第七節 創業八十年を迎える
「虹をかけよう」「希望の明日」―愛唱歌を制定
転換の時代を迎えた昭和四十六年(一九七一)は、大林組の創始者大林芳五郎が土木建築の業にたずさわった明治二十五年(一八九二)から数え、あたかも八十年に当たった。十月七日、本店を中心に全店でこれを記念する数々の行事が行なわれたが、これに先立ち、前年十一月、愛唱歌を制定することとなり、歌詞、歌曲を社内から懸賞募集した。締切りは昭和四十六年三月、応募は四五名、五一編に達し、歌曲には入選に該当するものがなく、歌詞は仙台支店土木部勤務、板垣よい子の「虹を架けよう」が入選し、賞金一〇万円を与えられた。これを山上路夫氏に委嘱して補作し、さらに同氏作詞の「希望の明日(あした)」とともに、いずみ・たく氏が作曲して、同年九月、愛唱歌二編が発表された。歌詞、歌曲は別掲のとおりである。
虹をかけよう
板垣よい子作詞
山上路夫補作
いずみ・たく作曲
一、虹を架けよう あの空へ
希望をこめて 槌ふれば
建設の歌が こだまする
明日の空へと ひびいてゆく
世界を拓く 大林
二、夢をきざもう この大地
新しいもの 生れてる
ここから道が 始まって
輝く夜明けへ つづいてゆく
世界に伸びる 大林
三、花を咲かそう この街に
幸せこめて 育てよう
建設の歌を 明日もまた
あなたと私で うたおうよ
世界を築く 大林
希望の明日(あした)
山上路夫作詞
いずみ・たく作曲
一、この街を つくるのはだれ
この道を 伸ばすのはだれ
この河に 橋を架けて
この国を きずいてゆく
あなたと私が明日をつくる
あなたと私が明日をめざす
二、この緑 守るのはだれ
この空を あおぐのはだれ
この花を 大事にして
この朝に でかけてゆく
あなたと私が明日をつくる
あなたと私が明日をめざす
三、幸せを つくるのはだれ
未来へと 進むのはだれ
うたごえを ひびかせよう
この世界 愛してゆく
あなたと私が明日をつくる
あなたと私が明日をめざす
創業八十年記念行事
創業八十年記念行事は、十月七日、本店を中心に東京本社、各支店、出張所等、国内はもとより海外駐在員事務所でも行なわれ、さらに八日、十八日、二十二日には得意先招待会を開催した。以下にそれを略記する。
墓前祭、神前祭 まず七日には朝七時から八時まで、神戸市東灘区御影町大林社長邸わきの墓所で墓前祭を、つづいて九時から十時まで大阪市天王寺区生国魂神社拝殿において神前祭を、それぞれ厳粛に挙行した。大林社長以下役員、相談役、関係会社役員代表が参列、墓前祭には在阪の常勤顧問と大林家の一門親族が、また神前祭には在阪の理事と工務監督、本店部室長および関係会社常務役員が加わった。
記念式 墓前祭、神前際を終わって午前十時半、大阪商工会議所六階ホールで記念式が開催され、大林社長から以下の式辞があった。
本日ここに、みなさんとともに大林組創業八十年の記念式典を挙行いたしますことは、わたくしの深く喜びとするところであります。当社におきましては、本日この式場をはじめ、東京本社、全国の各支店、機械工場、出張所あるいは工事事務所等におきまして、この時刻を期して一斉に記念式典を挙行しておりますほか、遠く海外各地の事業場におきましても同様に慶祝の行事を行なっているのでありまして、まことに意義深く存ずる次第であります。
顧みますれば、今を去る八十年前の明治二十五年一月、初代大林芳五郎は徒手空拳をもって大阪靱(うつぼ)の地に土木建築業を開業したのでありまして、時あたかもわが国は維新の大変革期を経てようやく近代国家への緒につき始めた頃でありましたが、初代は新しい時勢の赴くところをよく洞察し、敢然と大工事と取組んで着実にこれを仕上げ、得意先より全幅の信頼を得るとともに、業界の旧弊を打破するべく血のにじむような努力を重ねた結果、わずか二十数年にして全国の一流業者の地位を確保するにいたったのであります。以来、大正、昭和へと時代の変遷につれて社運は興隆発展し、当社が手がけた建物、道路、橋梁、鉄道、ダム等の類は枚挙にいとまなく、わが国の産業、経済、文化の発展に大きく貢献してまいりました。しかしながら、この間にあって当社が歩んできた道は決して平坦なものばかりではなく、危殆に瀕したことも両三度に止らなかったのでありまして、わたくしは当社の歴史をふりかえるとき、まさに感慨無量なものがあります。
当社が、幾多の風雪に耐えぬき今日の大をなし得ましたのは、申すまでもなく、各方面にわたり得意先の皆様が長年の間寄せられたお引立ての賜物でありまして、深く感謝に堪えないところでありますが、同時にまた当社の後援者、縁故者の方々が寄せられた暖かい御支援はお礼の申し上げようもないところであります。さらにまたこれまで当社の維持発展のため御出精下さった先輩役職員各位のお蔭でございまして、わたくしはこれらの方々に深甚な敬意を表しますとともに、長年にわたって当社の事業に御協力下さった下請各位に対しましても心から感謝している次第であります。そしてわたくしは、先輩役職員の方々の御功績をなお一層光輝あるものとするため、さらには当社発展のためこれまで御懇篤な御指導、御鞭撻を賜わった多数の方々の御高恩にお報い申し上げるため、ここに今後の飛躍への決意を新たにいたすものであります。
さて、創業八十年を迎えた今日、あらためて諸先輩が築きあげられた当社の歴史を回顧して、そこから生きた教訓を学びとり将来への足がかりとしてみたいと思います。
当社が創業当時、業界にはすでに多数の先発業者が強力に覇を競い合っておりましたのに、新進である当社がそれらの業者に伍しつつ、よく短時日の間に社業を伸展することができましたのは、何と申しましても大林組が未知のものに敢然と立向い、これと懸命に取組んで着実に成果をあげてきたことによるものであります。当社は明治三十四年大阪において第五回内国勧業博覧会工事の獲得を、さらに明治四十四年には東京中央ステーション工事の獲得を試みましたが、いずれも当時としては未曽有の大型工事であり、そこには大きな不安と苦闘が待ちかまえていたのであります。しかし、会社をあげて渾身の力をふりしぼってこれらを獲得し、苦労を重ねた末ものの見事に完成し、これにより前者においては大阪随一の業者として、後者においては全国業者としての栄誉をになうというすばらしい金字塔をうちたてることができたのであります。このように諸先輩が試みた未知のものへ挑戦する精神と気迫こそが会社を発展させる大きな力となったことを、わたくしどもはあらためてよく認識したいと思うのであります。
次に、当社の歴史を通観しますに、合理性、科学性を尊重することを伝統としてきたことをあげることができます。すなわち、生産性の向上を図るための最も有効な手段として、技術の改善、開発と施工の機械化に重点をおいてまいりました。このため、当社におきましては早くから役職員を欧米に派遣するなどして海外の先進技術を吸収するとともに、新鋭機械の導入に努め大いにその成果をあげましたが、戦後は斯界に誇る技術研究所を設置して、独自の技術の研究開発に努めているのであります。また一方、組織、制度についても合理化を不断に推進し、法人形態への移行や株式の公開などを業界にさきがけて実施したのをはじめ、管理機構や諸制度の整備についても相当早くよりこれを行ない、経営の基盤づくりに努力してまいったのであります。
そしてまた次に、人材の育成とその活用をあげることができます。当社は、創業の昔より「事業は人なり」の精神に徹し、前途有為の人材を集め、その能力を最大限に発揮できるよう有効な活用に努めるほか、社外よりもすぐれた人材を招聘して絶えず清新の血を社内に注入し、体質強化に努力してまいりました。申すまでもなく建設業においては、とりわけ人が、人物が会社の成長発展を左右するといっても過言ではなく、人材の育成と活用のための努力がやはり当社今日の発展をみるにいたった大きな力であったといえるのであります。そして、以上申し上げたことが当社の伝統として連綿と今日に伝わっているのであります。
さて、わが国の経済は、ここ十数年来世界で驚異とみられる高度の成長を持続し、これに伴いまして、建設業界は総じて繁忙の裡に推移してまいったことはみなさん御承知のとおりであります。しかしながら、現下の情勢について考えてみまするに、過般とられた米国のドル防衛措置によって国際通貨体制は決定的な打撃を蒙り、その収拾のため多国間の通過調整をめぐってあわただしい動きがみられるなど、戦後の世界経済の基調に一大転機が訪れております。このためわが国においては、懸念されていた円の切上げがついに現実問題として把えられ、わが国経済はかつてない重大な試練を迎えることとなったのであります。しかも、たまたま昨年十月以降景気停滞期にありましたので、この時にあたり米国の措置による影響はかなり大きいものとなることを覚悟せねばならず、景況はさらに不況の様相を深刻にするものと考えられます。これに加えてわが国経済は、これまでの高度成長によって生じた物価、公害問題などのひずみを是正し、均衡のとれた安定成長路線への転換を図るため、民間投資主導型の生産第一主義から公共投資主導型の福祉社会実現をめざして、基本政策の再検討が迫られており、また対外的には輸出第一主義から国際協調主義への転換、そして貿易、資本、為替の自由化を全面的に推進して先進国の一員としての役割りと責任を果たしてゆかなくてはならない立場におかれているのでありまして、その前途は極めて多事多難なものが予想されます。したがいまして、わたくしどもは今後は従来のような高度の成長がつづくことは期待することができなくなるものと考えねばなりません。
御承知のとおり、一九七〇年代は激動の時代と言われておりますが、わが国における内外の情勢は以上の変化のみにとどまらず、長期的にみてもさらに激しく流動し、安定を求めて模索してまいることでありましょう。そして、その過程でわが国経済の国際化は一段と進展して産業構造はその質的変化とともに次第に高度化し、技術集約型産業の比重が高まる一方、システム産業の活動が活発化してゆくものと思われます。
このような認識の上に立って、わたくしどもは今後における経営のあり方ないし建設業の進め方について再検討しなくてはならないのであります。すなわち、わたくしどもは産業構造の変化、システム化に適応し得るように従来の技術を売る企業にとどまらず、一段と柔軟な思考をめぐらし、あらゆる知識の集積のもとに企画から設計、施工にいたるまでの一貫した業務を行ない、より高度の技術とより広い分野にわたる知識とを売る企業へと質的な転換を図らなくてはならないと思います。当社におきましては、このような見地からすでに都市再開発事業への協力、公害防止産業への進出などを行なうほか、住宅事業へ乗りだしてデベロッパーとしての役割を果たしつつありますが、今後さらに衆知をあつめて幅広い企業活動を推進してまいる所存であります。
このように考えてまいりますと、わたくしどもが企業活動を行なうにあたり常日頃心掛けるべき基本的な姿勢は、次のとおりになるものとわたくしは考えます。まず第一に、社会に対するわれわれの使命と責任を十分に自覚し、建設業を通じて人間中心の豊かな環境づくりに奉仕してゆくという考え方を保持し、社会にとって必要な企業としての認識を高めてゆくことが大切であります。第二は、常に客観情勢を冷静に分析し、時代の流れに即応した経営計画を樹立して、これを基軸として企業の集団としての総合力を結集し、どのような事態にも対処し得る柔軟性に富んだ企業活動を効率的に展開してゆくことであります。それには他の模倣でない独創性を発揮することが肝要でありましょう。第三は、今後予想される激しい企業競争を勝抜くためにも、企業活動の原動力となる蓄積ということに留意しなければなりません。これには資本蓄積は申すまでもなく、幅広い優れた技術と豊かな知識経験の蓄積、優秀な人材の保有、そして信用という名の財産の蓄積などを行なわなくてはなりません。これらのすべてが新しい時代に挑戦してゆく行動力の根源となるものであり、また攻めにも守りにも強い経営の基盤づくりに役立つからであります。第四は、これらの企業活動を進めるにあたり大切なこととして人間の尊厳、自主性の尊重ということであります。今後は工事量はますます増大し、事業規模は一層拡大され、これに伴って従業員の数も次第に増加してまいりますが、一方において各個人の仕事は分業化、専門化され、各人は一段と孤立化の傾向をたどるものと思われます。したがいまして、各人が働くことそれ自体に人間的実感が得られるような主体性のある人間中心の業務、人間中心の経営が推進されなくてはならないと思うのであります。
さて、わたくしは今後このような考えかたのもとに、これまで推進してきた諸施設をさらに一層積極化する一方、特に営業面では、発展が予想される事業の諸分野に対応できるような技術と知識を開発整備し、これを武器とした営業戦略を強力に展開してまいりたいと考えておりますし、また工事の消化面では、省力化を主眼としたより科学的な管理手法による施工方式をなお一段と推進いたし、併せて労働力の確保について積極的に取組みたいと思うのであります。そして組織その他業務全般については、責任体制の確立を図るとともに、コンピューターの有効活用による経営管理システムの計画的推進をめざすこととし、他方において関係会社をさらに育成強化し、大林グループ全体の事業をいよいよ発展拡大してまいりたいと考えている次第であります。
わたくしは、この際管理職のみなさんが、こうした諸施設の意義を十分に理解され、これを計画的、効率的に実践するよう心掛けるとともに、部下の指導育成に努められるよう強く要望いたします。そしてまた各人にあっては、互いに連絡を密にし、職責完遂の精神を堅持するとともに、視野を広め見識を深くして知識技能の錬磨向上に不断の努力を払われるよう期待いたします。
ところで、さきほど申し述べましたように、現下の客観情勢は極めて混沌とし甚だ楽観を許さない情況にあります。産業界では一時緩和した減産体制を再び強化したり、新規採用を手控える企業も数多く出始めており、また景況の回復を予想して計画した設備投資を大幅に縮少、あるいは繰延べるところもあり、各企業とも新しい経済環境を前提とした不況対策に懸命の努力を傾注しつつあります。したがいまして、民間工事の発注量はここ当分の間さらに縮少し、これに伴い受注競争はかつてない苛烈なものとなることは火をみるよりも明らかであります。わたくしどもは、こうした日増しにきびしくなる客観情勢を冷静に見極め、これをわれわれに課せられた試練としてうけとめ、そしてわが社の諸先輩がかつて直面した苦難を大奮闘の結果切抜けたことに思いをいたし、その打開策に英知を集めて創意工夫をこらしてゆかねばなりません。これを怠れば、われわれは業界にあって他社の後塵を拝することになり、生存競争の落伍者になりさがることになりましょう。
しかしながら、わたくしは役職員がファイトを燃やし一致団結してことにあたれば、いかなる難関も乗越えることは不可能ではないと信ずるものでありまして、わたくしは、この機会にみなさんが緊褌一番、その決意を新たにされんことを切望してやまないのであります。
以上わたくしは、当社の伝統を回顧し、現下の情勢を概観してわたくしどもの進むべきところについて所信の一端を申し述べた次第でありますが、諸先輩が営々として築き上げた当社の誇るべき伝統を一段と輝かしいものにし、これを後輩に伝えていくことは、わたくしどもに課せられた責務であると確信いたします。わたくしは、ここに記念すべき創業八十年を迎え、この年がさらに将来の飛躍へとつながる新たな時代の始まりとなることを念願するものであります。そして、きたるべき九十年いや百年の年を栄光に満ちた歴史とともに、わたくしどもの繁栄と幸福を招来する年として迎えることができることを期待してやみません。
役職員の皆さん、さあ、互いに手をとりあって希望にみちた未来への道を切開いていこうではありませんか。
これをもちまして、創業八十年記念式典に際してのわたくしの御挨拶といたします。
(「社報」昭和四十六年十月七日 号外から)
つづいて、関係会社を代表して内外木材工業専務取締役佐藤辰夫と、林友会連合会を代表して同会会長岸政吉氏が祝辞をのべ、特別功労者および四十年以上勤続者の表彰にうつった。特別功労者は相談役白杉嘉明三、元副社長浜地辰助、同徳永豊次(故人)、同五十嵐芳雄の四名、また四十年以上勤続は副社長嶋道朔郎ほか八一名で、それぞれ表彰状と記念品が贈られた。これに対し、特別功労者を代表して白杉相談役、四十年以上勤続者を代表して嶋道副社長が謝辞をのべ、本店コーラス部員による創業八十年記念愛唱歌の斉唱があったのち、一同万歳を三唱して式を終わった。記念式には、神前祭参列者のほか、本店の部次長、室長代理、理事、主査、主任技師、本部長付および部長付も出席し、関係会社の役員代表と在阪常務役員、林友会連合会代表、大阪林友会役員、津田顧問弁護士も招待者として列席した。
記念式はこの式場のほか、本店および東京本社、全国の支店、出張所、工事事務所、技術研究所、機械工場、機械分工場、倉庫、PC版製作所と海外駐在員事務所等、大林組のあらゆる機関において、時を同じくして一斉に行なわれた。これら職場関係では式次第を省略して、社長式辞の代読と愛唱歌斉唱、万歳三唱にとどめたが、東京本社、各支店および機械工場では林友会支部役員も招待され、代表が祝辞をのべた。式後、正午から自祝宴にうつったが、大阪式場のほかは職場ごとに行ない、業務に支障のないものは早退とした。
同夜六時からは、大阪南地大和屋に旧役員と関係会社代表を招き、夕食会を開いた。大林社長以下役員幹部が出席し、旧役員二五名、大林道路、内外木材工業、大林不動産、東洋ビルサービスの各代表が膝をまじえ、いずれも往時を回想して、心からこの日のよろこびを分かち合った。
これに引きつづき、翌十月八日には大阪、同十八日には名古屋、同二十二日には東京で、それぞれ得意先招待会を開催し、これまでの厚誼に対して謝意を表した。大阪は東洋ホテル「大淀の間」に八五〇名、名古屋は都ホテル「紫雲の間」に三〇〇名、東京は帝国ホテル「孔雀の間」に一五〇〇名を招待した。ビュッフェ形式のパーティーであったが、各会場とも盛会をきわめ、主客は創業八十年の慶祝をともにした。
なおこの自祝に際し、記念品として得意先関係には創業八十年を記念して作成した小冊子「文明をつくる」と西独ゾリンゲン製のハサミを、大林組および関係会社役職員、後援者、縁故者関係遺族等に対しては銀製スプーンその他を贈った。また株主に対しては九月期決算に年二割の普通配当のほか、四分の記念特別配当を行ない、このうち八分に当たる分を株式で配当し、資本金は六億円増加して一五六億円となった。