大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第二編 本記

二十七 日本醤油釀造會社の後始末 四十七歳―四十八歳

發明の天才

明治四十年六月、日本醤油釀造會社が尼崎に生れた。發明の天才と謳(うた)はれた鈴木藤三郞氏が、二月間といふ短期の醤油釀造に特許を得たのを基礎として、岩下翁その他有力者の援助の下に創立せられたのであつたが、工場化せられた後の釀造は大不成功に終り、剩(あまつさ)へその工場は明治四十三年五月、火災の爲會社專屬の製樽工場のみを殘して灰燼(かいじん)に歸し、會社は遂に大損害の下に解散を餘儀なくされてしまつた。

四面楚歌

この問題は寧ろ岩下翁の先見が崇つた千慮の一失ともいふべく、口さがない巷間の冷罵嘲笑は翁に集注されて氣の毒なほどであつた。故人は最初同工場の建築を請負つた因縁もあり、且つ岩下翁當面の苦衷を察し、その缺損の低減を望むの餘り自ら進んで後始末に對する犬馬の勞を執るに至つた。その缺損低減の方法は頗(すこぶ)る簡單明瞭で、殘存の製樽工場と燒跡敷地との處分に成功すればよいのだが、いざその衝に當つて見ると相當困難な問題が簇出(そうしゅつ)し、故人をして尠からず困惑せしめたのであつた。

敷地の處分

先づ敷地處分の如き、關係者中相當食指の動いてゐた向もあつたが、輕薄な人情を遺憾なく暴露してこゝぞとばかり弱味につけ込み、豫定賣値の半額程度にしか値入をなさず、故人はその現金主義な世の風潮を一方ならず憤慨したが、事は頗る急を要し、他に策の施す術もなかつたので遂に自らこれを引受けようとさへ決心するに至つた。しかし天はこの硬骨漢の任俠を見捨てず、偶橫濱電線關西分工場の建築敷地として中島久萬吉男よりの申込に接し、故人は例により赤裸々に眞情を吐露して同男の同情を求めた結果、その僞らざる折衝は忽ち効を奏し、急轉直下賣買の契約が纒り、缺損低減に資するところが頗る多かつた。

日本醤油の燒跡買收

男爵 中島久萬吉氏談

私が大林氏を知つたのは、岩下翁との酒席の上であつたと記憶するが、一見して面白い豪壯な人だと思つたのが始まりで、その後隨分お心易く願つてゐた。 私が當時社長をしてゐた古河系の橫濱電線會社で、關西に分工場を設置する爲適當な土地を物色中、偶岩下翁が深い關係を有たれてゐた日本醤油が經營難の末工場が燒失した時、恰も私は下阪中であつたので工場の燒跡を見た處、海陸を繫ぐ運河も鑿通(さくつう)してゐて至極恰好の地と思つたので、その差配人はと訊くとそれは大林氏であつたので、早速交渉を進めたのであつた。

この土地の處分は會社後始末の爲急いでゐられたやうだが、私は急用に迫られて下話のまゝ歸京し、間もなく大林氏が上京されて敷地の圖面や關係書類を示され、親切叮嚀(ていねい)な説明の下に『この土地はさし迫つた必要から賣却するので、決して利益を目的にするのではない。どうぞ損をしない程度で宜しいから買つて下さい』と話を進められ、早速賣買の手打が出來たのであつたが、買取價格は二十萬圓であつたと記憶してゐる。しかるに私の檢分した時は燒跡の始末が容易でないと思つたのでそのことを話すと、大林氏は『それは私が一切引受けて片付けます』と約束されたが、その後受渡の際、約束通り淸らかな地面となつてゐたことは、今思出しても快感を湧きたゝせる。大林氏のやうな僞りのないさつぱりとした性情は、自然的に私の心持とピツタリ合致して爾後懇意の間柄となつた。

故人の義俠的奔走により、敷地の處分は大成功の下に始末されたが、更に製樽工場の處分が橫つてゐて、故人はこの問題に少からず惱まされたのであつた。

製樽會社の創立

同製樽工場が相當大規模のもので且つ最も斬新精巧な機械を應用した優秀な設備であつたのに、創業日猶淺く、これが能力を充分に發揮せしむるに至らないで、今卒かに他人の手に委すことの惜まれる餘り、こゝに獨立の製樽會社の創立を發意し、關係者間を奔走して賛成を得、故人は自ら社長の職に就き、平岡寅之助氏を專務に、石田鐵郞氏を技師長として、一般の需要に應ずる製樽會社を設立したのである。多量の材料を北海道に需め、製作技術に新機軸を案出して生産能率を增進するなど、良くて安價な製品を提供する目的の下に銳意專心經營に當つた結果は、その努力の甲斐あつて各方面より好評を博し、殊に當時三井物産が盛に豆油を歐米に輸出してゐた際とてその容器として大量の注文を受けるなど、業績は日々に隆昌を告げるに至つた。故人の献身的なこの擧は岩下翁の失敗全部を償ふ能はずとしても、惡評の幾分かを緩和し得たことは確かで、翁平生の知遇に酬ゆることが出來たのである。

OBAYASHI CHRONICLE 1892─2014 / Copyright©. OBAYASHI CORPORATION. All rights reserved.
  
Page Top