大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第二編 本記

二十四 北區の大火災に於ける故人の任俠 四十六歳

明治四十二年七月三十一日、曉の夢圓(まろ)やかに街頭寂として靜かなる折しも突如として大阪天滿空心町の一角から火を發した。

火勢猛烈

時恰も三伏の候に加へ二旬に彌(わた)つて降雨なく、家屋は極度に乾燥してゐたところへ東からの疾風に火勢猛烈、火は風を呼び、風は火を煽り、猛焔は刻々にその勢を增し、瞬く間に天神橋筋に燒け延びて南森町を一炬に附し、それより火烽は南北に擴がつて北は遂に堀川を越え、南は大阪控訴院を首(はじ)め幾多の大厦(たいか)を舐め盡し、勢に乘じて西方梅田新道を突破して北の新地や堂島を一掃し、更に出入橋より福島を襲ひ、靑史に名ある逆櫓(さかろ)の松や五百羅漢をも黑煙に卷き込んでしまつた。大阪全市及隣接府縣からの消防手數千人や第四師團の兵員三千餘人の死力を竭した消防も効を奏せず、茫々際涯なき劫火の海と化して徒に祝融子の橫行に委すより外はなかつた。幸ひ翌八月一日拂曉(ふつぎょう)から風力漸く衰へ、一晝夜に亙(わた)つて強暴を逞うした猛火も遂に日本紡績會社の高塀に至つて食ひ止められたが、實に文久三年妙知燒け以來の大火で、官公衙十一、學校八、銀行會社十四、神社佛閣二十、民家一萬一千三百有餘は灰燼(かいじん)に歸し、遂に延長一里に亙る燒野ケ原を現出した。

故人の救援

この時、故人は大火と見るや、直ちに數百名の人夫を召集してこれを危險に瀕する顧客先及知人、社員、下請等の許に分遣し、或は人手少き罹災民の救援に從はしめ、終日終夜火の子を浴びつゝ家財の搬出に努めしめると共に、故人自らは別に船隊を指揮し、橫堀を利用して家財搬出の敏速を計つたなど、その奮鬪のめざましかつたことは修羅王の如くであつた。

阿部製紙工場の掩護

殊に最も意を用ひたのは阿部製紙工場の掩護であつて、同工場は故人が旗揚時の最も記念すべき處女作であり、且つ當時の眷顧(けんこ)に酬ゆる爲にも是が非でも燒いてはならない建物なのである。まして同工場には引火し易い材料が充滿してゐたので、猛火の西漸と共に危險極まりなかつた。故人は一隊に令し、擧(こぞ)つて同工場の救護に向はしめた。朝日橋附近より同工場の周圍は大林組の配下を以て埋め盡し、物置一ツ燒かすものかとの意氣、この氣勢に怖れてかさしも暴威を逞ふした祝融子も遂にその鉾先が鈍つて事なきを得たのであつた。

臨時炊出場

又大林組の店内は臨時炊出場と化し、得意先その他の罹災者を恤(じゅつ)したのは勿論、一晝夜奮鬪の社員人夫等の糧食に充てるなど火事場にも勝る混雜を呈した。この時故人が平素嗜みに用意してゐた幾樽かの澤庵漬と梅干とは、咄嗟の場合に大なる効果を收めたのである。たゞ意外に苦しめられたのは北濱、船場一圓に亙る白米の品切であつて、已むなく給仕小使等を各方面に派し一升買までして買ひ集め一時の急を凌いだのであつた。

勇士の俤

鎭火後、身體綿の如くになつて引上げ來る人夫一同は法被や襯衣(しゃつ)のズタズタに引裂かれた者、帽子を失つた者、腰より上の素裸の者、素跣の者、赤黑い血のにじみ出てゐる者等で、顏といひ、手足といひ、汗と泥と墨の中を泳いで來たやうな有樣、まるで戰場を引上げ來る勇士の俤(おもかげ)があつて、寧ろ悽愴の氣さへ漲(みなぎ)つたのである。以てその活動が如何に猛烈であつたかゞ察せられる。しかも彼等は菰樽(こもだる)一杯の汲み飮みと、一個の握飯に飢を醫(いや)し、故人から『御苦勞であつた』といふ一語の挨拶を無上の慰安に、いと滿足げに散じ行くのであつた。故人平素の任俠は彼等の五臟六腑に滲み込んで居り、まして徹底せる精神的の指導訓練は一朝事あつた場合に遺憾なく發揮せられ、故人の意氣その儘となつて現はれるのであつた。

北區大火の燒跡
(堀川橋筋)
北區大火の燒跡
(堀川橋筋)
北區大火の燒跡
(燒落ちたる大江橋)
北區大火の燒跡
(燒落ちたる大江橋)
北區大火の燒跡
(福島五百羅漢附近)
北區大火の燒跡
(福島五百羅漢附近)

天下の糸平

往年江戸の大火の折、天下の糸平は甲州に馳せて材木の大買占をなし、これに因つて巨富を致したと傳へられてゐるが、這般(しゃはん)の大阪大火に際しても建築業者中には材料の買占に狂奔した者さへあつた。しかるに故人は社員を戒め『一朝にして衣、食、住を失ひ、路頭に徨ふ罹災民を思ふとき、一握りの飯でもよい、一枚の襤褸(ぼろ)でもよい、惠んで上げたいと思ふのは自然の人情である。その虚に乘じて巨利を博しようとするが如きは男として唾棄すべきものである』と言つて、罹災者救助費中に多大の寄附をなし、又貯藏木材の廉賣を行ふなど、力の及ぶ限り建築方面の便宜を計つたのであつた。

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