私が大林店(まだ大林組の商号もなかった時代です)に入店したのは、明治三十一年(一八九八)の春でした。当時私は二三歳、いまから数えて七十四年前のことです。今回「大林組八十年史」を刊行するに当たり、この間の回顧を求められたのですが、これは私自身の人生を語るのと同様で、私の知ったこと、経験したことは、ほとんどこの書にしるされています。そこで私は、この八十年をささえてきた大林組の伝統について考えてみたいと思います。
私が入店したころの土木建築業界は、まだ社会的地位が低く、なかば正業と認められなかった時代でした。したがって私がこの道にはいるについては、周囲の強い反対があったのですが、それを押切らせたものは、先主大林芳五郎の人格と愛情に魅せられたことと、時代を先見した鋭い洞察力に服したためです。まだコンクリート建築など想像もおよばなかった当時、先主は早くも大阪の町に五階、十階の高層建築が並ぶことを予言し、私に入店を説いたのでした。私はそのおかげで、現在のような建設業の隆盛をみることができ、本当にありがたいことだと存じでおります。
先主の性格は大胆にして細心、決断力に富んで情諠に厚く、人に対しては謙譲、仕事については誠実と、美点をあげれば際限がありませんが、なによりもすぐれていたのは、時代に先行する進歩性だったと思います。第五回内国勧業博覧会の会場建設、日露戦争後の軍関係工事、東京中央停車場工事などは、いずれもそれを物語るものです。また今日いわれる経営の合理化、技術革新などということばのないときですが、実質的にはそのとおりのことを、他にさきがけて実行していました。私はこれまで三代の社長につかえ、大林組と歩みをともにしてきましたが、先主のこの精神は後継者によって受けつがれ、現在も生きていることを知っております。株式の早期公開、新工法の開発に対する努力、海外工事への意欲などは、すべてそのあらわれだと思います。「大林組八十年史」はいろいろのことを教えてくれますが、私はこの伝統とともに生き、今日大林組の発展をみたことを、心からよろこび、誇りといたします。
昭和四十七年九月
相談役 白杉 嘉明三