わる技術者は英語のCivil Engineer、フランス語のIngénieur des Ponts et Chaussées、ドイツ語のBauingenieur(建設技術者)、オランダ語のWaterbouwkundige(水工学者)など、各地の自然や歴史を反映して個別に概念化されてきた。と同時に、基本的にこれらは別の概念であるため、意味が一対一で対応せず、場合によってはフランスで行われたような概念整理が必要となる。特にシヴィル・エンジニアという言葉は、字面だけ見れば最も抽象的な表現で、その歴史的背景を知らずして意味を捉えるのは難しい。

さて話を日本に戻すと、工部大学校一期生の南清(1856年生)や、古市より先にサントラルで学んだ山田寅吉(1853年生)のように、計画から設計・施工までの全てを統括する英国流の建設コンサルタントは、早い段階から存在していた。いやむしろ、渡邊や南のように、工部大学校土木科を首席で卒業した七人のうち五人が同じ道に進んだことを考えると、優秀な人材ほど本来の意味でのシヴィル・エンジニアを志向していたといえよう。それにもかかわらず、日本の近代土木はあくまで官が中心であって、彼らが主流になることはなかった。それは、戦前の土木学会会長の顔ぶれからも一目瞭然である。

それでは、スマイルズらが指摘した個の力で状況を打開するというシヴィル・エンジニアの美点は、日本では重視されなかったのか。実は決してそうだったわけではなく、むしろ日本では、田邊、廣井、青山、八田のような官界で活躍した技術者に、その資質を見出すことができる。さらに、八田の大学一年後輩の石井頴一郎は、前例にとらわれず個人の創意工夫によって状況を打開する姿勢は、そもそも「従来の官庁技師」に広く認められたと指摘している。石井はその上で、若き技術者がこの伝統を受け継ぎ、戦後の民主主義の時代に「進んで発明し、自由に発表し、合理的のことならば思う存分実行」するよう期待している。

この戦争直後の期待に、後進たちはどう応えたのか。戦後日本土木は、佐久間ダム、新幹線、瀬戸大橋、青函トンネルなど、世界的な大事業を次々と成し遂げる一方で、個が組織にうずもれ、構造物の設計施工の画一化を是とする傾向が強まる時代でもあった。また、建設コンサルタントの系譜は連綿と続くものの、1959(昭和34)年に建設省が「設計・施工分離の原則」を示したことで、設計から施工までの事業全体をコントロールする本来の意味でのシヴィル・エンジニアは存在しにくくなった。

確かにキャッチアップの時代には、官が主導して組織的に先端技術を吸収、行使するのが効率的であり、それが近代日本の宿命だったかもしれない。しかし、学習の時代を終え、前例のない困難な事業に挑んでいくためには、分業の効率性を保持しながらも、設計から施工まで貫く構想力・技術力で事態を切り開く人材、つまり本来の意味でのシヴィル・エンジニアの役割も重要かと思う。英国シヴィル・エンジニアの原点、そしてそれを日本で実践した先人たちのさまざまな挑戦が、シヴィル・エンジニアの未来を考える1つの道しるべになればよいと思う。

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

1969年静岡県生まれ。東京大学土木工学科卒、エコール・ナショナル・デ・ポンゼショッセ博士課程修了。フランス国博士(国土整備・都市計画)。帰国後文化庁に入庁し、パリ大学客員講師、東京大学客員教授、文化財保存修復研究国際センター(イタリア)プロジェクトマネージャーなどを経て現職。著書に『近代都市パリの誕生』(サントリー学芸賞)、『図説近代日本土木史』(共著)など。

この記事が掲載されている冊子

No.60「技術者」

日本の近代化はごく短期間で行われたとしばしば指摘されます。国土づくり(土木)では、それが極めて広域かつ多分野で同時に展開されました。明治政府はこの世界的な大事業を成し遂げるために技術者を養成。その技術者や門下生らが日本の発展に大きな役目を担いました。
今号は、60号の節目を記念し、国土近代化に重要な役割を果たした「技術者」に注目しました。海外で西洋技術を学んだ黎明期から日本の技術を輸出するようになるまで、さまざまな時期における技術者が登場します。
時代を築いたリーダーたちの軌跡を見つめ直すことが、建設、ひいては日本の未来を考える手がかりとなることでしょう。
(2020年発行)

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