第一節 多摩御陵工事と即位御大典工事
御陵ならびに東浅川仮駅工事
大正十五年(一九二六)十二月二十五日、大正天皇が崩御され、年号は昭和と改められた。
先帝御斂葬のため、東京府下浅川に多摩御陵が造営されることになり、同月二十七日、大林組に対し御陵ならびに東浅川仮駅建設工事を下命された。明治天皇の伏見桃山御陵、昭憲皇太后の伏見桃山東陵に次ぐ、三回目の御陵工事特命である。ただちに事務所を東京府南多摩郡横山村下長房に設け、昼夜兼行で工事に奉仕した。
御大喪(葬)は昭和二年(一九二七)二月七日、新宿御苑においておごそかに行なわれ、梓宮(霊柩)列車は千駄谷仮駅から東浅川駅に向かった。翌八日未明、多摩御陵で御斂葬が行なわれるに当たり、社長大林義雄は特に玄宮奉仕を許された。この工事について、二月十一日、大喪使事務官森泰治宮内技師から以下の書状がよせられた。
謹啓 今般多摩御陵墓構築工事滞リ無ク竣功シ無事御式取行ワレ工事関係者一同其奉仕ヲ完ウシ得タル事ハ共ニ御同慶ノ至リニ候処去二月九日山陵翌日祭ニ聖上陛下御参拝ノ傍ラ特別ノ思召ニヨリ小官ニ拝謁ノ光栄ヲ賜ヒタルハ全ク工事関係者一同ノ労苦ヲ御思召サレタル大御心ト拝察シ感泣ニ堪ヘス単ニ小官一個ノ光栄タルニ止ラス以テ広ク工事関係者全員ノ光栄トス可ク特ニ御陵墓工事ノ大部分ヲ担当致サレタル貴組ノ光栄最モ大ナリト存候願クハ此ノ聖恩無窮庶民ニ及フ有難キ大御心ノ程ヲ関係全員ニ周知セシメラレ向後益邦家ノ為ニ精励スルノ資ト致サレ度候
また四月十二日には、大喪使からも次の感謝状を贈られた。
大正天皇大喪儀ノ際山陵及東浅川仮駅新設工事ニ関シ急速且遺憾ナク其工事ヲ竣功セシメタルハ特ニ奉公ノ念慮篤キノ致ス所トス仍テ謝意ヲ表ス
これに引きつづき、御陵造営の本工事も特命により奉仕し、この年十二月大任を果たした。
即位御大典大饗宴場、第一、第二朝集所工事
昭和三年(一九二八)三月、その秋京都で行なわれる今上天皇即位御大典の諸工事を、大礼使から特命され、工事の万全を期しこれに当たった。
特命を受けたのは京都御所内御苑の饗宴場、第一朝集所、第二朝集所などであるが、大饗宴場工事は特に重視された。六月八日午前十時、平安神宮当山宮司を祭主とする上棟式の模様は、毎日新聞社のニュース映画として、即夜京都の円山公園で公開されたほどである。諸工事は順調に進み、御大典は十一月十日に即位式、十四日に大嘗祭、十六日を第一日とする大饗宴が盛大に挙行された。