プロジェクト最前線

交通の大動脈を復旧せよ!

東名高速道路牧之原応急復旧工事

2009. 11. 25

写真提供:NEXCO中日本

8月11日(火)早朝5時7分、静岡県の駿河湾を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生。最大震度6弱の大きな揺れが県内各地を襲った。この影響により、県内を横断する東名高速道路では、牧之原SA付近で上り線の路肩が長さ40mにわたって崩落。上下線ともに通行不能となった。

折しもお盆休みを迎え、本格的なUターンラッシュが始まっていた時期のこと。日本の東西を結ぶ大動脈が分断されたことで、帰省や旅行中の人々はもちろん、わが国の経済活動にも大きな影響を及ぼすことが懸念された。

「崩落現場に急行せよ」

地震の発生を受け、大林組では東京本社に震災対策本部が速やかに立ち上げられた。対策本部では、社員の安否とともに、施工中の現場や完成した物件の被害状況を一斉に確認。さらに、インフラ復旧などの事態にも即応できる体制を整えていた。

こうしたなか、牧之原SAの被害現場に程近い名古屋支店・第二東名島田JVの岩本所長と東京本社・東名宍原工事事務所の真浦所長のもとに、各所から支援要請の連絡が入る。現在、新東名高速道路の整備に携わっているエキスパートたちへの緊急要請だった。

第一報を受けた岩本所長は、当時をこう振り返る。「大きな揺れを感じ、まず頭に浮かんだのが自分の担当している現場の状況でした。無事を確認して安心したところに『崩落現場に急行せよ』との連絡を受け、ただちに災害現場へ向かいました」

鍵を握った迅速な初期対応

盛土が崩落し、地震の爪跡が残る現場の様子は、テレビのニュースで繰り返し中継されていた。そして、地震発生からわずか数時間後には、大林組の各現場や本社・支店から駆けつけたメンバーが現地で合流し始める。社会から大きな関心が寄せられるなか、一刻も早い通行再開をめざして復旧工事がスタートした。

「現場に到着した我われは、復旧に向けいろいろな工法を想定し、それに必要と考えられる資機材を手配しました」。 現場は上下線ともに不通となっていたが、中央分離帯側に鋼矢板を打設し、まずは12日中に下り線が復旧。ところが、並行で進めていた上り線の工事では、盛土の状態が予想以上に不安定だった。法面にH鋼を打ち込むという当初計画は変更されることになった。新たな計画は、法尻にH鋼を打ち込んで大型土のうを設置、セメントで補強しながら盛土を再形成するというものだった。

工法変更への対応にあたっては、現場到着時にさまざまな状況を想定し、資機材を手配するなど迅速に手を打っていたことが功を奏した。「現場で求められたのはとにかくスピードと安全の確保。刻々と状況が変わるなか、素早い決断が不可欠でした」と岩本所長は、状況に柔軟に対応できたポイントを語る。

真浦所長は、「的確に対応できたのは、参加メンバーのモチベーションが高かったことも大きかったですね」と話す。緊急事態に直面した大林組が総力を結集し、使命感を持って"現場力"を発揮したからこそ、成し遂げることができたといえる。

法尻にH鋼を打ち込む
盛土となる大型土のうを設置
コンクリートを打設し盛土を固定
発泡スチロールで荷重を軽減

炎天下での奮闘。そして通行再開へ

8月15日(土)24時、復旧作業はお盆休みを1日残して完了し、無事に上り線の通行が再開した。岩本所長は、全員が一丸となって臨んだ日々をこう振り返る。「現場に入ってから復旧までの間、ほとんど寝ずの作業指揮が続きました。それは、応援に駆けつけた30名を超える仲間たち全員も同様です。仮眠をとる場所は車の中か、仮設の移動ハウスの脇でした。皆、本当に頑張ってくれました。現地で会うのが初めてというメンバーでも、同じ色のユニホームを着ているというだけで強く結束できましたね」

後日、NEXCO中日本から、現場で工事に携わった皆へ、全国から多くの激励の声が届いていたことが知らされた。どれもが、炎天下での突貫工事に感謝するものだった。「メッセージを読むと、本当に嬉しくて、大変だったことも吹き飛びました。現地で頑張ったメンバーや裏方で支えてくれたスタッフ全員を誇らしく思います」。激闘の日々を岩本所長はこう締めくくった。

(取材2009年9月)

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