大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

凡例

一、本傳記編纂の議は、大正五年故人が壯志を懷いて空しく泉下の人となられた直後、大林組幹部會に於て決定し、その編纂を武市雄圖氏に託した。乃ち同氏は各方面の資料を蒐集し、數年の日子を費して一と先づ脱稿を告げた。しかるに漢文調で且つ内容も充實を缺くの點があつたので、後これを齊藤弔花氏の手に於て全部口語體に改訂すると共に更に資料をも補足して武岡豐太氏の校閲の下に大體の編纂を終つた。この間亦實に數年を要し、その後齋藤氏は一身上の都合で大阪を去られ、つゞいて眼疾を患つて遂に執筆を斷念せられたのは遺憾に堪へない。こゝに於て昭和十一年五月、新に大林組内に編纂會を設け、元社員白田喜八郞氏に執筆を依囑した。氏は、全く白紙に還元して根本より事實の再檢討を行ふと同時に、氏獨自の筆で更に稿を起し、内容も亦倍加充實したので茲(ここ)に漸く完成を告ぐるに至つたのである。しかして又故人の丕績(ひせき)及その風格を最も卒直且つ忠實に描寫したい希望から縱令年月が重つても、一字一句に深い注意を拂つて編纂した結果、遂に刊行が遲延したものであつてこの點特に御淸察を願ひたい。

さりながら本傳記に現はれた故人の業績中、勇俠義烈、赤誠奉公の最も顯著なものは、畏くも伏見桃山御陵御造營工事であつて、これに次ぐものは日露戰役より戰後に渉る各般の軍事工事であり、時恰も東亞新建設の鴻圖(こうと)に邁進しつゝある我が國空前の一大時機に方つて、故人の傳記が世に出ることは何かの深い夤縁(いんえん)があるかのやうに思はれ、地下の故人も定めし莞爾たるものがあらうと、唯それのみを期待してゐる。

尚編纂委員は、白杉嘉明三氏(委員長)、中村寅之助氏、妹尾一夫氏、渡部圭吾氏、塚本浩氏であつて、又幹事として岩田昌也氏が、事務並に白田氏を輔けて印刷、校正等に當られたのであつた。

一、本傳記の刊行に對し、侯爵東郷平八郞閣下、海軍大將有馬良橘閣下、陸軍大將鈴木莊六閣下、陸軍中將安滿欽一閣下、男爵郷誠之助閣下、男爵大倉喜八郞閣下より題字を賜はり、その他故人の先輩又は知友諸彦より、序文又は追憶の感想を寄せられたことは、一族一門の光榮とするところであつて御芳志のほどを深く感謝するものである。

しかるに編纂が長年月に彌つたので、其の間に於て東郷侯爵、鈴木大將、大倉男爵の各閣下を首(はじ)め、岩下翁、片岡翁、今西翁、渡邊翁等數々の方々が他界せられたことは痛惜の外なく、茲に謹んで敬弔の意を表するものである。

一、本傳記中、前記、本記、後記の三編は、一昨年の十二月初旬に脱稿印刷を終へたのであつたが、その後刊行までに下の異動があり、自然訂正を行ふべき筈のものではあるが、略儀ながら冒頭にその異動を掲げ訂正の繁を省いたことを豫め御諒承願ひたい。

小原孝平氏 監査役辭任(現囑託員)
河原秀孝氏 死去(菩提寺住職)
白杉嘉明三氏 改名(元、龜造)
富田義敬氏 死去
岡 胤信氏 死去

一、脊書及卷頭の大林芳五郞傳の文字は現社長大林義雄氏の筆である。

昭和十五年六月
大林芳五郞傳編纂會

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