大林組80年史

1972年に刊行された「大林組八十年史」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第五章 きびしい試練

第四節 後援者の尽力

財界人が連名で異例の信用保証

芳五郎の死によって、嗣子義雄が大林家の家督を相続し、合資会社大林組の出資額も亡父の分を継承して、それまでの出資額と合わせ四〇万円となった。しかし年わずかに二十二歳、なお早稲田大学商科在学の身であり、また大林家は北浜銀行に対する債務のため、財産整理中であったから、世間には大林組の危機が伝えられた。

伊藤、白杉は大林家を守ると同時に、指導者を失った大林組の社業を、彼らの力で維持経営しなければならなかった。そこでとりあえず各官庁、会社等の発注取引先きに対し、岡技師長と連名のあいさつ状を、発送した。

粛啓 厳冬之候冱寒烈敷候処各位御機嫌麗はしく起居被遊候哉御伺申上候 降而当組社長大林芳五郎死去致候に就ては世間何彼と噂有之候由に候へ共当大林組は依然として存続するは勿論今後益々発展を期し居り嗣子義雄其後を引継ぎ従来通り従業致居候に付何卒倍旧の御愛顧を賜り度希望仕候
 殊に今後は更に時代に副ふべき設備万端一層相整へ貴需に応じ候覚悟に有之又其内容等に就ても何等支障なく充実致居候条是亦御安心被成下度茲に得貴意候 敬具

大正五年二月

大林組代表者 伊藤哲郎
白杉亀造
岡胤信

この危局に際し、芳五郎から後事を託された片岡直輝、渡辺千代三郎両氏は、今西林三郎氏らとはかり故人と親交のあった財界人に協力をもとめ、大林組の支持につとめた。そして同年四月、特に親しかった人々の連名により、以下の依頼状を各関係方面に送った。

拝啓 春色漸深候処愈御清適之条欣賀之至に御座候 陳者友人大林芳五郎氏之長逝に付合資会社大林組業務の状況並に将来之所期に関し代表社員等より呈一書候通り同社之基礎逐年堅実を加へ如何なる重要工事をも御高嘱に応じ得る事は小生等の確信する所に御座候而己ならず亡友之遺嘱も有之将来小生共後援監督可仕候間一層之御庇護を賜り候様特に御依頼申上候 敬具

大正五年四月

今西林三郎
片岡直輝
高倉藤平
谷口房蔵
天野利三郎
志方勢七

これは一種の信用保証とみるべきもので、企業に個人色の強かった時代とはいえ、異例なことといわなければならない。この人々の間における芳五郎の人望を知るべきであろう。この依頼状にそえ大林組からも、改めて次のあいさつ状を発送した。

謹啓 時下春暖之候愈御清暢被為渉奉敬賀候 扨弊組土木建築請負業之儀ハ去ル明治二十五年来故大林芳五郎一個人ニテ経営致候処業務次第に盛大に赴キ候間更ニ其基礎ヲ永遠ニ確立セシメンガ為同四十二年之ヲ合資会社ノ組織ニ改メ下名等ニ於テ業務一切ヲ継承シ芳五郎ハ相談役トシテ注意奨励ニ力メ居候処幸ニ事業ハ年ト共ニ隆盛ニ向ヒ候段全ク御高庇ノ賜ト難有感佩仕候 然ルニ過般不幸ニシテ芳五郎長逝シ熱心ナル相談役ヲ失ヒ候ヘ共創業以来既ニ二十五年組織変更後八星霜ヲ閲シ候事トテ其経歴ト共ニ営業ノ基礎鞏固ヲ加ヘ如何ナル重要工事ノ御高嘱ニモ応シ得候事ト竊ニ自信仕居候折柄更ニ有力者ノ後援ヲ得候ニ付今後一層奮励業務ニ尽瘁シ以テ従来ノ御春顧ニ奉酬度何卒鄙衷御諒察ノ上倍旧ノ御用被仰付度奉悃願候 敬具

大正五年四月

合資会社大林組
代表社員 伊藤哲郎
同    白杉亀造
技師長工学博士  岡胤信

岩下氏失脚当時、芳五郎の北浜銀行に対する負債は約三〇〇万円で、担保の大部分は諸種の株券と二〇〇万円におよぶ大阪電気軌道の手形であった。それが手形は流通せず、しかも大軌の株価は額面の五分の一程度であったことが、大林家の私財整理を余儀なくさせたのである。この整理や北浜銀行との折衝に当たった白杉らの苦心はいうまでもないが、一応の解決をみたについては、前述の財界有力者の援助によるところが多かった。

当時大林組は、すでに全国に業域をひろげ、多額の資金を必要としていたが、もはや大林家にたよることは不可能であった。この急を救ったのは天野利三郎氏で、市場的には無価値に近い大軌の手形、株券などを担保に、一〇〇万円の融資を快諾してくれた。常識的には芳五郎あっての大林組であったから、その死とともに会社の危機が伝えられたのは不思議ではない。それがこうして立ち直ることができたのは、まったく以上の(注)諸氏の配慮によるもので、同時に芳五郎の力が死後にまでおよんだともいい得る。ここに名を連ねた人々や、岩下清周、渡辺千代三郎氏らは大林組の恩人として、現に毎年行なわれる物故者慰霊祭に当たり、後援者の霊としてまつられている。

注・今西、片岡、志方の諸氏については前にのべた。高倉藤平氏は堂島米穀取引所理事長、北浜銀行頭取のほか有隣生命保険、花屋敷土地会社の創立者で、北浜銀行問題では深い関係があった。谷口房蔵氏は紡績界の巨頭で、大阪合同紡績(のちに東洋紡と合併)社長、その他豊田式織機、阪和電鉄の社長または重役として、大阪財界の雄であった。天野利三郎氏は合資会社天野商店で知られた樫材および金物商、渡辺千代三郎氏は北浜銀行出身で、大阪瓦斯取締役から同社長となり、南海鉄道社長をも兼ねた。

後援依頼状
後援依頼状
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