大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第三編 後記

三 葬送 3 追悼會

新義州の追悼會

これより先、明治三十七年、九連城が陷落した時、大林組は陸軍省の命により臨時軍用機道枕木その他の製材を引受け、露國の管理下にあつた木材公司の伐材を運用する爲、朝鮮鴨綠江口の新義州に製材工場を建設した。

新義州は上流から流れ來る鴨綠江材の湊泊(そうはく)地で、相當重要な使命を有つてゐたが、日露戰爭以前は微々たる一寒村に過ぎなかつた。しかるに大林組が製材工場を建設して以來今日の大發展をなしたことは、既に本記に於てこれを述べたが、當時の製材工場長たりし多田榮吉氏が猶同地に在住してゐて、三月五日、同地淨土宗布敎所に於て新義州開發の恩人たる故人の追悼會が營まれ、新義州營林廠長(しょうちょう)、同府尹(ふいん)等官民多數の參列者があり、頗(すこぶ)る盛儀を極めた。こゝにその時の朝鮮總督府營林廠長齋藤音作氏の祭文を掲げる。

營林廠長祭文

祭文

維時(これとき)大正五年三月五日多田榮吉氏ノ主催ニ依リ、新義州在住有志相集リ、故大林芳五郞君ノ靈ヲ祭ル、君ハ大阪ノ人、呉服商家ニ生レ、資性英邁(えいまい)才氣衆ヲ拔ク、幼ヨリ志ヲ建築業ニ懷(いだ)キ、祖業ヲ捨テヽ建築業者砂崎氏ニ師事シ、黽勉勵精(びんべんれいせい)能クソノ技ヲ修ム、第五回展覽會ノ擧アルヤ、卒先ソノ建築ニ從事シ、初メテ建築界ニ頭角ヲ顯ハセリ、超エテ明治三十七、八年日露ノ役起ルヤ、君ハ選パレテ朝鮮鐵道監部ノ特命ヲ受ケ、同部所用ノ木材供給ト建築トヲ請負フコトヽナリシカバ、勇斷ニシテ機ヲ見ルニ敏ナル君ハ、地ヲ新義州ニトシ製材所ヲ起シ、多數ノ配下ヲ督勵シテ克クソノ至難ノ使命ヲ完フセリ、當時新義州ハ荒漠タル原野ニシテ僅ニ數十戸ノ鮮人草盧(そうろ)ノ點在スルノミナリシガ、製材所ノ起ルニ及ビ、邦人遽ニ集リ、以テ現今ノ繁榮ヲ成セリ

君ハ尚朝鮮ニ於テ、總督官邸、諸兵營、内地ニ於テ東京譯、桃山御陵等ノ高等建築ニ從事スルノ榮譽ヲ荷ハレタルノミナラズ、更ニ各地ニ支店ヲ設ケテ盛ニ斯業(しぎょう)に從事シ、名聲益赫々(かくかく)タタルモノアリキ、余未ダ君ニ面識ノ機會ナカリシト雖(いえど)モ、君ガ當地ニ於ケル不磨ノ功勞ト建築界ニ致セル模範的功績トハ、寔(まこと)ニソノ偉大ナルモノアルヲ認ム

君舊(きゅう)暮微恙(びよう)アリ、續イテ肺壞疽(はいえそ)ヲ病ミ、醫療至ラザルナカリシモ、天君ニ命ヲ籍サズ、遂ニ大正五年一月二十四日ヲ以テ溘焉(こうえん)長逝ス、哀悼何ゾ堪ヘン、然リト雖モ君功成リ名遂ゲテ偉業朽チズ、又以テ瞑スベキナリ、茲(ここ)ニ時羞(じしゅう)ノ奠(さだ)ヲ具ヘ、以テ君ノ英靈ヲ祭ル、尚(こいねがわ)クハ饗(う)ケヨ

朝鮮總督府營林廠長正五位勳四等 齋藤音作

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