大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第二編 本記

三十八 乃木神社の造營 五十二歳

明治天皇御大葬の當夜、梓宮千代田の宮城を出でますとき、聖帝の御靈を送る帝都は、滿街(まんがい)寂として無限の哀愁に鎖され、靜まりかへる秋空に轟然として響き渡る御發輦(はつれん)の號砲を合圖に、乃木將軍夫妻は赤坂の自邸に於て彼の有名な辭世を遺し、聖帝の御あとを慕つて殉死された。さなきだに秋は哀れの深いのに、一代の名將として、海の東郷元帥と共に國民憧憬の的であつた陸の乃木大將の薨去(こうきょ)は、悲絶凄絶の極みといふべく、上下齊(ひと)しく敬慕哀悼の涙にくれたのであつた。

朝暾(ちょうとん)と夕陽

西郷、乃木、一は明治の朝暾であつて遍く帝國の民心を鼓舞し、一は明治終末の夕陽で時代思潮の衰萎を警醒した。前者は「地の大」を語り、後者は實に「天の高き」を想はしめる。乃木將軍は必ずしも老西郷の如き「偉大」の表現はなかつたが、慥(たしか)に「崇高」の象徴であつた。その純忠至誠の終焉は煌として光輝を放つものである。

村野山人翁

偶大正四年三月、神戸の富豪村野山人翁が全財産を擧げて社會事業に寄附せんとし、その一部を以て乃木神社を桃山御陵の邊に建立し、長へに 明治聖帝に奉仕せんとする將軍の意圖を具現すべく決心した。翁のこの計畫は、將軍の純忠を一層意義あらしめたもので、國民に少なからざる好印象を賦(あた)へたのみでなく、一面又翁の奉仕的大精神を發露したものであつて、苟(いやしく)も皇國の民としてその擧を讃せざる者はあるまい。

翁は乃木神社の建立を決意するや、先づその造營一切を故人に託し、囑するに乃木將軍の威靈を發揚し、國民の腦底に乃木式精神の感化を誘ふべき高尚幽嚴な設計を以てした。故人は村野翁のこの美擧(びきょ)に感激措く能はず、全幅の敬意を捧げて勇躍精進事に當つたのである。

床上の指揮

しかるに起工の翌月、故人は不幸藥餌に親しむ身となつたが、この意義ある工事は忘るゝ隙とてなく、床中幾多の報告を聽きつゝ何くれとなく擔當員に指揮を傳へ、社傍に故將軍の舊宅(きゅうたく)を移さしむるなど、萬般に渉つて深甚の注意を寄せてゐた。しかるに翌五年一月、故人はその工の未だ央なる頃遂に館を捐(す)つるに至り、返す返すも人生の至恨事であつた。その訃に接した村野翁は『大林氏は自己の事業を以て國家の大業に資翼した一個特異の大人物である。天奈んぞその器に惠むに大にして、その壽(しゅう)を奪ふの早きや』と痛嘆せられた。

乃木神社
乃木神社
乃木舊邸
乃木舊邸
OBAYASHI CHRONICLE 1892─2014 / Copyright©. OBAYASHI CORPORATION. All rights reserved.
  
Page Top