樂山 武岡豊太
故大林君は、滿身是膽、全行是義、嶄然(ざんぜん)として實業界に異彩を放てり。一見風流韻事を解せざる如くなりしも、何ぞ計らむ、橋本雅邦の畫格を歡び、その作品を收藏(ぞう)する二百點に達せむとは。又修養の志篤く、常に英傑興亡の蹟を討尋し、その興るや群雄の心を收攬し、その亡ぶや人心の離反に因るを察し、以て自ら鑑戒としたるものゝ如し。實學の人といふべし。
廣島電鐵會社を創めんとするや、予も創立委員となり、後監査役に加はる。屢(しばしば)君と共に彼地に往復をなす時、小閑の話題は多く歴史に入る。毛利元就が藝州吉田に起り、惡逆陶晴賢を宮島に討滅し、遂に彼の大を成せしに及ぶや、義の一字に基くを感得して言ふ、我をして戰國にあらしめば必ずや毛利氏たらむ、日本男兒は宜しく恥を知り義を重んずべきなりと。
或る時互に年齡を問ふ。偶然同庚なり。爲に交情の厚きを加へ、相見るや毎に要件を簡にして餘談に耽くるを喜びたり。曾て相約して夙川の邸を訪ふ。雅邦の秀作數十點を陳列し、一客一亭の待遇至れり盡せりといふべく、やがて土藏に伴なはる。軸物棚には雅邦猶百餘點あり。寓目の際各種書畫の中に、第百九十三號藤本鐵石の菊と題するものを發見し、請ふてこれを床上に懸く。筆致堂々實に一大傑作たり。予愛藏の意思を問ふ。君言ふ、鐵石は維新に於ける忠烈の士、仍而(よって)尊敬する所以なりと。而してその事蹟に就ては朦朧たるが如し。因て天誅組の義擧を説く。君慨然として義なる哉と。終にその幅を展せし儘晩餐を共にし、款談二更に及べり。數日の後白杉龜造氏來訪あり、曩日(のうじつ)夙川邸に於て歡ばれし鐵石の菊を主命に依り贈呈の爲來れりと。予意外の贈を受け、既に藏する數點の錦上更に花を添ふを謝し、大正四年の秋、御大典記念博覽會を京都帝室博物館に開かれし時、これを列品中に加へたり。
是より先大正三年二月九日君突如として言ふ、乾十郞の遺子大阪に在り、親の事蹟を釋ねつゝあり、君その事蹟を知れりやと。予曰く、乾十郞は大和五條の人にして、森田節齋の門人なり、天誅組に加はり、捕へられて京都の獄に殺さると。君言下に電話して一老婆を招く。名を大井まつといひ、時に歳五十九。まつ女感喜して、多年の心願を果せりと聲涙並び下る。予その孝心に感じ、遂に贈正五位乾十郞事蹟考を編述して全國の圖書館に寄贈し、且つ篆額を十郞の戰友男爵北畠治房翁、碑文を詞友木崎好尚氏に囑し、一大碑を四天王寺鏡の池畔に建つ。是君が常に節義を重んじたるに起因するものなり。
遡りて大正元年 明治天皇御陵の御造築を大林組に御下命あり。その九月の初、工事の竣成近づきしを聞き、君を訪ふてその勞を慰む。君言ふ、現下御陵銘の拓本を命ぜられしもその心得なく困窮せりと。予曰く、そは金石文と稱し、技巧を要する一事業なりと。然らば君能くするか、曰く能くす。奉仕せらるゝか、曰く諾矣。談忽ち熟す。直ちに伏見なる岡工學博士に電話し、大喪使山作部の允許を受く。同四日長男忠夫と共に所要の用具を携へ、寶壙(ほうこう)の御傍に參入し、謹みて拓本を製す。時に石工は積日晝夜の勤勞に疲れ、四圍(しい)嚴重なる小天幕裡の炎熱と鬪ひつゝあり。助手を得ること難し。因て翌五日は更に在中學の二兒を招致し父子四人、淋漓(りんり)なる流汗を一筋のタオルにて拭ひ、終日にして數葉を榻拓(とうたく)し奉る。
かくて御大喪の數日前大林組より電話あり。訪問せしに、來る十四日の夜御斂葬(れんそう)奉仕者に君を加へあり。心得べきは、苟(いやしく)も人語を發すべからざる事、御須屋へは必ず覆面し 入るべき事にして、その覆面の用紙を懷中し、破損あらば取換へ、敬意を失はぬやう注意せよと。予君の敎を諒とし、御當日禮服にて參入し、御制定の烏帽子狩衣を拜領し、塗靴を草鞋に換へ、玉襷(たすき)を掛けて御須屋に入り、寶壙の上に侍し、謹みて御斂葬に奉仕す。古來この御用に服するものを鳳鳥と稱し、人間にあらずとなす。後 昭憲皇太后東陵の御時も、亦その一員に加へられたり。予や、終夜土木の工匠に伍し、唯その敬意の緊張に努む。是君が皇室の御大事に對する周到なる用意を想はしむるものなり。
大正五年君遠逝の後、親故相謀り、繼嗣(よつぎ)をして專心本業に勵精(れいせい)せしむべく先づ夙川の別邸を廢し、次いで遺愛品を大阪美術倶樂部に於て賣立と決し札元の選定を予に一任せらる。即ち山中吉郞兵衛、林新助、春海敏等の各氏を指名し、又友人として永田仁助、片岡直輝、渡邊千代三郞、今西林三郞、谷口房藏の諸君とその目録に添書し、日を定めて入札を行ふ。時に舊友(きゅうゆう)等相語り、世の同情の下に十萬金を得ば可ならんと。しかるに開札の結果十三萬餘圓を計上せり。當時にありて特異の成績と稱せらる。而して雅邦作品中佛畫に屬するものは追善法要に用ひんが爲、豫め別除して家に保留す。その賣立品中に、七代淨益の瓢盡火鉢五對あり、二千金を豫想す。高札三千六百圓にして、以て一般の同情を知るに足る。後に至り大林組を株式組織となせし際、十一代淨益をしてこれを模せしめ、舊友に配贈せらる。予もその贈を受け、客室に使用して追慕の情を寓せり。
以上は君に對する懷舊(きゅう)の梗概に過ぎず。音容猶耳目にあり、感慨極まりなし。