武臣の愛錢を罵る
上原元帥が故人の夙川別邸で病を養つてゐられた頃、偶議會で一世の耳目を聳動(しょうどう)させたシーメンス事件が勃發し、尾崎咢堂、島田三郞の兩氏が交々起つて侃々諤々(かんかんがくがく)の辯(ことば)を揮ひ、海軍大廓淸(だいかくせい)の聲が翕然(きゅうぜん)として八方に起つた。東京出張中にこの騷ぎを見聞して來た故人は、歸宅するなり元帥の室に飛んで入り、『なア閣下、實に怪しからんことです。軍人がお金を欲しがるやうになつては世は末です。お金の方は私等が儲けて御國に献上します。軍人は軍人らしく何處までも淸廉潔白で素寒貧(すかんぴん)なところに價値があると思ひます』と慷慨(こうがい)淋漓(りんり)たるものがあつた。故人の歿後、元帥は當時を偲びながら『あの時の故人の權幕、熱心、眞面目さは今も尚目に見るやうだ。お金は私等が儲けて献上するとやつたあたりはいかにも大林式であつた』と評された。