大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第四編 飛花落葉(逸話)

調伏の返濟

故人が慌しく俥を下りて親友M氏を訪ね、M氏の顏を見るなりいかにも物に怖ぢたやうな樣子で『大變だよ』と叫んだ。M氏は『又例の調伏だらう』と落着き拂つてゐる。故人は、『全くさうぢやない。君、そこの角に豆腐屋があるだらう』『ある。あれは僕のとこの女中の家だよ』『それが今斬られてゐるのだよ』M氏はその意外な言葉に遂ひ釣り込まれて吃驚(びっくり)した。眼をむいて『誰が斬られたのだい』と反問した。故人はこゝぞとばかり『やつこだよ』と言ひ棄てゝ再び俥上の人となり、借りが返せて溜飮が下つたと獨り北叟笑(ほくそえ)んでゐる。それもその筈で、數日前M氏が故人を訪ねて支那土産だといつて、一ツの箱包を置いて歸つた。後で開けて見ると中には何物も這入つてゐない。たゞ紙片に「支那は唐」(品はカラ)と書いてあつたのだ。

店全部の買占め

故人は骨董品なども列べてゐる或る道具屋の店頭で二、三欲しいものを發見し、値を聞いて見たが頗(すこぶ)る高いので、そのまゝ行き過ぎようとすると、道具屋の主人は故人の何人たるかを知らずに傲然たる態度で『眼のない方では買へぬでせう』と愚弄した。故人は立ち戻つて更に店全部の品々を熟視した後、『この店の品全部で値段はいくらか』とたづねた。今愚弄してやつた客がヌツクと立戻つて、無言で店中を睨み廻してゐるその形相に怖氣ついてゐた矢先、店全部でいくらかと來たのだから、主人はなんと答へてよいか判斷がつかず、オヅオヅして答へようともしない。故人は穩かに笑みさへ含んで再三追求した。彼は已むなくよい加减の値の三千圓と答へた。故人の胸中では既に大體の計算が出來上つてゐる。故人は繰返して念を押した後、『諾し、買つた』と直ちに懷中から三千圓を出して空嘯(そらうそぶ)いた。さうなると彼は全く逆上してしまひ、その狼狽する樣は滑稽であつた。故人は直ちに賣渡書を作らしめたが、その宛名が當時有名な故人であつたから彼は益驚かされたのである。實際主人はまさかと思つて氣紛れに三千圓と答へたのであつたが、平靜に復して落着いて計算すると恐らく遙かに値打のあることが判つたのだらう。彼は靑くなつてその輕卒を悔ひるのであつた。故人は可憐な正直な小商人には隨分目を掛けてやつたものだが、かうした傲慢な商人に對しては一歩も假借しなかつた。

大將

岡山師團工事の際、人の差繰り上、時の現場主任を他に轉ぜしめたことがある。同工事は建築八分、土木二分といふ工事であつて、その主任は無論建築技術員であつた。ところが當時軍備擴張工事の最高潮時であつたので、人員拂底の爲後任者は容易に決定しなかつた。自然上席たる土木技術員の野々下社員が主任の仕事を臨時に處理してゐたが、正式の主任でないから建築方面の問題には餘り深入りも出來ず、その結果建築方面の統制が次第に紊(みだ)れ勝ちとなつて來た。野々下社員は切りに後任者の派遣方を本店に迫つたが、荏苒(じんぜん)遂に決定を見るに至らなかつた。そこで野々下社員は本店出頭の機に直接故人に事情を具して懇請した。すると故人は『大將といふものは槍や鐵砲は使はない。しかし槍や鐵砲を使ふ兵卒を指揮することは出來る。君は土木技術員だから建築の多くは知るまい。しかし建築技術員を指揮することは出來るだらう。今後君に主任の發令をするから立派にやり遂げて貰ひたい』と命じた。人生意氣に感ずで、その後野々下社員は寢食を忘れて工事に沒頭した。熱心ほど恐ろしいものはなく、進行も、出來榮も頗る優良で施主方の大滿足を買つた。故人は將に將たるの妙諦を心得てゐたものである。

御禮は水引だけ

故人は昵懇な同業者のK氏に資金を融通したことがある。工事も順調に行つてK氏は相當の利益を得た。早速故人を訪ねて借用金を返濟し、同時にお禮だといつて水引のかゝつた包み金を故人に呈した。故人はその成功を我がことのやうに喜び、『俺は君の感謝の眞心さへ受けたらそれでよい。お金は何かの御用にたてなさい』といつて、水引の包み紙だけを嬉しさうにおし戴いて中味の金子は本人に返し、しかも御馳走までしてその成功を祝つてやつた。K氏は感極まつて涙さへ浮べてゐた。

奇拔な諷剌

田舍出にしては何處か凛々しい一人の女中が傭はれて來た。まめまめしくよく働きもするが、剛情我慢で、自分の家には金の茶釜でもあるやうな高慢ぶりが缺點であり、爲に他の女中との融和もとれなかつた。しかし暇をやるのも可哀さうだといつて、夫人が折に觸れて諭して見たが餘り利目がなかつた。これを聞いた故人は、或る日その女中に『道修町の藥屋の何處かで、つりがねの虫のくそといふ藥を買つて來なさい』と言ひつけた。しばしの後その女中は泣かんばかりの形相で歸つて來て、『藥屋を隨分訪ねましたが、何處の藥屋でもたゞ笑はれるばかり、そんなお藥は御座いませんでした』と復命した。故人は不思議さうに『無いかなア、さうするとお前の内の金の茶釜のやうなものかいな』と實に抉ぐるやうな諷剌、女中は無論胸に釘を打たれたやう。その後見違へるほど從順な女中となつた。

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