鷹揚な買物
故人の曰く『俺は平常釘一本、煉瓦一枚まで無駄にするなと嚴しく注意してゐるが、大根一本、葱一束を値切らうとは思はない。なぜならば釘一本や煉瓦一枚の無駄は、物その物が無くなるのだから絶對の損失で利益を得るものは一人もない。しかし大根や葱を多少高く買つたとて、それだけの利益は八百屋が占めてゐるので絶對の損失ではない。まして小さな商賣の野菜代を値切るといふことは、一厘や二厘の薄口錢でその日を送つてゐる八百屋の懷中を殺ぐやうなもので、そんな無慈悲な買物をして成功が出來るものではない。俥賃などもさうだ。五錢や十錢高かつたところで、自分の經濟に影響を及ぼすことはない。しかるにその日暮しの俥屋にとつては五錢や十錢の金とて馬鹿に出來ない。又それだけ多く出したところでそのお金は消えて無くなるものでなく俥屋は大喜びだ。これほどの功德はないのである』と。大林家が日常の細かな買物に鷹揚であつたのは、かうした故人の靑砥藤綱式の經濟觀と慈善心から出發してゐた。