大林組80年史

1972年に刊行された「大林組八十年史」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第三章 新宮殿造営

第二節 工事の概要

建築概要

位置
旧江戸城西の丸および山里丸地区(旧宮殿跡)
敷地面積
約六万四六四〇平方メートル
建築面積
一万五六四三平方メートル
延床面積
三万五七八九・八九平方メートル
建物構造
鉄骨鉄筋コンクリート造(地下駐車場および設備管制所は鉄筋コンクリート造)
発注
宮内庁
基本設計
東京芸術大学教授 吉村順三
実施設計
宮内庁臨時皇居造営部
施工監理
宮内庁臨時皇居造営部
施工
宮殿造営工事共同企業体
労働実績
就労延約七五万二〇〇〇人、延六三七万六〇〇〇時間
(労働大臣より安全団体賞および衛生団体賞各一回受賞、労働省労働基準局長より一〇〇万時間無災害受賞二回、東京労働基準局長より七〇万時間無災害受賞四回、その他、安全関係受賞六回、度数率一・二五、強度率〇・八〇)
正殿
正殿
長和殿南溜
長和殿南溜
豊明殿
豊明殿
長和殿春秋の間
長和殿春秋の間

設計は、日本古来の宮殿の伝統を尊重し、素朴簡素であるとともに、国民に親しまれるものであることを主眼とされた。そこで、屋根はゆるやかな勾配と深い軒の出をもつ銅瓦葺きとし、外観は、中世の木造漆喰塗り壁の美を、メタルカーテンウォール工法によって再現した高床(ピロティ)型式となっている。室内は日本特産の銘木と裂地(きれじ)を用い、調度品も国産で、すべてが清楚な意匠とすぐれた工芸技術によって完成された。

しかし国力の回復にともない、また外国貴賓の御接見等国家的行事が増加するにつれ、その必要はいよいよ痛感されたので、宮内庁当局は内々造営の準備に着手し、昭和三十三年(一九五八)三月にはほぼ基本構想をまとめた。

建物基礎は、各柱下に鉄筋コンクリート場所打杭七〇〇本を、ベノト工法により上部東京層まで到達させてある。杭は径一メートル、長さは九~二〇メートルである。躯体は鉄骨鉄筋コンクリート造(地下駐車場、設備管制所は鉄筋コンクリート造)で、各建物の規模は以下のとおりである。

棟名 階数 軒高
(地盤線から)
棟高
(地盤線から)
延床面積
m m m2
表御座所
  • 地下1
  • 地上1
11.24 16.69 1611.96
表御座所北棟
  • 1
  • 1
10.47 14.69 1487.66
正殿
  • 1
  • 1
12.81 20.19 2495.02
千草、千鳥の間
  • 1
  • 1
8.13 12.20 324.85
回廊
  • 1
6.85 8.49 577.98
連翠
  • 2
  • 1
11.14 16.48 1171.62
豊明殿
  • 2
  • 1
10.43 18.02 8748.81
長和殿
  • 1
  • 1
9.11 15.00 9677.55
渡廊下およびトレンチ
  • 1
  • 1
771.91
地下駐車場
  • 1
7185.62
設備管制所
  • 1
1736.91
計 35789.89

仕上げ工事 屋根は厚さ〇・八ミリの長尺銅板を成型し、これを人工緑青発錆仕上げとして、日本古来の本瓦葺きの形式に葺き上げてある。その最も長いものは、棟から軒先まで二二・五メートルにもおよんでいる。外装の柱型は厚さ三ミリのブロンズ大板貼り硫化いぶし仕上げとし、中世の木造柱の感覚が表現され、梁型は厚さ一・二ミリのブロンズ小幅板貼りを硫化いぶし仕上げとし、柱、梁とも内装仕上げはこれに準じている。外壁面は厚さ四・五ミリのアルミニューム大板を、硫酸塩被膜処理したものをアクリル系白色塗料焼つけ仕上げとして、中世の漆喰塗り壁の感じが出されている。サッシュおよびドアは、ブロンズ製硫化いぶし仕上げで、シャッターブラインドは発色アルミ製電動式として、古代の御簾(みす)を模している。ガラスは厚さ六~一五ミリの透明磨き大板ガラスである。

一般階の内装は、床はモルタル下地プラスチックタイル貼り、壁はモルタル塗りまたはプラスター仕上げで、天井は軽量鉄骨下地不燃性ボード貼りである。主階の床には、軽量コンクリート内にパネルヒーティング配管を埋設し、モルタル仕上げの上に手織り緞通あるいは絨緞を敷き、厚さ二・五ミリの欅挽き板を両面に貼り合わせたランバーコアパネルをボーダーにしてある。框(かまち)材、長押(なげし)、添柱、出入口枠、鴨居、まわり縁等は、すべてランバーコア構造の上に厚さ〇・八~二・五ミリの化粧板貼りとされているが、これには樹脂一五〇年~一〇〇〇年の最良質の長大材が使用された。材種は国産の桧、松、杉、とが、たも等である。壁は主としてつづれ織または裂地貼りであるが、一部は厚さ一二ミリの合板に、銘木の化粧板練付けパネル貼りとなっている。天井には、厚さ一二ミリの合板下地に、化粧版練付けパネル貼り、あるいは布地貼りパネルが用いられた。建具は積層材框を使用し、内部には断熱、防音材が充填されている。障子には桧または杉材を用い、障子紙としてはプラスチックフィルムに手すき美濃紙を貼りつけたものが使われている。

この室内装飾には、東山魁夷、安田靱彦、中村岳陵、橋本明治、山口蓬春、岩田藤七、黒田辰秋、杉山寧、内藤四郎、多田美波、永原浄氏ら、わが国第一流の美術家が参加し、格調高い総合芸術を形成した。

設備工事 宮殿と宮内庁庁舎の間の地下に、設備管制所が設けられ、機械および電気設備の管制に当てられている。また各棟の地下に機械室と電気室がおかれている。設備管制所にはブロワー型真空掃除機を設置し、主階の各所に真空弁を配し、アタッチメントによって吸引した塵埃はここに集められる。給水、給湯、排水、厨房、消火等、一般設備も完備し、地下駐車場には泡消火設備がある。飲用水は都水道であるが、雑用には井戸水を使用し、排水は都の下水道に連結している。ガスは都市ガスである。

宮殿各棟には空調機械室が設けられ、別棟のボイラー室と設備管制所にあるボイラーと冷凍機によって冷暖房空調の熱源が供給される。各機械室の調和機は、部屋別、使用目的別に系統が分かれ、それぞれ各室の空調を行なうが、主要な部屋には床暖房設備が併用されている。電気設備については、設備管制所内に特高変電室があり、三相二二キロボルト常用、予備二回線で受電し、三キロボルトに降圧した上で、各棟の第一、第二、第三の二次変電室をつうじ電灯、動力の設備に送られる。予備電源としては、六二五キロボルトアンペアの自家発電設備がある。その他の弱電設備としては、電話、時計、インターホン、ワイヤレスコール、拡声装置、火災報知、テレビ・ラジオ共同視聴装置等があり、避雷設備は屋根棟に内蔵されている。昇降機械設備としては油圧式エレベータ七基、エスカレータ一基、ダムウエータ一基がある。

庭園工事 長和殿の東庭は、由良石を敷きこんだ面積約一万五〇〇〇平方メートルの広場で、南車寄せがあり、欅、椿、山茶花などが配されている。国民参賀はここで行なわれる。長和殿、正殿、豊明殿にかこまれる中庭は、面積約四八〇〇平方メートル、白那智石敷で、東北隅に紅梅、西南隅に白梅が植えてある。南庭は貴船石に流れを配し、樹木は落葉樹と大刈りこみとした。正殿と表御座所北棟との間にある桂壷は、西南隅に桂を植え、北側に寄せ植えの築山がある。また連翠南側の庭には、周囲秩父青石張りの池があり、池中に石を置き、周辺に椿、もっこく等を植え、北側の庭には吹上御苑から移した赤玉石と黒松がある。

これらの工事のほか、正門および伏見櫓の補修と、東庭につうじる中門、東庭東北隅にある照明塔の新設を行なった。中門は幅一〇メートル、桁下高四メートルで、柱と梁は鉄筋コンクリート造、硫化いぶし仕上げのブロンズ板貼り、屋根は宮殿に準じた銅瓦葺きである。照明塔は先塔の高さ一六メートル、形は若松の葉を象徴し、人工緑青発錆仕上げの銅板製で、照明装置は若松の葉の間に内蔵されている。

両陛下、たびたび現場を御巡覧

宮殿造営は、昭和三十九年(一九六四)六月から同四十三年(一九六八)十一月まで、約四年五カ月を要したが、天皇、皇后陛下には、その間、昭和四十年四月十九日の御巡覧をはじめとし、一一回にわたり工事現場を御覧になり、ときに係員をはじめ全労務者の労をねぎらわれ、あるいは事故をおこさぬようとの御注意があった。

昭和四十三年十一月七日、この最後の御巡覧は特に御熱心で、午前中約二時間、さらに日没約一時間の二回にわたり詳細に御覧になられた。両陛下御巡覧に際しては、府川工事事務所長が御先導、高尾造営部長が御説明に当たり、侍従、宮内庁諸官のほか共同企業体の幹部が随行した。なお、皇太子、同妃両殿下をはじめ皇族、御親族の方々もそれぞれ日時を定めて御覧になられた。

式典行事 宮殿造営に関する式典行事は、以下のとおりである。

  • 起工式 昭和三十九年六月二十九日
  • 立柱式 同四十年二月十二日
  • ボイラー火入式 同四十年十一月十八日
  • 起工式鎮物納めの儀 同四十一年六月十四日
  • 上棟式 同年九月十三日
  • 瑞島祓除の儀 同年十月十三日
  • 上棟式棟札納めの儀 同四十二年四月二十四日
  • 屋根完工式 同年七月十九日
  • 特高通電式 同年九月二日
  • 斎砂埋納の儀 同四十三年八月十三日
  • 宮殿落成大殿祭 同年十一月十三日
  • 落成式 同年十一月十四日

主要式典の参列者は以下のごとくである。

  • 起工式―池田首相以下各閣僚、最高裁長官、衆参両院議長および関係議員、関係官庁諸官、宮内庁長官以下諸官、造営顧問、共同企業体五社社長および役員、工事関係者等三七五名
  • 上棟式―佐藤首相、橋本建設相、最高裁長官、衆院議長および関係議員、関係官庁諸官、宮内庁長官以下諸官、造営顧問、共同企業体五社社長および役員、工事関係者等二三四名
  • 落成式―佐藤首相以下各閣僚、最高裁長官、衆参両院議長および関係議員、関係官庁諸官、宮内庁長官以下諸官、都道府県知事、各界代表、元皇居造営審議会委員、造営顧問、共同企業体五社社長および役員、工事協力業者、工事関係者等一二〇二名

落成式式典は、天皇、皇后両陛下、皇太子、同妃両殿下御臨席のもとに秋晴れの東庭で行なわれた。まず宇佐美宮内庁長官の式辞、高尾臨時皇居造営部長の工事経過報告があり、つづいて佐藤首相、石井衆議院議長、重宗参議院議長、横田最高裁判所長官がそれぞれ祝辞をのべた。これに対し、天皇陛下からお言葉があり、万歳を三唱して式典を終了、別席で祝宴にうつった。ここで宇佐美長官から、別記の感謝状を五社社長にそれぞれ贈られた。また、祝宴ののち表三の間において両陛下には下記一二名に対し謁をゆるされ、特にねぎらいのお言葉を賜わった。

  • 造営顧問 内田祥三、関野克、吉田五十八、久田俊彦、平賀謙一、平山謙三郎
  • 株式会社大林組社長 大林芳郎、鹿島建設株式会社社長 渥美健夫、清水建設株式会社副社長 野地紀一、大成建設株式会社社長 本間嘉平、株式会社竹中工務店社長 竹中錬一
  • 宮殿造営工事共同企業体工事事務所長 府川光之助
起工式(昭和39年6月29日)
起工式(昭和39年6月29日)
立柱式(昭和40年2月12日)
立柱式(昭和40年2月12日)
上棟式(昭和41年9月13日)
上棟式(昭和41年9月13日)
落成式(昭和43年11月14日)
落成式(昭和43年11月14日)

感謝状

宮殿造営工事共同企業体 
株式会社大林組
鹿島建設株式会社
清水建設株式会社
大成建設株式会社
株式会社竹中工務店

右は宮殿の造営に当たりその重要性をよく理解せられ周到な配慮と優秀な技術とを以て協力一致四年余にわたる困難な工事を滞りなく完成されました。

ここにその業績を讃え深く感謝の意を表します。

昭和四十三年十一月十四日

宮内庁長官  宇佐美 毅

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