大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第一編 前期

七 故人の修業時代 -品川、赤羽間鐵道工事- 

本工事は、東京市の西部を迂回して、東北本線と東海道線とを繫ぐ緊要な線であつて、工期も當時としては破天荒といつてよいほど短いものであつた。即ち延長十三哩間を、明治十七年一月に起工し、翌十八年三月まで十四ケ月間で竣成させたものである。區間に隧道や橋梁等の難工事もなく、平々坦々たる武藏野平野の一部を橫ぎるのだから、短期であつたのは或は當然かも知れないが、しかし全くの急工事で、雨の日も風の日も殆ど無休で工を急いだのであつた。

精神的訓練

かくて故人は、曩(さき)に御造營地形工事に當つてその嚴肅(げんしゅく)さを味ひ、今は櫛風沐雨(しっぷうもくう)、急工事に從つて奮鬪心を養つた。その孰(いず)れに於ても修業の第一歩に於て絶大な精神的訓練を積み得たことは、故人の光輝ある生涯を築くべく確固たる素地が作り上げられたものである。

技術の習得

殊に鐵道工事といへば、當時に於ては時代の尖端を走る新しい工事であつたから、故人は燃えるやうな興味の下に奮鬪を續け、しかも一を聞いて十を知るが如き明敏な頭腦は、僅々(きんきん)數ケ月を出でずして測量、切取、盛土、運搬、土留、石垣、暗渠、埋管等の施工技術は勿論萬般に渉る幾多計畫に至るまでを會得し、如何に熱誠の賜とはいひながらその收獲は驚異に値するものがあつた。しかるに同工事の中期に於て砂崎氏の知友吉田定氏が、是非にもと故人の應援方を砂崎氏に懇望された結果、故人は半ケ年を期限に、吉田氏の請負にかゝる名古屋師團豐橋分營の兵舍建築工事に當ることゝなつた。

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