広報誌『季刊大林』60号(特集:技術者)を発行しました

先人たちの功績を通し歴史も概観

プレスリリース

株式会社大林組(本社:東京都港区、社長:蓮輪賢治)は、このたび、広報誌『季刊大林』60号を発行しました。

『季刊大林』では1978年の創刊以来、「わたしたち人間は、かつて何を建設してきたのか、そして未来に何を建設できるのか」ということを、時代や文化と共に考察してきました。

本号は、60号の節目を記念し、日本の近代化における国土づくり(土木)において重要な役割を担った「技術者」をテーマにしました。西洋技術を取り入れるため海外で学んでいた黎明期から、日本の技術を輸出できるようになるまで、さまざまな時期における技術者16名をメインにその軌跡とともに紹介しています。

大林組では今後とも、建設にまつわる文化を考察する『季刊大林』の発行を社会文化活動の一環と位置付け、環境・情報・防災など現代社会において重要なテーマを積極的に取り上げていく予定です。

『季刊大林』 60号 「技術者」 概要

日本の近代化はごく短期間で行われたとしばしば指摘されます。国土づくり(土木)では、それが極めて広域かつ多分野で同時に展開されました。明治政府はこの世界的な大事業を成し遂げるために技術者を養成。その技術者や門下生らが日本の発展に大きな役目を担いました。

今号の『季刊大林』は、60号の節目を記念し、国土近代化に重要な役割を果たした「技術者」に注目しました。海外で西洋技術を学んだ黎明期から日本の技術を輸出するようになるまで、さまざまな時期における技術者が登場します。

時代を築いたリーダーたちの軌跡を見つめ直すことが、建設、ひいては日本の未来を考える手がかりとなることでしょう。

目次

座談会:近代土木の開拓者

樺山紘一(東京大学名誉教授、印刷博物館館長)×月尾嘉男(東京大学名誉教授)×藤森照信(東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、建築史家·建築家)[季刊大林編集顧問]

総論:近代土木の技術者群像

北河大次郎(文化庁文化財調査官)

【古市公威と沖野忠雄】「明治の国土づくり」の指導者

松浦茂樹(工学博士・建設産業史研究会代表)

古市公威(1854-1934)と沖野忠雄(1854-1921):
近代日本の黎明期、欧米帰りの留学生が土木技術の指導的役割を果たした。中でも仏エコール・セントラル卒の古市と沖野は活躍が華々しかった。前者は河川法制定に重要な役割を果たし、後者は工事を指導。沖野は淀川改修+大阪築港の大工事を8年かけ、すべて直営で完成させた。

【ヘンリー・ダイアー】エンジニア教育の創出

加藤詔士(名古屋大学名誉教授)

ヘンリー・ダイアー(1848-1918):
スコットランド出身の技術者、技術教育者。弱冠25歳で日本初の技術者養成機関・工部大学校の初代都検(教頭)となり西洋式技術教育を導入。今日の日本の工業技術の礎を築く。また日本の短期間の発展を「東洋のイギリス」と当時の西洋社会に伝え、国際社会への進出を助けた。

【渡邊嘉一】海外で活躍し最新技術を持ちかえる

三浦基弘(産業教育研究連盟副委員長)

渡邊嘉一(1858-1932):
土木技術者、実業家。グラスゴー大に留学後、当時世界一と称された鉄橋・フォース橋の工事監督となる。スコットランドで培った経験を必要とされ日本に戻った後、日本初期の鉄道建設に貢献。さらに土木学会設立に参画したほか、日本の学会や産業界で幅広く活躍した。

【田邊朔郎】卒業設計で京都を救済した技師

月尾嘉男(東京大学名誉教授)

田邊朔郎(1861-1944):
土木技術者、工学者。工部大学校で設計した琵琶湖疎水を自身が工事責任者となり完成させた。数々の難題を乗り越え竣工し、飲料水、物流経路の確保。日本初の水力発電所を建設し、京都の近代化と産業振興を行った。英国土木学会で最も権威のあるテルフォード賞を日本人で唯一受賞。

【廣井勇】現場重視と後進の教育

高橋裕(東京大学名誉教授、土木史家)

廣井勇(1862-1928):
土木技術者。近代日本の揺籃期に土木界をけん引した先駆者。小樽港をはじめ、港湾、橋梁、ダムなど、彼の事業は全国各地に残され「港湾工学の父」と呼ばれた。「廣井山脈」と呼ばれる門下生は日本の近代化に大きく貢献し、これは、建造物を世に残したこと以上に特筆すべき功績として知られている。

【工楽松右衛門】港湾土木の先駆者

工楽善通(大阪府立狭山池博物館館長)

工楽松右衛門(1743-1812):
発明家、実業家。廻船業を経営する傍ら、帆布を発明し、築港工事法を考案して、択捉島(えとろふとう)の埠頭や箱館のドックなどを築造。日本の海運を支えた。困難な水中での仕事を容易にするため、多くの作業船を工夫し使用。これらは、今日の土木工事に使われる建機の先駆けにもなっている。

【島安次郎・秀雄・隆】新幹線に貢献した島家三代:世界へ飛躍した日本のシンカンセン

小野田滋(工学博士・鉄道総合技術研究所担当部長)

島安次郎(1870-1946)・秀雄(1901-98)・隆(1931-):
「車両の神様」と言われた安次郎は広軌論を唱え、新幹線構想の基礎を築く。秀雄は、夢の超特急・新幹線構想をまとめ上げ完成させ、隆は、「ひかり0系」開発に携わり、後に新幹線テクノロジーの輸出を果たした。三代続く鉄道技師。

【青山士】万象ニ天意ヲ覚ル者:その高邁な実践倫理

高崎哲郎(著述家)

青山士(1878-1963):
土木技師。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人。パナマ運河で得た知見を活かし、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修など、日本や旧満州などの治水事業に尽くす。土木は国民に奉仕するべき、という思想を貫き、戦前に発表した「土木技術者の信条および実践要綱」は、長年にわたり土木技術者の指針として活用されてきた。廣井勇門下。

【宮本武之輔】技術者の地位向上に努めた人々

大淀昇一(元東洋大学教授)

宮本武之輔(1892-1941):
土木技術者、工学者。内務官僚。政府内で文官に比べて冷遇されていた技官の待遇改善をめざした、1910年代の「技術者水平運動」のリーダー的存在。各省の青年技術官僚を集めて「日本工人倶楽部」を発足。技術院の創設を提唱し、現在の科学技術庁の母体を作った。青山士の弟子。

【八田與一】不毛の大地を台湾最大の緑地に変えた土木技師々

古川勝三(愛媛台湾親善交流会会長)

八田與一(1886-1942):
水利技術者。台湾で不毛の大地と呼ばれていた嘉南(かなん)平原に、当時東洋一の規模の「烏山頭(うさんとう)ダム」と、総延長1万6,000kmにおよぶ給排水路を完成させ、台湾一の穀倉地帯に変貌させた。大型土木機械の採用、作業員の福利厚生の充実などでも知られている。

【新渡戸傳・十次郎】明治以前の大規模開拓プロジェクト

中野渡一耕(地方史研究協議会会員、元青森県史編さん調査研究員)

新渡戸傳(1793-1871)・十次郎(1820-67):
盛岡藩士。江戸時代末期、「不毛の地」とされた三本木原(十和田市周辺地域)の大規模開拓事業を、計画・実施共にほぼ個人の力で達成。二代にわたり稲生川用水を完成させ、十次郎は、都市計画と同時に防風林の植林や産業開発を実施。十和田市の基礎を築いた。

【丹下健三】海外での日本人建築家の活躍の先駆け

豊川斎赫(千葉大学大学院融合理工学府准教授、建築士家・建築家)

丹下健三(1913-2005):
建築家、都市計画家。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、世界の国家プロジェクトを多く手がける。日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。

近代土木の開拓者年表

以上

この件に関するお問い合わせ先
大林組 コーポレート・コミュニケーション室 広報課
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