忘れ得ぬ一人
私と大林さんとの交渉は至つて少く、單に北濱銀行破綻救濟時の一事に過ぎなかつたと記憶してゐる。しかし唯その一事に於て、世にも稀な數々の人格的人間味を大林さんによつて味ひ得たことを悅ぶものである。由來大阪人は、餘りにも經濟的思想に富んでゐる結果、餘りにも利に聰く、時には利を獲る爲には手段を選ばざる底の我利我利盲者流の多いことを常に聽かされもし、又私自身としてもかく想像してゐたのであつたが、偶北銀救濟時に採られた大林さんの行動は、大阪人に對する私の想像を全く裏切つて、一ツの驚異としか感じられなかつた。あの時大林さんは『自己の成功は北銀頭取たる岩下翁の眷顧(けんこ)指導によるものだ。翁の窮地を救ふ爲に素裸となつたとて何等の未練も怨みもない』といつて、數百萬の全財産を惜し氣もなく投げ出されたのであつたが、かうした場合世の多くの人は言を左右に託して逃避するのを常とし、「金を貸せば友と金とを失ふ」といふ諺を如實に示し易いものだが、大林さんはこの諺を見事に打ち破り、全財産を弊履(へいり)の如くに抛(なげう)つて義に就いたその心根の美しさと、かく決意した襟度の大には、眞に感服させられたのである。そして私は決心ほど怖しいものはないといふことまでも味ふことが出來た。私が大林さんと接したのは財産提供の申出後であつたが、大林さんの態度が何時も虚心坦懷、洒々落々、氣持がよいほどの明朗振りであつて、全財産を投げ出さうとする窮地の人の氣配などは見たくとも見られなかつた。思ふに、故人がかくまでの決意をされるまでには相當な煩悶も苦痛もあつたゞらうに、一度意を決したが最後、かくまで朗かになり得るものかと驚嘆させられた。まして、自分は財産提供によつて既に翁に義理だてした、他は關知の要がない、といふのが普通の人情だが、大林さんはさうでなかつた。翁の爲に寢食を忘れて日夜東奔西走するその樣は、滿身義の塊りといつてよく、輕佻浮薄な世の中によくもこんな義人がゐるものかと、自分の眼を疑ふほどであつた。又大林さんは軀幹長大で、鬚なども常に伸び放題といつた無造作な無骨稜々(りょうりょう)たるものがあつたが、見かけによらぬ謙遜家で、起居進退頗(すこぶ)る禮に適ひ、實に人觸りのよい方であつた。まして總べてが赤誠の流露といつてよいほど率直であつたから、言々句々キビキビして齒切れがよく、私は大阪人にもかうした寧ろ世にいふ江戸ツ子的な稀に見る偉丈夫がゐるのかと驚きもし、地方的性情の分野が次第に破壞されて行くことなども副産物として味ふことが出來た。要するに大林さんは私の一生を通じて精神的に忘れることの出來ない一人である。