故人の人生觀
『オイ、又公、治平、黄い羊羮を食べないか』と、鹽(しお)辛い澤庵を齧(かじ)つて如何にも美味さうに茶を啜つてゐる故人は、下男と車夫を對手に人生觀の一くさり。『世の中には珍味佳肴(かこう)が乏しくない。茶請の菓子でも羊羮や、最中や、饅頭や數限りもない。しかし俺はこの澤庵が何より好物だ。これが悟道の境地に入つたとでもいふのだらう。人間は何も無い所謂空から有に生れて來て、終ひは死んで空に還るのだ。俺は澤庵が唯一のお菜であつた丁稚時代を過ぎ、今は朝夕味淋(みりん)漬や、奈良漬や、その他酒池肉林に舌皷を打つ身分とはなつたが、結局は昔の丁稚時代に還つて、この澤庵に越した美味いものはない。世の中のことは皆この澤庵と一緖だらう。榮耀榮華(えいようえいが)で暮してゐる間は悟りのまだ開けない前。悟りが開けると元に還つて素朴簡單な生活に寧ろ味が出て來るものだ。秀吉公が狹苦しい簡素な茶室の中に錆びついた釜の湯で穢(きたな)い茶碗に茶を啜つたその時が、尾張中村の生活に還つてほんとうの人間に生れ返つた時である。大解脱のお釋迦さんでもさうだ。華やかな王宮の榮耀をふり捨てゝ乞食同樣の生活をなされたのである。何事でもよい、通り越してしまへばこの鹽辛い澤庵のやうに心から美味くなつて來るもので、これが空に還る悟りの味といふものだ』