變れば變るもの
故人が二十歳で東都修業を志した時、宮内省御出入の砂崎庄次郞氏の總支配たる美馬佐兵衛氏宛の紹介状を故人に與へたのは靱の手傳職下里熊次郞氏であつた。更に故人が二十九歳で大阪に旗揚をした際、快よく故人の傘下に加はつて故人を輔佐したのもその下里氏である。後數年、明治三十年一月 英照皇太后崩御に際し、後月輪東北御陵工築の恩命に浴した砂崎氏の應援に、故人が施工の實際的總監督として參加した時、その副監督として故人を輔けたのは美馬氏であつた。實に美馬氏は故人が東都に於て修業中日々技術上に就て直接薫陶を垂れた大先輩なのである。變れば變るもの、故人の出世はさることながら、曾て後身であつた故人を上に戴くことに躊躇しなかつた下里、美馬兩氏の雅懷(がかい)は讃歎に價する。