プロジェクト最前線

誇りを胸に、加賀の建築文化を後世へ

重要文化財勝興寺大広間及び式台ほか10棟保存修理工事(第二期工事)

2009. 11. 05

隆盛の歩みを伝える重要文化財

戦国時代に越中一向宗の旗頭として栄え、越前朝倉氏や甲斐武田氏などの大名、本願寺や京都公家との関係を深めた勝興寺。1584(天正12)年に伏木古国府(富山県高岡市)へ移転し、加賀藩前田家の庇護のもと、長きにわたり隆盛を誇った寺院である。

江戸時代の中期から後期にかけて建立された本堂や諸堂が今なお残り、大広間や書院などの殿舎群が軒を連ねる。当時の真宗伽藍を伝える建物の数々は、12棟が国の重要文化財に指定され、隆盛の歩みを静かに語っている。

「先人の思いをくみ取る仕事」

その勝興寺で平成10年から進められているのが、約20年にわたる保存修理事業「平成の大修理」である。

「京都の西本願寺御本堂を模範として建立された本堂は、当社が大規模な修復を担当し、約4年前に落慶法要しました。平成17年から進めているのが、主に住職がお住まいになる"本坊"という一画です」と、現場の山本所長が素屋根に覆われた現場を案内しながら教えてくれた。

本坊は住居の役割を担うほか、迎賓の御殿や大広間、寺務所、門信徒の台所や食堂、女中長屋など多くの機能が集まり、勝興寺の中枢ともいえる場所だ。

「7棟の建物は、江戸時代から幾度も増改築が重ねられてきました。この歴史遺産を調査しながら解体し、木材や石材から瓦、そして釘に至るまで、材料をできるだけ再利用し、当時の建築技法で復元するのです」

建物の一つひとつを丁寧に分解し、積年の埃が拭き取られた部材は、元の状態に戻すための番付札が付される。また、薄く割った板を重ねて竹釘で打ち止めた「こけら葺き」の屋根は大切に保管され、何層にも塗り重ねられた土壁も、落とした土で再現する予定だ。

宮大工の棟梁として職人たちを束ねる田中健太郎さんは「たとえ釘1本、縄1本でも、そこには多くの情報が詰まっているものです。当時の技法を理解しながら進める解体作業は、造った先人の思いをくみ取る仕事だとも思っています」とその心意気を語る。

1人現場を支える"誇り"

平成26年まで続く本坊の修復工事は現在のところ、常駐している社員が山本所長だけという、いわゆる"1人現場"だ。単身で奮闘する山本所長に、工事のやりがいや苦労を聞いてみた。

「大林組北陸支店のサポートもありますし、お寺さんや文化財建造物保存技術協会、そして宮大工の皆さんとともに、明るく前向きに取り組んでいます。何より、歴史ある勝興寺での工事なので、携わっていることが大きな誇りですね」と笑顔で語ってくれた。

また、本願寺の建築技法を学ぶために京都まで足を運んだという田中棟梁も「今回の修復工事は、地元の重要文化財を後世に残すという使命も担っています。私にとって日本一の仕事です」

現場を率いる2人が口を揃えた"誇り"という言葉――。北風が頬を刺す厳しい寒さのなか、メンバーたちの熱い心意気にも支えられ、歴史をたどる工事は今日も着々と進んでいる。

(取材2009年01月)

工事概要

名称重要文化財勝興寺大広間及び式台ほか10棟保存修理工事(第二期工事)
場所富山県高岡市伏木古国府
発注勝興寺
設計文化財建造物保存技術協会
概要保存修理工事、敷地面積2万7,000m2、素屋根:S造、4F、延べ3,389m2
工期2005年12月~2011年3月
施工大林組、塩谷建設、山本建設

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