大林組80年史

1972年に刊行された「大林組八十年史」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第五章 さらに前進を目ざして―

第八節 住宅事業―本格的に発足

パイロットハウス競技に「テラスハウス70」を提案

昭和四十六年(一九七一)に発足した建設省の第二期住宅建設五ヵ年計画は、第一期の同計画による六七五万戸に引きつづき、昭和五十年までに九五〇万戸の住宅を建設し、一人一室の居住水準を確保することを目標とした。同年十月、これにもとづき住宅産業振興計画が策定されたが、その主要目的は、建材、設備機器等のコストダウンをはかり、工場生産住宅を大量に供給することにあった。これに照応して住宅生産工業化五ヵ年計画が立案されたが、これらによれば五ヵ年計画の総建設戸数の二〇%に当たる一九〇万戸を工場生産住宅とし、建材は一〇%、設備機器は三〇%現在よりコストを低下させ、住宅価格を二〇%引下げようというものである。

そのため住宅の規格化、標準化を推進するとともに、技術開発による量産体制の確立をはかることとなり、同省および通産省は昭和四十五年三月、「第一回パイロットハウス技術考案競技」を実施した。大林組は庭付連続住宅「テラスハウス70」を提案して参加、これは連続住宅部門唯一の入選候補作品にえらばれた。各部門から入選候補として選出された一六社、一七件の提案については、同四十六年、東京、大阪、千葉の三地区で試行建設が行なわれたが、大林組は大阪泉北地区に参加し、二階建六戸(一戸八七・六九平方メートル)、同四戸(一戸一〇八・七三平方メートル)の二種を建設した。これらのパイロットハウスは、昭和四十七年三月に審査を行ない、同時に一般に分譲される。

「テラスハウス70」は、壁式プレキャスト鉄筋コンクリート造である。このPC構造は、昭和三十九年(一九六四)に開発した大型PC版組立工法によるもので、この工法自体はすでに住宅公団によって認定され、同公団および大阪府、大阪市の住宅供給公社をはじめ民間集合住宅にも多くの実績をもっている。また様式をテラスハウスとしたのは、間口幅を縮少することにより、土地利用の効率を高くするとともに、連続棟方式によって工費の節減をはかったものである。平面計画では台所、浴室、便所、階段等の装置空間を集約し、家族構成や生活様式に応じて居住空間を自由に使用できるようにしてあることも大きな特色である。これによってあらゆる設備はユニット化、パネル化され、建材、設備機器の工場量産が可能となる。

テラスハウス70
テラスハウス70

プレハブ住宅の新しい形式と新工法の開発

以上は政府の施策に対し、大林組が試みたプレハブ住宅の一例であるが、住宅産業の分野における競争の主目標も住宅の工業化におかれた。このころプレハブ住宅の進展は目ざましく、建設省の調査によれば、住宅建設のうち建売住宅の占める割合は、昭和四十年(一九六五)の五・五%に対し、同四十五年には一一%と二倍に増加した。しかも初期には比較的小規模業者が多かったのに対し、産業構造の変化とともに、旧財閥系や総合商社等の大企業が相次いでこの分野に進出するようになった。また業者数も急増して、同じ調査によると昭和四十五年現在、住宅を建設して販売する住宅供給企業(二九七社調査)の四三%は、昭和四十年以降に開業したものであるといわれる。プレハブ住宅は、はじめ建設省、住宅公団等の努力により、まず公共住宅の面で普及したが、上記のような住宅産業の発展とともに、民間企業による個人住宅建設にも急速におよぼされた。建設省は民間業者による工業化住宅の普及率を、昭和四十一年度の二%に対し、同四十五年度は五・三%に達するものと推定している。ここにおいてプレハブ住宅の新形式と新工法の開発は、業界における最大の問題点となった。

大林組が本店および東京支店に住宅事業部を設け、住宅産業に進出したのは昭和四十四年(一九六九)八月で、業者としては後発に属する。しかも当時まず着手したのは、すでにのべたごとく分譲用の宅地造成で、住宅部門にまではおよばなかった。これは本来が請負業である建設業者として、デベロッパーの発注による施工から出発し、ここにいたったことに由来するものであるが、住宅産業と本格的に取組むためには建物をも供給しなければならない。そこで課題となったのが、プレハブ住宅にコンクリート系、木質系のいずれを採用すべきかの問題であった。

大林式木質プレハブ住宅―内外木材工業と共同で開発

PC版建築は、工期的にも経済性においてもすぐれ、中高層集合住宅として理想的であることが、公団、公社等の公共住宅工業化に当たり採用された理由である。建設省のパイロットハウスが考案競技に際し、大林組がこの方式で参加したことは、PC版建築の長所を生かし、これをテラスハウスに応用した試みであった。しかし、「テラスハウス70」の標準タイプは、二階建の一棟一五戸で、連続棟の集合住宅である。したがって、ニュータウン建設などによる計画生産には適当であるが、不特定多数の顧客を対象とする住宅産業の場合、かならずしも全面的に有利とはいえない。それは個人が住宅を入手するに際し、日本人の常として一戸建を好む傾向があり、販売面において弱点となることが考えられるからである。

これに対して木造住宅は、日本の風土に適合し、伝統的に親しまれたものであり、また一戸建にも便である。しかし同時に材質上の欠点として、ヒズミや曲がり、腐れを生じやすく、コンクリート系住宅にくらべて耐久性、冷暖房の場合の気密性等において劣るとみられていた。このように、コンクリート造、木造はともにそれぞれ長所と短所をもち、いずれの方式を採用すべきかについては、施工面、販売面から慎重な検討を要した。ここにおいて昭和四十五年(一九七〇)六月、副社長嶋道朔郎を委員長とするプレハブ住宅企業化委員会を設け、需給状況や業界の動向等をも合わせて研究を重ねた。その結果、最終的に採用されたのが、設計部と内外木材工業の共同開発による大林式木質プレハブ住宅である。

大林組工作所から分離独立し、五十余年の歴史をもつ内外木材工業は、その優秀な木工技術によって業界に首位を占め、国会議事堂、東宮御所、新宮殿等の内装工事に真価を発揮した。木材のもつ上記の欠点についても、早くからこれを克服する努力を積み重ね、不燃、難燃の内装用化粧貼建材八品目が建設省に認定されたのをはじめ、化粧合板表面材のクラック防止、褪色汚染防止等に成功し、木材の堅牢さを半永久的に保つ方法を開発した。この独得の技術を住宅建築にも生かすべく、かねて本店設計部が協力して研究を進めつつあったが、あたかもこの時期に完成されたのが大林式木質プレハブ工法であった。そこでPC版プレハブについては従来どおり中高層住宅部門で発展を期し、一戸建量産住宅には、当面木質プレハブを採用することとなったものである。

大林組木質プレハブ住宅の特色は、大型木質パネルによる壁式構造を採用したことで、パネルは高さ二・四メートル、最長六メートルを単位とし、一部屋を区切るパネルは四枚を原則とする。そのため従来の小型パネルにくらべジョイントが大幅に減少するとともに、耐久、気密、遮音、断熱等あらゆる点にすぐれている。また柱、梁などの軸組材はこれに内蔵され、パネルそのものが構造体となるため、現場作業において熟練労働に依存することが少ない。このモデルハウスは昭和四十六年十月、大阪港区の国際見本市会議で開かれた「インターリビング71」に展示され、大型パネル構造による仕上げ面の美しさで好評を博した。

大林式木質プレハブ住宅
大林式木質プレハブ住宅
大林式木質プレハブ住宅
大林式木質プレハブ住宅
内外木材工業・本社
内外木材工業・本社

大林ハウジング株式会社を設立

木質プレハブ採用が決定し、住宅事業は本格的に発足したが、受注生産である建設業者の社内体制では適合しない面があった。そこでこれを実施するに当たり、住宅産業を専業とする別会社として大林ハウジング株式会社を設立した。新会社の資本金は二億円、大林組の全額出資である。社長は大林社長が兼ね、専務取締役には取締役本店住宅事業部長加藤静夫が、常務取締役には住宅事業部部長付工務担当隅谷一郎、内外木材工業常務取締役灘山敏が、それぞれ出向して全大林的協力体制をつくった。

新会社は昭和四十六年(一九七一)十二月一日発足し、部材の生産は滋賀県八日市市に新設した工場において行なう。これは当面、近畿および中部圏をサービスエリアとし、年間生産四八〇〇戸(初年度一二〇〇戸、二年度二四〇〇戸)を目標に、昭和四十七年七月から稼動する予定である。しかし量産住宅の部材生産は、距離と輸送の問題を考慮せねばならず、それには全国的なネットワーク計画を必要とする。また販売面においても建設業とは営業活動の分野をことにし、施工も建築というよりは組立に近い。さらに将来の問題としては、コンクリート系個人住宅の面に進出することも考えられるなど、前途には多くの課題がある。

大林ハウジング・八日市工場
大型壁面パネル生産ライン
大林ハウジング・八日市工場
大型壁面パネル生産ライン

住宅事業本部制を採用

これら多くの問題を解決し、事業を強力に推進するための措置として、新会社の創立と期を同じくして、従来の住宅事業部を住宅事業本部に昇格させ、大阪、東京にそれぞれ住宅事業部を設置した。本部長は副社長嶋道朔郎が兼ね、大阪住宅事業部長に取締役大重正俊、東京住宅事業部長には西本茂秋が就任した。この強力布陣は、住宅産業の大林ハウジング、宅地面では大林不動産、木質プレハブでは内外木材工業と呼応し、大林グループの一体化をはかるとともに、集合住宅部のPC版中高層プレハブとの有機的結合を期したものである。これによって、ニュータウン開発から個人住宅の生産販売にいたるまで、完全な一貫体制が整備された。

住宅事業は大林組にとっては新たなる分野であるが建設業の隣接産業であるので、八十年の永きにわたりつちかい育てられた土木、建築の技術と経験は、そのままこの部門に生かされる。大林組の住宅事業はこの伝統を踏まえ、さらに転換の新時代を迎えて飛躍を期し、ここにその第一歩を踏み出したのである。

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