七 故人の修業時代 -名古屋師團豐橋分營工事-
材料係
初め故人は、建築工事に付ては何等の智識も經驗もなかつたので、その任にあらずと堅く辭退したのであつたが、吉田氏は豫(かね)てから故人の稀に見る熱誠振りと銳敏さを他所ながら聞き知つてゐて、『君の頭なら直ぐ判るよ。俺がよく敎へて上げるから』と言つて中々承知されないし、主人砂崎氏からも『初めての工事としては手頃のものだ。後々の爲に覺えて來なさい』と勸められたので、遂に意を決して本工事に赴いたのである。
擔任は材料係であつて、木材の種類、名稱さへ辨(わきま)へてゐなかつた故人としては無理な重荷であつたことは免れない。自然故人は血を吐くやうな苦鬪を續けた。晨(あさ)に星を戴いて出で夕に月を踏んで歸るなどといふことは、故人の辛苦に對しては當て嵌つた詞でなく、夜さへ寢ぬことが度々あつたのである。しかしながら性來の負けず魂は、五月蠅(うるさ)いほど吉田氏やその他の先輩について敎を乞ひ、手帖と首つ引きに、何百といふ材料を片ツ端から處理して行き、そのキビキビとした仕事振りは痛快淋漓(りんり)たるものがあつた。
材料と工事
殊に總べてに對する研鑚は徹底的で、材料の種類、名稱、寸法、特質、品位、用途、價格、注文、督促、檢收、保管、養生、使用等を忽ちにして修得したのみでなく、初學者の課程としては無謀とまで認められたその職分を、迅速且つ正確に處理し、加ふるに暇さへあれば施工の現場に立つて、材料の用法から施工の方法までを見守ることに努めたもので、その熱心さと研究心の強烈さには誰しも驚歎せざる者はなかつた。さうして煉瓦工事、石工事、大工工事、左官工事、屋根工事、錺(かざり)工事、造作建具工事等、次ぎ次ぎと展開される各種工事の要點をも腦底深く我がものとして行つたのである。殊に材料とその用途との連絡が分明する度に、無限の愉快さが湧いて來るのであつた。
施主方監智
更に故人は請負業者として又材料係として、二箇の貴い體驗を積んだ。その一は施主方監督との關係である。曩(さき)に御造營工事中に於ては、地位も低く且つ自己の職掌が對外的に交渉を持たなかつた爲、謂はゞ呑氣な自由の天地を泳いでゐたやうなものであつたが、一度責任ある材料係となると、さう單純には濟まされない。遽に施主及その監督といふ絶大な權威者が頭上に冠さつて來たのである。一時は如何にも窮屈で且つ怖ろしいやうに思はれたが、須臾(しゅゆ)にして熱誠と正直と眞摯とを以てせば必ずしもそれが重壓(じゅうあつ)とも窮屈とも感ずべきものでないことを悟り、表裏なくその方針を遵守した結果、大過なく順調に工を進めることが出來たのである。
不思議な男
時の監督員が故人によく話されたさうだが、『手嚴しく叱つてやらうと思つてお前を呼び出すと、如何にも眞面目で、愛嬌もあり、禮儀も正しく、惴々焉として失敗を謝するので、叱る氣勢も何處へか消えてしまひ、寧ろ慰めてやりたい心さへ起つて來る。
實にお前は不思議な男だ』と感歎せられたといふことである。或はこれが故人の天性であつたのかも知れない。
惡商人の撃退
その二は材料商の惡辣なる手段に屢(しばしば)直面したことである。豫期せざるこの問題に對しては尠からず苦心を拂ふと共に、如何なる威喝や誘惑をも、怖れず、惑はず、敢然として撃退したもので、『お前等は俺の目を掠(かす)めることが出來ても、官に對して何と申譯をするか』と叱咜するのが常であつた。他日故人が大をなした際でも、隅から隅まで眼光紙背に徹する底の銳さを有つてゐたのはかうした體驗から生れたものであらう。
本工事も豫定通り順調に竣成を告げ、故人は請負業の現場員としても、材料係としても、課せられた試驗に立派に登第したのである。爾後砂崎氏は『得難き好人物を手に入れた』と言つて衷心から故人を愛されたのであつた。