大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第四編 飛花落葉(逸話)

午前が七分に午後三分

「鷄鳴に起きざれば日暮に悔あり」とは大楠公の遺訓である。故人は常に「仕事は午前が七分に午後三分」といつて、早朝の着手を嚴しく勵行せしめてゐた。實際至言といふべく、元氣の張り切つた午前中に於ける仕事の能率は一日中の最たるもので、午後は倦怠に入り易く能率の减退を來すものである。もし現場員が朝寢又は怠慢等に基因して午前の緊張時にその機を逸したなら、午後の倦怠時に如何に聲を涸らして督勵して見ても大なる効果は上るものでない。だから午前中に必ず七分の仕事を仕上げる決意と勵行とが現場員の實踐躬行(きゅうこう)すべき祕訣であらねばならない。故人はこれが實行上現場員には可成現場に宿泊することを奬勵したもので、朝の洗面中に於ても監督の眼を有効に働かし得るからである。現に大林組に於ける現場宿泊の設備が他同業者に比して比較的大規模なのは、かうした故人の意から出發したものである。

工事場にころがつてある庖丁

阿部製紙工場の工事中であつた眞夏のこと、故人は職工達を慰めようと車に一臺の水瓜(すいか)を現場に運び込ませた。職工等は時ならぬ御馳走に大喜び、しかるにイザ水瓜を切る段になつて庖丁が無いといふ騷ぎ。その時故人は、庖丁はその邊に澤山ころがつてゐるよ、といつたが誰も氣の付く者がない。そこで故人は小走りに誰かの大工道具から鋸を一丁携へて來たので、皆の者は成程と合點が行き、山なす水瓜も鋸のお蔭で立所に切り割られてしまつた。

濱の潤ひ

故人は時折客の接待に夙川別墅(べっしょ)の地續きたる西の宮濱で網引の漁を行つたものである。𤄃々とした紺碧の海面を前にして、漁夫共の赤銅色をした逞しい肉體が勇壯な掛聲につれて躍動するのである。都會人の眼から觀たなら驚異的の生きた繪畫なのである。ましてや濱の情緖の溢れたテントの中で、吹き來る汐風の香に醉ひながら、今捕つたばかりの鮮魚に舌皷を打つのだから、全く塵外の一大歡樂たるを失はない。そしてこの網引は獨り招客を歡ばせたばかりでなく、一面貧しい地内漁村への施行でもあつて、この催しのある毎に漁村の老若男女は豐漁のときのやうに喜んだものである。

慈愛が將を釣る

濱寺俘虜(ふりょ)收容所建築の時である。朔風膚を裂る雪空の寒い朝まだき、外套も着ずに飛び出さうとする工事主任の加藤芳太郞氏を見た故人は、『オイ加藤君、今日のやうな寒い日に外套も着ないでは風をひくよ』と注意した。加藤氏は『外套など着ては走れません』と、耳も借さずにそのまゝ威勢よく驅け去つた。その日故人は所用があつて大阪に出で、夕刻大きな包を抱えて歸來した。そして加藤氏に『これを着なさい』といつてその包を渡した。加藤氏が早速開いて見ると、中には駱駝(らくだ)の襯衣(しゃつ)とズボン下とがあつた。この時の工事は加藤氏が入社して最初に擔任したもので、氏は多年官界に職を奉じてゐたが、かゝる温かい人情味に接したことがなかつた。この故人の慈愛は痛烈に氏の心底を抉り(えぐり)、この人ならばといふ殉職の決心がその時に發生したのであつて、遂に氏は一生を大林組に捧げたのである。

故人の先輩M氏は、失脚後の晩年、幾回となく故人の援助を仰いで糊口を凌いでゐた。初めの數回はM氏自身が故人に直接懇請して援助を求めたが、度重なると所謂「居候三杯目にはそつと出し」の筆法で、なんとなく氣恥かしく思つたものであらう、後には妻君を使者として二、三回故人を訪はしめた。すると故人は在宅でありながら何時も留守と稱して會はうとしない。M氏は已むなく自身とも又故人とも親近の間柄であるK氏を介して申込んだのである。素より義氣に富んだ故人のことだから澁つた風もなく快よくその請に應じた。K氏はM氏の妻君から『私が大林さんへ伺ひますと、奧の方で御主人の聲がしますのに何時も留守と申されて會つて下さらないのですよ』と聞いてゐたので、K氏は心中窃かに、無心が度重なるので交渉は困難であらうと豫め覺悟して故人を訪ねたのである。しかるに二、三分の曾談で案に相違して無造作に快諾を得たものだから、K氏は餘りの不思議さに『最近は御多忙でせう。御在宅中何度お訪ねしてもお會ひが出來なかつたとM氏の妻君が申して居りました』と婉曲に探りを入れて見ると、故人は『アヽそのことですか。M氏に對しては何の別け隔てもありませんが、あの妻君は姑さんを袖にするので鬼のやうに見え、會ふのが怖かつたからですよ』と呵々大笑(かかたいしょう)した。淸濁併せ呑む底の大腹な故人ではあつたが、一面不孝な女は鬼に見えるほど不快を感じてゐたのである。そこでK氏も成程と合點が行つたのである。そしてK氏より故人の箴言(しんげん)を傳へ聞いたM氏の妻君は大に悔悟(かいご)し、その後孝養にいそしまれたといふことである。

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