大林組80年史

1972年に刊行された「大林組八十年史」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第三章 新宮殿造営

第三節 その他の宮廷関係工事

新宮殿造営工事の完成ののち、宮廷関係工事としては京都御所の復原工事、須崎御用邸の工事、赤坂離宮の改修工事に従事、京都御所の復原工事および須崎御用邸工事はいずれも滞りなく完成、赤坂離宮の改修工事は昭和四十九年春完了の予定となっている。

京都御所(復原) 日本全土が米軍の空襲下にさらされた昭和二十年(一九四五)、京都御所では延焼防止対策として、主要殿舎間をつなぐ廊下や塀などを撤去した。清涼殿と諸大夫の間をむすぶ渡廊(わたりろう)、紫宸殿と小御所をむすぶ撞木(しゅもく)廊下、小御所と清涼殿をむすぶ御拝道(ごはいみち)、非蔵人(ひくろうど)廊下、通廊下、長押塀等がそれである。昭和四十三年(一九六八)三月、これを安政年間造営の規模および様式によって復原することとなり、合わせて御学問所、御常(おつね)御殿の一部改築にも着工した。このとき、防火鉄扉七つを設けるなどの防火設備を行ない、同四十五年(一九七〇)三月、延面積一二三〇平方メートルの復原工事を完成した。

三月十三日、天皇、皇后両陛下には万国博開会式に御出席の途次京都にお立寄りになられ、二十五年ぶりに復旧した御所を御覧になったが、お迎えした大林社長に対し列立拝謁をゆるされ、ねぎらいのお言葉があった。工事事務所長は国友忠雄である。

須崎御用邸 伊豆半島の南端、下田市須崎嵐留の須崎御用邸は、設計、監理とも宮内庁管理部であるが、基本計画には芸術院会員吉田五十八、東大名誉教授平山喬の両氏が参画し、耐震構造については東洋大学教授素木三郎氏が指導に当たった。

ここは両陛下がおくつろぎの場所であることから、できるだけ目立たず、美しい自然環境にとけこむように平家建とされた。構造は鉄筋コンクリート造であるが、重要部分は鉄骨鉄筋コンクリート造となっている。御住居用の部屋のほか、公務室や生物学御研究室、皇族御宿泊用の部屋、侍医侍従のための部屋がある。また傾斜地を利用した半地下室には、管理室、電気機械室、海水くみあげの設備をもつ研究準備室が設けられた。総面積は三一三四平方メートルである。

外装は南伊豆の海の色に合わせて暗緑色の有田磁器タイル貼り、腰と地階の外壁は灰褐色の擬石貼りである。内部意匠も両陛下のお好みにより、豪華な感じは避け、また、吹上御所とはおもむきを変えたものとなっている。御住居関係の各室には両陛下の御健康を配慮し、床の冷えこみを防止するための装置がある。これは空調による暖房の補助手段で、機械室のコントロール盤によって自動調整され、常に床温度を室内と同様、あるいは一~二度高く保つことができる。浴室に供給される湯は、付近の蓮台寺温泉から引かれている。

施工に当たり最も慎重を期したのは、このあたりが富士火山系の地震帯にあることで、ボーリングは二回くりかえし、ベノト工法によって基礎杭を造成して堅固な地盤に到達させた。また本館工事と並行して、昭和九年以来ここにある旧三井別邸を、皇太子、同妃両殿下が御使用になるよう延面積九〇五平方メートルの増改築を行なった。このほか、鉄筋コンクリート造の管理人用官舎三棟、行幸啓の際の随員合宿所、車庫その他の付属施設等も施工した。昭和四十四年十一月着工、同四十六年十一月竣工、工事事務所長は片岡春利である。

須崎御用邸 〈下田〉昭和46年11月竣工
設計 宮内庁
須崎御用邸 〈下田〉昭和46年11月竣工
設計 宮内庁

迎賓館(赤坂離宮)改修 赤坂離宮は明治四十二年(一九〇九)、片山東熊博士の設計で完成されたバロック様式の建築で、ベルサイユ宮殿を模したものといわれる。当時の建築技術の粋をあつめ、明治時代を代表する数少ない国宝級建築の一つである。はじめ東宮(皇太子)御所、のちに外国貴賓の宿舎に当てられ、戦後は一時国会図書館が使用したこともあるが、これをふたたび国の迎賓館として用いるための大改装工事が昭和四十三年(一九六八)十二月から開始された。施工は大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店の五社による共同企業体で、大林組の責任者は丹野繁である。

改修設計は村野、森建築事務所であるが、迎賓館として一流ホテルなみの設備をほどこすとともに、文化財的価値を保つ格調高いものとすることを要請された。そこで改装を要する二七六室のうち、特に重要な花鳥の間、朝日の間、彩鸞の間、綾の間、羽衣の間、球戯室の六室については極力原型の保存につとめ、他は復原よりも居住性に重点をおき、従来の様式と調和させて近代化がはかられている。改修工事は地下一階、地上二階で、総面積は一万五三五五平方メートルに達する。

空調設備は内部に設備機械を設置する余地がないため、外部にエネルギーセンターを設け、冷暖房の熱源は暗渠をつうじて供給されるが、暗渠は深さ三メートル、幅三メートルで、本館建物をかこんで埋設される。外部改装は、屋根銅板葺きと飾り金物の改修、外壁花崗石の清掃、石目地の詰め替え、庇の新規取替え、外部木製窓の補修と塗装、石灯籠の基礎杭打ちと改修、犬走り花崗石敷、外構の造園等が主要工事である。

このほか、日本情緒ゆたかな和風別館と日本庭園が新たに設けられる。別館の設計は谷口吉郎氏で、鉄骨造および鉄筋コンクリート造、地下一階付の平家建、総面積は一〇七一平方メートルである。改修工事は現在進行中で、竣工は昭和四十九年(一九七四)三月の予定となっている。

迎賓館(赤坂離宮)改修工事 〈東京〉竣工予定―49年3月
設計 村野,森建築事務所
迎賓館(赤坂離宮)改修工事 〈東京〉竣工予定―49年3月
設計 村野,森建築事務所
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