建物探訪

神奈川県庁舎

港町と船乗りを見守る「キングの塔」

2010. 03. 10

関東大震災のダメージが色濃く残っていた横浜に、人々にとっての復興のシンボルとなる雄姿を現した建物があった。その後の庁舎建築に大きな影響を与えた神奈川県庁舎だ。

市民に親しまれる「ハマのシンボル」

横浜市関内。古くから愛され続ける中華街の程近く、近代的な超高層ビルが建ち並ぶみなとみらい地区を遠くに見ながら山下公園を歩いていくと、堂々たる風格の建物が見えてくる。

辺りには、明治から昭和初期にかけて建てられた名建築が今なお数多く残っている。そのなかでも、正面屋上に特徴的な塔を持つこの庁舎は、トランプの絵札のイメージから「キング」の愛称で呼ばれる。横浜税関の「クイーン」の塔、横浜市開港記念会館の「ジャック」の塔とともに、「ハマの三塔」として市民に親しまれる存在だ。

船乗りたちにとっても、この三塔の光景は、長い航海を終えて横浜に帰港したときの、旅の無事を喜ぶ大事な目印になっている。

関東大震災からの復興

1923(大正12)年9月1日、関東地方を襲った関東大震災で、横浜の市街地も壊滅的な打撃を受けた。当時の3代目庁舎はかろうじて倒壊を免れたものの、火災により消失してしまう。

「地震に負けない、新しい県のシンボルを造ろう」。神奈川県は庁舎の再建にあたり、当時としては珍しい設計コンペ方式で、デザインを一般公募した。

一等賞金の5千円は、知事の年収にも匹敵した。大卒の初任給が50円だったことからも、破格のもの。新庁舎への並々ならぬ期待の大きさの表れだった。そして、設計顧問には工学博士の佐野利器(さのとしかた)を迎えることとなった。

工事は1927(昭和2)年1月に開始。全国の庁舎建築の先駆けとなる「帝冠様式」を用いた塔の鉄骨組み方、外壁を覆う巨大なスクラッチタイルの手配などに苦心しながらも、工事は着々と進んだ。

焦土と化した地に徐々に姿を現し始めた新庁舎は、震災から立ち直ろうとする横浜市民にとって、何よりの「復興のシンボル」となっていった。そして翌年10月31日、威容を誇る建物がついに完成し、翌日には開庁式が盛大に執り行われた。

この新庁舎は、当時の英字新聞で「横浜で最大の建物」「日本風を加味したモダン様式の建物」として大きく紹介されるなど、当時の在日外国人の間でもたいへんな評判を呼んだ。

建設中の様子。耐震・耐火に優れた鉄筋・鉄骨コンクリート造が採用された
船舶による港外からの遠望を考慮し、県庁舎の所在を容易に認識できる意匠となった
落ち着いた雰囲気の副知事室

受け継がれる「良い仕事」

完成から80年以上経った今でも知事室や副知事室を有し、県政の中心を担う庁舎として利用されている。数年前に行われた耐震の予備診断においても、周りの新庁舎と遜色のない耐震性能を備えていることが分かり、当時の設計・施工技術の高さが証明された。

1963(昭和38)年、創刊まもない大林組社内報に当時の横浜支店長がこう寄稿している。(当時、県庁舎の竣工後35年の外壁補修にあたり、学識経験者を委員として補修案を検討中だった)

「委員による外壁タイルの検分の後、『なかなか良い仕事をしたものだ』との賞賛をいただき、感動した。昭和の初めに尊敬すべき先輩方の苦心によって仕上げられた仕事が、35年の歳月を経てなお何ら欠陥も見られずに、新しい時代の権威者方によって折紙をつけられ、光芒を放ったのである。
そのことは、大林組の技術と仕事に打ち込む真摯な情熱を人々の前にハッキリと証明したのにほかならない。仕事を大切にすること。いつも良い仕事をすること。そのことの重要さを筆者はいまさらのように痛切に感得したのである。」

この寄稿から40余年の時を刻んだ今も、神奈川県庁舎は「キング」の名にふさわしい風格を持ち、横浜の港町を見守り続ける。

取材協力/神奈川県 総務部庁舎管理課

  • 竣工:1928(昭和3)年
  • 住所:神奈川県横浜市中区日本大通1

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